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タダほど怖いものはない

あれは30年ほど前のこと。
我が家では雑種犬を飼っていました。
昔は新聞に【譲ります】【差し上げます】【探しています】の欄があって、
ちょうど「犬が飼いたい」「犬種は柴や秋田犬がいい!」と思っていたタイミングで
「柴犬(の雑種)5匹生まれました!オス2匹、メス5匹」の募集を見つけた私たちは大興奮。
たしかその時は「差し上げます」だったのですが、母が
「タダほど怖いものはないからちゃんとお礼を持っていこう」と菓子折りと素麺と御礼金を持参し迎えに行ったのを覚えています。
「タダほど怖いものは〜」なんて言いながらも、実は母が1番の犬好き。その犬への愛情を思いつくかぎりの御礼であらわしているようでした。
犬には弟が「てつじろう」と名づけました。
大きくなってみると、毛足が長く鼻も長い。どう見ても柴犬の血が入っているようには見えません。しかし、穏やかで常に人の心を敏感に察知しては寄り添ってくれる、優しい犬でした。

朝夕2回のてつじろうの散歩は主に母か私が行きました。
いつも歩くお決まりの散歩コースの他に河原を歩いたり、ちょっと遠出したり。
同じ道を歩くにしても季節を感じながらの散歩は大変ですが楽しい時間でした。

ある秋の日。
てつじろうの散歩から帰ってきた母が頬をあからめ興奮気味にこう言いました。
「イチョウの木の下にたっくさん銀杏の実がおちていたから拾ってきた!」と。
見れば、てつじろうのトイレの後始末用の(予備の)袋に沢山の銀杏が入っています。

「落ちたての綺麗なのだけ拾ったけどこんなにあった!まだあったけど、これ以上拾ったら欲張りだからこれぐらいにしておいた!」と、
充分欲張りな量の銀杏が入った袋を私の目線まで掲げて笑う母。ちょっと誇らしげです。

家族全員、銀杏が好きで。
食べすぎると中毒を起こすということは大人になってから知りましたが、
焼き鳥屋で出てくる香ばしく焼いて塩をふったのも、
茶碗蒸しに入ったのも、
とにかく好きです。
デパートに行けば結構な金額で売っている銀杏を見て、
(ああ、銀杏ってお高いんだなぁ)と思ったことがあるので、
拾った銀杏を
「この銀杏、デパートで買えば高いよ〜。これだけで何千円か分はあるねぇ!タダだよ!得したねぇ!」と、
高級食材をタダでゲットしたことに興奮気味の母を見ながら
(高いしね。嬉しいんだろうな)と思ったのを覚えています。

母は拾ってきた銀杏をひとつひとつ選り分けて、
せっせと水につけていました。
数日水につけたあとは干せば良いのだと、急に銀杏博士か名人みたいなことを言い出したので、私も
「お母さん、すごい!銀杏たくさん食べられるねぇ!」なんて褒めて、贅沢銀杏ライフに思いを馳せたのですが…

翌日、起きてきた母の様子が変です。
モジモジして何か言いたそうにしています。そして腕を後ろに回して何かを隠すそぶりを見せました。
「どうしたの?」
「…いや、ちょっと」
「手?なんで手を隠してるの?」
「隠してない。ちょっと痛いの」
「痛いの?見せて」
「ちょっと、びっくりさせちゃうかも。ちょっとだけ赤いから」
「驚かないから見せてよ」
私は半ば強引に母の腕を掴んで手を前に出させました。
そして「驚かないから」と言ったのに驚きました。
母の手が真っ赤に腫れていたのです。
酷い手荒れの状態でした。
それも両手。
「痒いし痛い…熱い…」
自分の手の状態に怯える母。
「病院にいこう!今日のてつじろうの散歩は病院から帰ってからにしよう!」
私は慌てて母を皮膚科に連れていきました。

皮膚科では
「昨日、何かを触りませんでしたか?」
「何かふだんと違ったものを調理しませんでしたか?」と聞かれました。
母はしらばっくれようとしていましたが、
付き添いの私でさえ、原因はなんとなく…
いえ、はっきりとわかっていました。
今ほどネットが発達した時代ではなかったですが、皮膚科の先生の「確信を持って原因を問う」姿勢にピンときました。

案の定、
診断の結果は、
銀杏を素手で拾って下処理したことによる
ギンナン接触性皮膚炎』でした。


ギンナン接触性皮膚炎とは、
ギンナン成分による”かぶれ”です。ギンナンの外皮の内側のヌルっとした部分のビロボールという物質に何度か触れることにより感作が成立(アレルギー物質に反応するように免疫細胞が覚えてしまうこと)してしまったため、ギンナン拾いや銀杏の皮をむいて調理した後に強い痒みを伴う”かぶれ”がおこることです。

皮膚科のHP参照

当たり前のことですが、
軽いお叱りを受け、治療費を払い、処方された薬をもらって帰る私たち。
いったん、薬を家に置き、母と2人でてつじろうの散歩に出ました。

母は手が真っ赤で大変な状態ですから、てつじろうのリードは私が持ちます。
下を向いてとぼとぼ歩く母。
手が痛いのでしょう。
そしてきっと反省しているのだと思います。

元気に前へ前へと引っ張るてつじろう。
私も母の気を紛らそうと「待って、待って」と妙に明るく振る舞いながら、てつじろうと一緒になって走りました。
その先に広がるイチョウ並木。
母が銀杏の実を拾ったであろう地点まできました。今日も沢山の銀杏が落ちています。踏まれてつぶれた銀杏も。
てつじろうがイチョウの木の根元をくんくんくんくん嗅ぎ始めました。
オスの犬はマーキングをするためにあらゆるところに足をあげてはおしっこをかけて回ります。きっと、この木におしっこをする気なのだと思い、私はてつじろうを見守りました。

すると母がすくっと顔をあげ、
いきなりイチョウの木に向かってこう言いました。

「バカヤロウ!」

と、大きな声で。

私はびっくりしました。
反省してしょんぼりしているとばかり思っていた母は、事件現場を前にして急に怒りがこみ上げてきたようでした。

「バカヤロウ」のあとには
「拾って得したと思ったら病院代の方が高くついた!!タダほど怖いものはないね!!」と。
母はその場で地団駄を踏んで、
驚いて見ている私とてつじろうに向かって、
「てっちゃん!早くおしっこしなさい!帰るよ!!」と怒鳴りました。

てつじろうはおしっこをしませんでした。
まるで、イチョウの木に
「うちのお母さんがごめん」と言うように。
しかし、おしっこの代わりに
「ワンワンワン」と吠えました。
「お母さんの手が赤くなっちゃったんだぞ!」と訴えるように。
最後にもう一度、木のまわりをクンクンクンクンして、私に「帰ろうか」と目配せをしてきました。

怒ってズンズン先を行く母の背を追いながら、私は思いました。
「タダほど怖いものはない」って、こういうことかと。
なるほど、ありったけの感謝の気持ちをこめてもらってきたてつじろうはこんなに親思いの優しい子だね、と。

今でも秋になると、イチョウの木に向かって「バカヤロウ」と叫ぶ母と吠えるてつじろうの姿を懐かしく思い出します。
「タダほど怖いものはない」の使い方を間違っているような、それで合っているような。
ただただいつ思い出しても笑ってしまう、ちょっと情けないお話でした。






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