佐久間さんとトミオとなすの味噌汁
18歳の春、私のひとり暮らしはやたらと日当たりだけは良い、佐久間さんちの2階の6畳一間から始まった。
そう田舎でもないが大都会にもなりきれない、中途半端な地方都市の一角。
快速が停まらないおかげで相場より安い、駅から徒歩20分の貸し部屋には、もれなく佐久間さんとトミオがついてきた。
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生まれた家を早く出たかった。
どこでもいいから、ここではない、どこかへ。
やりたいことなんて、特にない。
やればたいていのことはそこそこできるし、周りに合わせて必要とされるポジションに収まっていれば、いわゆる社会なんてそう難しいものじゃない。
とにかく安定した給料がもらえて、食べていければなんでも良かった。
私は18になったら家を出るため、中学生のうちから着実に計画を進めてきた。
選んだ高校は就職率100%の商業科。
真面目にきちんと受験できる資格を順次取っていくクラスメートたちを後目に、履歴書映えの良さそうなめぼしい資格だけ3年がかりでなんとか手に入れ、後は試験すら受けずにサボっていた。私にとってはどうでもいい資格試験は山のようにあり、なにせ箸にも棒にもかからないようなものに金と労力を割いている場合では無かった。
担任のため息まじりのお小言をのらりくらりと交わしつつ、授業は適当にサボりながら単位を落とさない時間数ギリギリに出て、ほぼ毎日部活とバイトに明け暮れた。
このガイドラインに沿って生きていけば、たぶんそこそこ『普通の会社』に紹介してもらえるだろう。就職さえできればあとはなんとでもなる。
そんな私の目論見は間違っていなかった。
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そんなに大きくもないが、油にまみれた町工場よりはもう少し会社らしい、家族経営の中小企業の一般事務。私の通う高校から毎年数名が就職しており、仕事内容もそんなに難しくはなく、入社したら先輩たちの下につきコツコツと仕事を覚えるだけ。
なんとなくイメージしていた通りの『普通の会社』に内定が無事決まり、いよいよ春に向けて本格的に家を探し始めた私に、立ちはだかった社会という現実はなかなか厳しかった。
できればキッチンが使いやすく、セキュリティーのしっかりしたワンルームマンションが良かったのだが、高卒でまだ初任給すらもらってもいない何の保証もない私に、手が届く家賃のそんな部屋はどこにも存在しなかった。
就職まであと数ヶ月。引っ越し準備もろもろを考えると、そろそろ決まらないと春からのひとり暮らしに間に合わない。
初めての部屋探しに挫折しかけ、途方に暮れていた私に、ある日友人がお母さんから聞いてきたという話を持ちかけてくれた。
「沢田駅のはずれに、お母さんの知り合いのおばあさんが住んでて、そこの2階が空いてるらしいよ。ひとり暮らしの若い女の子がいいって言ってるらしいから、一回話だけでも聞いてみたら?」
お母さんに連絡してもらうと、考える暇もなくすぐに段取りが組まれ、さっそく次の日曜に部屋を見に行くことになった。
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『佐久間』と書かれた古びた表札。
インターホンでもドアホンでもなく、呼び鈴、という名が一番ふさわしいベルを鳴らして気が遠くなる程待った頃、右足を軽く引きずるようにして白髪のおばあさんが出てきた。
「はいはい。ごめんねえ。脚が悪いもんでねえ、耳は聞こえとるんだけど、なかなかさっと出てこれんのよ。佐藤さんでしょう?まあ上がって上がって。」
私は玄関を入ってすぐの広間に通された。
アンバランスな花柄の掛け布団とチェックのカバーがやけに目立つ、大きなこたつ。
傍らの石油ストーブの上では、やかんがほかほかと湯気を立てている。
「寒かったでしょう。こっちへお入りよ。さあさあ。」
掛け布団をめくって手招きしている佐久間さん。
聞き慣れないイントネーションは、いったいどこの人なんだろう。
少なくとも私が生まれ育った関西圏では、なさそうだ。
ぽっかり開いた空間に足を入れようとしたら「にゃあーん」と小さな声がした。
びっくりしてこたつをのぞき込むと、グレーがかった焦げ茶色のしましまと目が合った。
チリリン。
首元に大きな赤い鈴が付いている。
「ああ、トミオ言うんよ。おとなしいから大丈夫。寒い間はもうずうっと、そこにおるんよ。」
佐久間さんが小さなみかんを手渡しながら私に言った。
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3月。門出の春。
私は念願のひとり暮らしをはじめた。
日当たりだけはとにかく最高の、古びた佐久間さんちの2階で。
