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【奈落の覗き窓】no.2 トリスタンの目覚め〜コンヴィチュニー演出

昼と夜の国

おさらいとしての「演出の意義」

「トリスタンとイゾルデ」が「不倫のオペラ」だと言ったら身も蓋もない話で、ワーグナー はその不倫含めた愛の諸相(憧れ、煩悶、嫉妬そして赦し)を起点に、ロマン派の「夜への憧れ」や高次的な哲学(たとえば「愛の死」における万物融合の概念)といった思想が盛り込まれている。
演出家はテクストが内包している様々な要素を読み解き、どのように舞台化するかが力量として問われることは前項でも書いた通りである。

例えばパトリス・シェローが2007年にミラノ・スカラ座でプレミア初演した演出ではこの愛の諸相をあくまで正攻法な人間劇として描き、黙役を多く使ってダイナミズムのある舞台だった。
一方、切り詰めた舞台と所作で形而上劇のように昇華したハイナー・ミュラーの演出(1994年バイロイト )は「愛の死」に向けた意識の越境、高次的な概念を舞台化した一例だろう。

2007年ミラス・スカラ座でプレミア初演されたパトリス・シェロー演出(1幕舞台)
1994年バイロイト音楽祭でプレミア初演されたハイナー・ミュラー演出(1幕舞台)

灯り、 「光」を強調する2幕

さてコンヴィチュニー演出の話に戻ろう。
2幕の冒頭のどこか痛みを伴うffのトゥッティの音楽、これが何を示しているかご存知であろうか。
これは他でもない「光の動機」または「昼の動機」なのである。
その冒頭は変ロ長調の主和音に不協音を噛ませた仕組みになっており、先に説明した通り、光が忌むべき存在であることをワーグナー は音で示しているのである。

つまり1幕幕切れのハ長調の主和音が鳴り響き中、コンヴィチュニーが示したイゾルデが遮ろうとしたものは、この2幕冒頭で音としてはっきり現れたことになる。

コンヴィチュニーの演出では1幕幕切れでマルケ王のもとに向かうべくトリスタンとイゾルデが嫌々舞台袖に向かって歩み出す。
そしてトリスタンに遅れて連れて行かれるイゾルデは、向かう先を見て眩しいとばかりに手で目を遮って幕となる。

耳澄【奈落の覗き窓】no.1 トリスタンの目覚め〜コンヴィチュニー演出より

さて音楽が有名な「愛の二重唱」に至ると、2人はキャンドルを取り出してご丁寧にマッチで火を点けてそれぞれに持つのだ。
次第に暗くなっていく舞台の中で2人はキャンドルの灯りで燈されながら、あの延々と官能的に上昇していく2重唱を歌っていく。

コンヴィチュニー演出 第2幕「愛の二重唱」の情景

ブランゲーネの警告の歌が過ぎると、トリスタンはそのキャンドルを高々に掲げたかと思うと吐息でその火を消してしまう。その箇所は以下の通りである。

トリスタン
「Laß den Tag dem Tode weihen! 昼なんて死に負けてしまえばいい」

楽劇「トリスタンとイゾルデ」第2幕第2場

死への憧れ・自らの死を「灯を消す」ことで示したと思われるが、イゾルデも以下の台詞でトリスタンを追って死ぬことを示唆すると自分の灯も消してしまう。

 イゾルデ
「Doch dieses wörtelein: und --wär'es zerstört, wie anders als mit Isoldes eignem Leben wär'Tristan der Tod gegeben?
しかし、2人を結ぶ絆「〜と〜」という言葉が断ち切られ、トリスタンが死を迎えることになるならば、イゾルデの命もこの世にはないものと思ってください」

楽劇「トリスタンとイゾルデ」第2幕第2場

そして灯りのない世界=永遠の夜の世界の中、2人は「愛の死」に先駆けて「死の音楽」を歌い始めるわけである。

イゾルデ
「Seinem Trug ewig zu flieh'n  まやかしの昼から永遠におさばらしましょう」

楽劇「トリスタンとイゾルデ」第2幕第2場

上の言葉をきっかけに2人は上着を脱ぎ、
黒衣の姿で「死の音楽」で昇り詰めていく。
昼からの決別、夜への越境。
それを示す黒衣、「夜の国」「死の国」へ向かう装束である。

昼と夜のパラレルワールド

しかし夜の没入、死への没入はマルケ王らの闖入によって阻止されてしまう。
不協和音が鳴る中、コンヴィチュニーは全ての劇場の明かりを点けてしまう。
ここまできたら、皆さんももうおわかりであろう。
白日の明かりの元、つまり「まやかしの現実」が再来したわけだ。

驚くべきはさっきまで愛の二重唱を歌っていた舞台の下にもうひとつの黒い舞台(夜の世界)があり、主役の2人はそこに逃げ込むのだ。
2幕は入れ子状態の舞台でできていたのだ。
この昼の外枠にある黒い舞台は以下のトリスタンが言う国であり、彼ら2人の思いは既にそこに在ることを示しているのだ。

トリスタン
「Dem Land, das Tristan meinender Sonne Licht nicht scheint: es ist das dunkel  nächt'ge Land  トリスタンの意中には、陽の光が差さない、暗い、夜の国」

楽劇「トリスタンとイゾルデ」第2幕第3場

上の舞台(昼・現実世界)ではマルケ王があの苦いモノローグを歌うのだが、
しかし、そのマルケ王は2人に裏切られたやるせない嘆きを訴えるために、途中からその黒い舞台へ降りていくのが面白い。
詰りたい一方で、彼ら2人への理解(夜への憧れ)を滲ませているということであろうか。

コンヴィチュニー演出 第2幕「マルケ王のモノローグ」の情景(金の衣装のマルケ王に対して黒い男女)

こうしてコンヴィチュニーは、
テクストにある台詞や事態に反応しながら、
灯りと光、そして二重の舞台を用いて
残酷な生と永遠に自由な死、これらを明らかにした2幕を提示した。

この項、続く。

https://youtu.be/uCW3-3xWDxI


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