タイに行くはずが和歌山でパンケーキを食べてた
大学4年の後半、それは人生の中で最も自由な期間だ。
残す単位は無く、就活も終え、ほどほどにバイトをし、サークルに無縁だった私は、数多いる大学生の中でも群を抜いて暇だった自信がある。
膨大な時間を生かすも殺すも自分次第。
それが大学生活の最も魅力的な部分でもあり、最も恐ろしい部分でもあるということは、文部省が打ち出してもいいくらいの重要事項だ。
当時コロナを言い訳に、家でダラダラして堕ちる所まで堕ちていた私は「このままでいいのだろうか」と流石に嫌気が差し、何を血迷ったのか1人でタイに行く事を決意した。
なぜタイなのか。なぜ1人なのか。
理由は色々はあるが、一番の理由は「1人で海外に行った」という事実で「家でスマホをポチポチしていた」という事実を相殺したかったからだ。
社会に出てから「大学生活をもっと有意義に過ごせばよかった」と後悔するおじさんになることだけは避けたかった。
だから「1人」「海外」という誰がどう見ても有意義な分かりやすいイベントに飛びついた。
今思えば、家から1歩も外に出ないやつが、急に空を飛んで海を越えるのは、リハビリにしては少々やりすぎた。
我ながら、骨折治りかけの人がフルマラソンに出場するくらいのすごさではあると自負している。
私は早速、なけなしのお金で1ヶ月後のフライトを予約した。
もちろん、その月の予定は0だったので、一番安い日にち2つを選択すると、それが出国日と帰国日になった。
予定というのは「まだまだ」だと思っていても、気づいたら明日になっている。
夏休みの宿題は最終日になってから取り掛かるように、前日に荷造りを始めた。
キャリーケースを使うやつはアホだというアホな考え方しかできなかったので、リュック1つに必要最低限な物を詰めた。
こういう時、何か入れ忘れている気がするが、「まあ忘れてたら向こうで買えばいっか」と自分に言い聞かせて、荷物を再確認する手間を省いた。
当日、「注意してもしすぎることはない」という中学英語で習った訳の分からない和訳から得た教訓をもとに、フライトの3時間前に家を出発した。
電車の中では「数時間後にはタイにいるのか」と思うと、ドキドキと共にワクワクが止まらなかった。
行きたい場所を調べたり、YouTubeでタイ語講座を見ていると、聞きなれない駅名のアナウンスが聞こえた。
慌ててスマホで時刻表を調べると、1駅乗り過ごしていたことが判明した。
一瞬焦ったが、余裕を持って出発していたので、「次の駅で引き返そう」と切り替えて、引き続きタイ語の勉強を再開した。
しかし、事の重大さに気づいたのは、引き返そうと思っていた駅に着いた時だった。
なんと、電車がその駅を通り過ぎたのだ。
一切のスピードを緩めることなく、むしろ加速する勢いで駆け抜けていく。
私は慌てて、再び時刻表を入念に確認した。
どうやら私は、空港ではなく和歌山に快速で向かっているらしい。
これは後で知ったことだが、私が乗っていた後ろの4両は、途中で乗り換えないと和歌山に強制送還される仕組みだったそうだ。
私は過ぎていく駅を一つ一つ見送りながら、全速力で逆走する電車に揺られ、ついに和歌山に到着した。
駅でもう一度時刻表を確認してみると、余裕を持って出発したことが再び功を奏して、ギリギリ間に合うかもしれないということに気づいた。
電車が来るまでの間、お腹が空いたのでコンビニで買ったパンケーキを取りだした。
パンパンのリュックの中で押しつぶされたパンケーキは、歪な形になっていた。
湧き上がる悔しさで、そのパンケーキをさらに押し潰すかのように握りしめ、口の中へ放り込んだ。
まだ間に合うかもしれないという一筋の希望と共に噛み締めたパンケーキは、こんな時でも甘かった。
引き返した結果、間に合わなかったが10分遅れで到着した。
受付の人に「もうダメですか」と聞くと「ダメです」の一点張りだった。
頭が真っ白になって同じことを3回聞いたが、3回同じ答えが返ってきた。
飛行機代5万円、ホテル代3万円、その他諸々合わせて10万円が、一瞬にして消えていった。
行く度に店長に怒られながら稼いだお金は、和歌山でパンケーキを食べたという思い出と等価交換された。
正直、10分くらいなら許してくれるだろうと考えていた私は、パンケーキよりも甘かった。
1分1秒の遅れが社会では通用しないということを10万円で学習し、下を向いて帰路に着いた。
本来あるべき場所に戻されたかのようにソファに寝っ転がり、残っていたパンケーキをくわえながら、スマホをポチポチした。
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