三宮そごうでオッサンと殴り合いをした19歳の夏
事件は突然に
短気は損気、とはよく言ったもので。
衝撃の事件が数々起こるわたしの人生でも群を抜いてイカレたエピソードが、三宮そごうで見知らぬオッサンと殴り合いのケンカをしたこと。
19歳、まだまだ青い、世間知らずのペーペーでした。
せやけどまさか、白昼堂々、百貨店でオッサンに殴られるとは。
他人に本気で殴られるなんて、生まれてはじめて。
そらそやろね。
フツーの19歳女子ではありえん体験でしょ。
この世をば…
時は90年代後半、小室ファミリー全盛期のころ。
御多分に漏れずミニスカートに厚底ブーツでいっぱしのギャル気取りだったわたしは、当時もっとも勢いのあった業界で販売の仕事をしていました。
19歳、高卒で就職した事務の仕事を半年で辞め、すぐに飛び込んだ接客業。どうやら水に合っていたようで成績をぐんぐん伸ばし、2か月目には即正社員採用。成績は常に上位で、自他ともに認める次期店長候補。
新規店舗をガンガン出していた会社とともに時代の波に乗り、調子に乗りまくってました。
自分で言うのもなんやけど、もう無敵。完全なるイケイケ絶頂期。このわたしが本気出したら、手に入らんもんなんてない!とマジで思ってたフシがありました。
19歳のとある一日
当時はほんまに忙しすぎて、ジェットコースターみたいな毎日で。
神戸の中心地、三宮にある店舗で朝から晩まで3桁のお客さんの接客をこなし、昼休憩すらろくに取れない状態でした。
開店からずっとノンストップで水も飲まずに接客しつづけ、ピークを過ぎたあたりで様子を見計らって、やっと買ってきた昼だか夜だか分からんご飯をかきこんで一息ついたら、またすぐに店頭へとんぼ返り、という日々。
そんなある日、どうしても郵便局へ行かないといけない用事があったわたしは、昼休憩を利用して当時三宮そごうの地下にあったATMへ向かいました。
休憩時間はぴったり1時間。同僚にはひと声かけて、万が一ちょっとオーバーしても大丈夫そうな空いてる時間を見計らって行かせてもらいました。
移動だけでも片道10分、きっとATMは並んでるやろうから所要時間はざっと40分。移動時間にパンでも頬張りながら店に戻ろう、そう思いながら道を急ぎます。
そごうのATM
三宮と言えば、そこそこの地方都市・神戸の中でも一番の繁華街。
平日昼間のそごうの地下なんて、すれちがうのも大変なくらい買い物に夢中のおばちゃんたちでいっぱいです。地下にあるATMコーナーも、この時間はいつでも人がずらり。着いた時にはやっぱり7~8人の列ができてました。
うん、でもまあ大丈夫、このくらいは想定内。
20分くらい並べばいけるかな。
列が半分ほど進んだ頃、50代なかば、くらいの男性がわたしの後ろに並びました。
ひとり、またひとり、と列が前へ進むたびに、後ろからブツブツ、ブツブツ…なんか声が聞こえてくる。
「おっそいのぉー。まだかいやー。」
「なににそんな時間かかっとうねん。」
なにこのオッサン、いちいちうるさいなぁ。
ちょっとイラっとしましたが、黙って列に並んだまま自分の番を待ちます。
イラチのオッサン
「いつまで待たす気やねん。はよせえやー。」
もうちょっとでわたしの番や。
うーん、このひとえらい時間かかってんなぁ。まだかなぁ。
前のおばさんがなんだかモタモタ。どうやら機械の操作があんまり分かってないみたい。後ろを気にしつつ、焦り気味になんかいろいろやってます。
「おい!どんだけ時間かかっとんねん!こっちは急いどんねん!!」
最初はなんかブツブツ言うとんな…くらいだったオッサンの声が、みるみるうちに大きくなります。
なんやねん、このオッサン。こんだけ並んでんねんからしゃあないやろ。
おとなしく順番待っとけよ。
ようやくわたしの番が回ってきて。
自分の口座から入金手続きを済ませます。
よし、これで終わった。あとはお昼買って戻るだけや!
入金が完了し、記帳を待っていたその時でした。
ブチキレ!無敵女子
「おい、まだなんかい!このガキャなにトロトロしとんねん!しばくぞ!!」
え?ガキやて??
それ、うちにいうてんの?
プ、プッチーン。
わたしのこめかみで、あるはずのないなにかが切れる音がしました。
「じゃかぁしぃわオッサン!みんな並んで待っとうねん!記帳しとうだけやし黙って待っとけや!!」
シーーーーーン。
行き交うひとたちが凍りついたように時間を止めて、全員こっちを見ているのが分かります。
ああ『固唾をのむ』ってまさしくこういう時に使うねんな、ってあの時体感しました。
ブチキレ!イラチオッサン
「なんやとぉー!このクソガキが!!しばきまわすぞ、コラァ!!!」
腕を振り上げて、激高するオッサン。
あ、”ゲッコウ”って日常でめったに使わんよね。
あのオッサンの顔。あれまさに、”ゲッコウ”やったわ。
ほんでもね、そんなんで黙るクソガキちゃいますねん。こちとら恐いもんなし、無敵の19歳女子やからね。
「おーおー、しばけるもんやったらしばいてみぃ、オッサン。小娘に口で負けて手ぇ出すなんて、えっらい恥さらしやのぉ。」
あっかーーーん。
そんなん、公衆の面前で言うたら絶対あかんやつぅーー。
今なら分かりますけどね。
当時はもう、飛ぶ鳥を落とす勢いの、イケイケの生意気盛りの、コムスメでしてん。つい、売り言葉に買い言葉。
言うてまうよねー。
開戦
カァァーーーン!!!
