本当にもう、会えない人/変化していく自分
昔の知人の名前がなんだかふと頭に浮かんで、地域と名前で検索してみたら、事故当時の年齢が一致する人の事故で亡くなったニュースが出てきた。
エリアもその人の居住区内。職業も当てはまる。珍しい名前で且つ年齢も一緒なので、おそらく本人だ。
LINEのアイコンが一時期から全く変わらなくなっていたのは覚えていて、「スマホを変えたりしたのだろう」くらいに思っていた。
アイコンが全く変わらなくなった頃にはもう交流が何年も前から無かったし、連絡する理由もなかったから、しなかった。
交流が途絶えたことにも理由があったし、人生の中ですれ違う人たちは数え切れないし、その数え切れない人の中の一人、という認識をしていた。
色んな経緯があって誰かと繋がって、関係が切れて、
また新しく誰かと繋がって、たまにいつかに別れた誰かと再会することもあったりして。
人生、そんなもんだよな、そんなもんなんだろうなと思っているけれど、いつかに出会って一時は楽しい空間を共有した誰かと、いつの間に永遠の別れをしていたことを知る。
昨今全く交流のひとつもなかったからといって、いやに冷静に事故のニュースを眺めて、「そっか…」と、変な取り乱し方をすることなく事態を把握した自分をちょっと気持ち悪く思った。
え、俺って、ちょっと前までこういう生き死にに関わることにもうちょっと感情的になったりする人間じゃなかったっけ?
交流していたのがもう10年以上前で、短い期間であっても、一時は楽しく一緒に過ごしたのだから、もう少し悲しがる素振りとか、見せないの?俺?
確かに疎遠になることにも理由があったし、雑な扱いを見受けて嫌悪を感じたりしたことも覚えているけれど、映画に行ったりご飯を食べたりカラオケをしたり買い物に行ったり、普通に友だちとして、よくしてもらってた記憶もあるのに。
なんで俺、あんま悲しがらないんだろう。
もうそんなに自分自身若くもなくて、いつ誰がどこで死ぬかはわからないのが念頭にあるせい?
それとも、事故のあった自分の地元からもう離れて暮らして結構な時間が経っていて、実感が湧かないから?
なんかね、こんなこと初めてなんですけれど、この記事は元々、月並みな言葉も交えながら「人はほんとにいつ死ぬかわからない、いつ二度と会えなくなるかわからないんだなって再確認しました」みたいな、そういう気持ちを綴ろうと思っていたのね。
でも、なんか、言えないやそんなこと。その書こうとしていた気持ちを今本当に思ってるかって言ったら、本当に思ってますとは言い難いんだもん。
なんか俺、どうしちゃったのかな。
昨年とかかなり色々あったから、防衛本能がはたらいたりして、知らないうちに心が冷たくなってたのかな。
俺、冷たいのか。そっか。
なんだ。もう少しくらい優しい人間かと思ってた。自分で自分に期待してた。なんかちょっと、自分に裏切られたような気分だ。
まとまらない記事になってしまったし、せっかく読んでくださったのにごめんなさい。
どうしたんだろう俺、調子悪いのかな。
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