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雨女の呪い

昨日、久しぶりに旧友に会って、一緒に昼ご飯を食べた。

元来私は早口で、そのまま話してしまうとおっとりした人とは完全にテンポが合わなくなる。そのため、普段はなんとなく出力を70~80%くらいに落として会話をしているように思う。

そんな私がなにも気にせず、完全にフルスロットルで最大出力してもスムーズに会話が成り立つ唯一の存在、それが彼女だ。

これまでの人生において、とんでもエピソードを多々持つ彼女は、口を開けばマシンガントークで周りの笑いを誘い、自虐ネタで否応なく注目を集めてしまう、自他ともに認めるクズ女なのである。いや、正確に言えば、クズ女だったことも、ある。

まあ、彼女の数々のクズエピソードについては、本人の了承が得られたら追々書いてみたい。

ということで、今日は別のお話を。


出逢ってから、それぞれの人生の2/3を超える時間を過ごし、衝撃の告白を何度も受けてきた身としては、今さら何を聞いても驚くようなことはないのだけれど、彼女が実は雨女であるということを、昨日初めて知った。

これまで、長い時間一緒に過ごしていても、特に雨女だなと感じたことはなかったように思うが、そう言われてみたらそういえば、一緒に撮った写真は雨模様が多かったかもしれない。


長いランチを終えて店の外に出たら、いきなり小雨がぱらつきだし、急いで車に乗り込んで駐車場の屋根が消えた瞬間、叩きつけるような本降りになった。話し足りずに少し遠い駅まで送ることにしたのはいいのだけれど、雨足はどんどん強くなり、いよいよバケツをひっくり返したような…という雰囲気になってきた。こんなにも短時間で激しく降る雨は久しぶりだった。

そうして、ようやく彼女を駅で降ろし、ひとりで家路に急ぐ間に雨はだんだん勢いを失って、帰宅した時にはすっかりやんでいた。

きっと、彼女が無事に帰宅したに違いない、と確信した。


私の人生でここまで実力派の雨女・雨男に出逢ったのは、これで3人目だ。


1人目は雨女、当時の職場の同僚で、お昼休憩の時一緒に外に出ると、彼女のいる場所だけ見事にピンポイントで雨が降る。彼女は、晴れ予報でも、いつでも傘を持って外出していた。あまりの雨の引き寄せ能力の高さに「あなたはアフリカとか砂漠地帯に行ったら、たぶん神と崇められるに違いない!」と、彼女はいつも海外進出を勧められていた。

2人目は雨男、知人の旦那さんで、私と直接の面識はない。彼の実力も相当にすごいもので、仕事がお休みの日に限って、必ず雨が降るそうだ。それはもう限りなく100%に近い確率で、その知人の周りでは次月の旦那さんのシフト表を送ってくれという依頼が絶えないという笑い話まである。


そうやって振り返って考えてみると、雨男や雨女と呼ばれる人たちは、言葉の呪縛にとらわれているのかもしれないと、ふと思った。もし言霊というものがあるとしたら、周りからの評価やラベル付けに加えて、自らを雨女・雨男だと認定することで、いつも降られることがその人にとっての現実になっているような、そんな気もする。

私は雨女だから…と思うことをまず手放して、自分で自分にかけた呪いをといてみたら、意外とその向こうには青空が広がっていたりするのかもしれない。


そんな私は自分が雨女なのか晴れ女なのか、まったくもって分からない。出かける前に天気予報をチェックすることも、あまりない。


いつだってお天気は空まかせなのだ。






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