厳密に言うとそれは独り、ではなく、いつもどこかに誰かの気配を感じながら暮らす生活のはじまりで。
気兼ねなく友達や彼を呼んで騒いだり、遅くまで飲んで好きな時間にうちへ帰るというような、思い描いていた安っぽい自由とは無縁な毎日。
「はなちゃん、おかえりぃ。お芋ふかしたやつがあるけど食べるかい。」
うちへ帰ると必ず、左手の広間から聞こえる優しい声。
本当の家族とはうまく距離感をつかむことができなかった私だけど、佐久間さんとは間合いを計りつつ、3回に1回くらいはそのお誘いに乗ってこたつへお邪魔することにしていた。
「にゃああーん。」
私の脚に身体をすり寄せてくる、しましまの塊。
頭を撫でるとたちまち丸くなって動かなくなるそのふわふわの塊は、私の心に寄り添うようにいつでも隣にいてくれた。
そして会社の飲み会から帰った朝、必ず用意されていた佐久間さんの味噌汁。
具はなぜか季節を問わず、決まってなすだった。
たっぷりと出汁を含んでぶよぶよとした食感のそれを、黙って咀嚼する。
なすが苦手な私。自分の好みだけを優先して母親が出してくるなす料理の数々を、あの頃絶対に口にすることはなかったのに。
実家ではありえない時間が、そこでは静かに流れていた。
佐久間さんとトミオのいる暮らしは、いつでも私にほんのりと温かい手触りと懐かしい匂いをくれた。
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慣れない仕事に戸惑いつつ、持ち前の要領の良さですぐに会社でのポジションを見定め走り出した私は、そこそこ順調に暮らしているように見えただろう。
たくさんの友達とまあまあ付き合いの長くなってきた彼、埋められた週末の予定。
華やかさはそんなになくても、静かに満たされた生活こそが私にとっては大切だった。
ひたひたの、しあわせ。
自分で稼いだお金で、好きなものを買って、好きなものを食べて、誰にも干渉されることなく気ままに暮らす。
広いリビングにひとつずつお気に入りの家具を増やして、休日にはゆっくりとくつろぎながら自分だけの時間を楽しむ。
残念ながら、そんな心に描いた幼い夢とは程遠い暮らしだった。
私は高いヒールを翻して歩く格好いいキャリアウーマンにはなれなかったし、ここはどう見ても流行りのドラマに出てくるようなお洒落な部屋でもなんでもなかった。
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5月になっても佐久間さんちのこたつは一向にしまわれる気配もなく、うちに帰ると佐久間さんとトミオは、相変わらず日がな一日そこにいた。
丸い籠に山と積まれたりんごやバナナ、ほんのりと線香の香りがするお饅頭。
毎月茶色い封筒に入れて手渡す、わずかばかりの家賃。
トミオの飲む水が入った、ふちの少し欠けた赤い琺瑯の平皿。
壁に掛けられたあめ色の柱時計。
なにが入っているのかと驚くほど重い引き出しの和箪笥。
スーパーのチラシで丁寧に折られた小さなくずかご。
なにもかもがなんとなく、くすんだ色合いの、佐久間さんのおうち。
ずっとずっとここにはいられないのだろうけど、もう少しだけ、ここにいたい。
誰かの温もりをほんのりと背中に感じながら暮らすことは、私にとってひとりで広い海に乗り出すためのウォーミングアップみたいなものだった。少し疲れてオールを漕ぐ手を休めても、川の流れに身を任せていれば確実に前には進める。
寂しがり屋のくせに、誰かにもたれかかることが苦手な私の毎日を支えてくれていたのは、間違いなくどこまでも優しい佐久間さんと程良く気まぐれなトミオのふたりだった。
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「おかえりぃ。」
今でも玄関のドアを開けると、佐久間さんの声が聞こえるような気がする時がある。
「はなちゃん、さあここへお入りよ。」
こたつを見ると、あの独特のイントネーションで私を呼ぶ佐久間さんの姿が鮮明によみがえる。
「にゃおーん。」
ふいに、路地裏で見かけたグレーと焦げ茶のしましまのあいつ。しっぽをついつい追いかけてしまってから、ああそうだトミオはもうちょっと丸っこくて、もうちょっと目つきが悪かったよな、なんてひとり微かに笑った。
夕暮れ時、陽の落ちる寸前に佐久間さんちの窓から見えた遠い山々と、消えゆくひかりの淡い影。あのセピア色の想い出が、違う街で夕陽を見るたび、いまも私の心を彩る。
前へ。ただ前へ。
歩き続けて行く道の先に、ふんわりと旅路を照らしてくれているひとたちの笑顔が見える。
ありがとう。大好きなあなたたち。
あの日々を、忘れないよ。
またいつか、どこかで。
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