オッサンの頭の中でゴングが鳴ったのがはっきり分かりました。
顔を真っ赤に染めて、間合いをつめてくるオッサン。
よっしゃ、やったんでぇ!
こんなショボいオッサンに負けるわけない!!
ブゥン!
耳の横をかすめる風。
おっ、やった!よけれた!!
思った瞬間、唇に激痛。
あかーーーーん!かわせてへん!!
オッサンの拳がギリギリわたしの頬をかすめて、見事下唇にヒット!
唇が歯に当たってたちまち血が滲む。
舌先で血の味がして、頭が真っ白になりました。
反射的に動いて、オッサンの顔を狙うわたしの右腕。
けれど悔しいことに、オッサンにはあっさりサッとかわされ、こちらのパンチはかすりもせず。
くっそぉー、絶っっ対殴り返したる!!!
もう一度オッサンに向かいかけたところで、ようやくストップがかかりました。
タオル投入
野次馬をかき分け、あわてて駆け付けてきた警備員。
たちまち取り押さえられるオッサン。
「おい!アンタ!!なにしとんねん!」
「頭冷やしや!こんな若い子相手になにムキになっとんや!」
2、3人の警備員に囲まれて腕をつかまれ、連れて行かれながらもこちらに向かって悪態をつくオッサン。
「おい、お前!次どっかで会うたら今度こそしばき倒すから気ぃつけとけよ!」
オッサン、捨てゼリフが陳腐すぎ。
一部始終を見ていた野次馬のおばちゃんらが一斉に喚きます。
「アホちゃうかオッサン!ええ歳して!!」
「ホンマや!あんなん警察呼んだったらええねん!」
「こわいわぁ…こんな若い子相手になぁ…」
世論はもう完全にわたしの味方です。
そらそやろ。
試合終了
「大丈夫か?ちょっとお姉ちゃん、こっち来て話聞かせてくれるか?」
「あんたもなぁ、何言うたんか知らんけど、相手は一応目上やからなぁ。言葉遣いには気ぃつけな、あかんで。」
「はい…お騒がせして、すいませんでした。」
あとは現場を見てない警備員の前で、変なオッサンに殴られかけた可哀想な19歳の女の子、をしおらしく演じながら簡単に事情聴取されて、おしまい。
まあクリーンヒットではなく、当たったのも下唇の内側らへんだったので、うまく隠してたらみんな気づいてなかったみたい。
オッサンのパンチはかすっただけ、と判断され、そこまで大事にはならずに済みました。
クールダウン
騒ぎが収まって、店には連絡を入れてちょっと遅れる、とだけ伝えて、ひとりで三宮の街をトボトボ歩きながら考えました。
警察沙汰にならんでよかった。
あんなもんで済んでよかったやん。
そやな。そやで。
せやけど。
ずっと右目からだけ、勝手になんか流れてくんの。
痛いのは唇やのに。
あ、これね、痛いからとちゃうわ。悔し涙や。
だって、一発も当てれんかってんもん。
あんなオッサンでも、かすってでも、相手に当てれるのに。
わたしの方が若いし、断然動けるし、無敵やと思ってたのに。
社会に出てバリバリ働いて、男女なんて関係ないって思ってても、やっぱりこういうところで圧倒的な差を見せつけられること。
それが途方もなく、悔しい。
悔しい!悔しい!!悔しいーーー!!!
無敵女子、痛みを知る
ほんでもやっぱりね。
あの時、オッサンのパンチをかわせてなくて良かった。
わたしのパンチが当たってなくて良かった。
だって、もし全部思う通りになってたら、わたしきっとあのままずっと自分のこと、無敵やって勘違いしたまま大人になってた。
あの時殴ってきたオッサンは、わたしにあんまり調子に乗りすぎんなよ!って言ってくれた神様やったんかもしれん。
あれから、悔しいことは山ほどあった。
そのたびに、下唇を噛み締めながら、負けへんで!って心の中で拳を振り上げて闘ってきた。
たとえそれが無駄に思えても。絶対当てるつもりで。
振り上げた拳を相手に当てるんじゃなくて、だけどただ頭を下げるんでもなくて、決して退かない気持ちを見せながら相手と向き合うこと。
それが、痛みを知って学んだ、わたしなりの闘い方。
夏草や…
10代、20代、30代…と先の見えない階段を一段一段踏みしめながら昇ってきて。
気づいたらもう、今のわたしはあの時のわたしよりオッサンの方に近い場所にいる。
ひとりで生きる、から誰かと生きる、に変わっても。
やっぱり、なんでやねん!って唇を噛みたくなる瞬間が、人生にはいっぱいある。
大好きな街も様変わりして。
三宮のそごうはもうなくなって、阪急になってしもた。
オッサンへ
下唇の、シミみたいになった小さな傷を鏡で見るたびに、あの時のオッサンの顔を思い出す。
ありがとうな、オッサン。わたしに思い知らせてくれて。
ほんでもな、今度会うたらな。
やっぱりアンタには一発、当てたりたいわ。
往生せいよ、オッサン。
ーーーーー
嘘のようで本当のようで、やっぱりちょっとだけ空想も混じってるのかもしれない。そんなわたしの人生を彩るひとびとの、おはなし。
サポートというかたちの愛が嬉しいです。素直に受け取って、大切なひとや届けたい気持ちのために、循環させてもらいますね。読んでくださったあなたに、幸ありますよう。