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お化け屋敷から思考を現実化したみた


たしか10年以上前に「お化け屋敷を科学する」という展示があったと記憶している。そこでは、”怖いという感情は脳内で作られるんだよ”と結論づけるように展開していた。入場していきなりお化け屋敷の中を歩くことになり、まず驚かされる。そのあと説明やメカニズムがいろいろと展示してあり、最後の部屋には最初に体験したお化け屋敷内部を映し出されたモニターがあって、ボタンを押すことで仕掛けを発動させることができた。驚かされた側から驚かす側へ。ものすごく興味深くて面白かった。

怖いという感情は、想像力から生み出されたりもする。「ドン!」と突然鳴った音の原因はオバケなんだと連想するのは、”わからない”という空白を埋める脳内での想像なだけで、事実ではない(はずだ)。でも想像した時点で、そして怖いと味わった時点で、それ以上でもそれ以下でもない”怖い”という現実は生まれる。

こんなに長々と書いているわりに、私は怖いもの・・・お化け屋敷も苦手だったりする。今までお化け屋敷なんて最後まで歩けたことがほとんどなかった。友人と一緒に入っても、必ず途中でリタイヤしてしまった。

そんな私がひょんなことから、ある日とうとうお化け屋敷で働くことになった。俳優たるもの、演じる仕事はなんでもこなす・・・その先が、お化け屋敷の中の幽霊役だった。

そう、ルートや演出の細部までわかっていれば、きっと大丈夫だ。演じると割り切れば、大丈夫だ。そう思っていたものの、いざ本番初日が始まると、内心とてもドキドキしていた。スタンバイ後は照明が落とされ、暗闇が部屋を隅々まで包む。マネキンがこちらをじっと見ている。お客さんが私の待機する部屋に到達するまでの間、シンと張りつめた空気が重くて長く感じる。SEの不気味な音が響き渡る。

「驚かす側は楽しそう、ずるいよなあ」とよく言われるのだが、そんなことはない。書きたい本質が離れるので書かないけれど、暗闇の中では脳内の想像力が刺激されるのか、不気味な体験も少なくはなかった。セットの窓の外から、何かがじっとこちらを見ている気配すら感じる。「お願いだから、私を驚かせないで。一緒にお客さんを驚かせませんか。」と誰にお願いしているのかわからない協力を要請することで、心を落ち着かせようと努力した。

お客さんが入り出すと、次々に演出通りの驚かせ方を繰り広げる。スタンバイ時の静かな時間を忘れるくらいに、演じることに必死な時間がやってきた。手は抜かない。演出に沿って、客層によって演技の熱を変えるといった不平等なことはせず、均一にクオリティを保ち続けたつもりだった。

ある時、来る日も来る日も演じる中で、ふと疑問が湧いた。

「あれっ、同じように演じているはずなのに、お客さんの反応が違う・・・」

しらけて反応しない人。怒り出す人。かと思えば、泣いて悲鳴を上げる人。一瞬怖がって、驚いた自分に対して笑いがこみ上げてくる人。それは単純にお客さんの嗜好だと片づけてしまえば疑問にすら思わないのだが、同じことを提供している中で、受け取り手のコンディションが違ってくれば、こんなにも”現実”が変わってくるなんて・・・なんと興味深いことなのだろう。

ちょうどその頃、「思考は現実化する」といった本を読んでいたので、まさに現実目の前に実験が繰り広げられているような感覚がした。

これは・・・!お化け屋敷に限らず、起こる出来事の受け止め方を脳内で変えれば、楽しい方の現実を選択できるのではないか。大きな発見をしたような気持ちになった。

その後、ちょうど別のオーディションがあり、課題や緊張が続く場面を経験したのだが、せっかくなら実践しようと脳内でワクワクする方へと変換するように試みた。すると驚くほどに、あれよあれよとオーディションは合格し、見事大きな仕事を得た。

あのお化け屋敷で得た感覚は、生涯忘れたくないなあと今でも思う。


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