その悩みは定数?変数? -アメリカでの幼稚園探しで得た力-
初めての海外移住、子供の預け先が見つからない
2019年春、私はアメリカに引っ越した。
3歳1歳の子供を抱え、海外留学に挑む夫に帯同したのだ。もちろん知り合いは皆無。夫は社費留学のため、会社の同僚や上司などの伝手もない。
夫の会社制度では、社費留学は駐在と違って補助額も少なく人事総務的なサポートもほぼない。無事に学位を取って帰ること。他は自分で何とかする。それが社命だ。
夫の大学の授業が始まると、朝6時に出て夜8時に帰る生活が始まった。平日はワンオペ生活。早く預け先を見つけないと、いつか心身共に壊れてしまう。そう思った私は、事前にネットで当たりをつけていた日系幼稚園に問い合わせた。
幼稚園からは、予想外に車の有無を聞かれた。
アメリカのニューヨーク以外に住んだことがある方はわかるかもしれないが、アメリカで車を持っていないということは凄まじいビハインドだ。
公共交通機関は基本的に貧困層が使うものであり、大人1人ならまだしも子供が2人を連れて乗せるとなると、日中でも限られた路線しか使えない。
我が家には車がなかった。そんな事前知識もなかった。買うお金もなければ、会社からの補助も出ない。
車はありません、と答えると、それは厳しいですね...とやんわり断られた。
次に、車がなくても通える徒歩圏内の保育園に見学へ行った。これでなんとかなる、と思った矢先、高すぎる保育料に面食らった。月25万円。補助を受けても22万円。
絶対に出せない。
どうしよう...と途方に暮れた。車を持てないこと、補助額が到底、物価に見合っていないこと、夫や夫の会社の人的サポートが与えられないこと。全てに苛立ち、悲しい気持ちでいっぱいになった。
思い出した夫の姿、吹っ切れた瞬間
保育園見学の帰り道、ふと渡航直後のホテルでの出来事を思い出した。
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渡航直後のホテル。私は、夫はもう英語がペラペラだと思い込んでいた。渡航前の1年間、彼は眠る時間も削って受験勉強をしていたから。
しかし、いざホテルのフロントで困りごとを確認しようとした彼の質問は全く通じなかった。
夫は、嫌な顔ひとつせず、ペンやスマホを使いながらなんとか回答をもらい、勉強になった!と私に話しかけてきた-----
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夫は海外で働くという夢を諦められなくて、社費留学という選択を見つけ出しそれを勝ち取った。それでも、まだ成果がでない状況の夫にイラついて、依存する自分じゃいけないんだ。
そうか、自分でなんとかしなきゃいけないんだ。
何かが吹っ切れた瞬間だった。もっと安くて、かつ車でなくても通える預け先。それを自分で探さなければ。
次の日からGoogleマップで英語でpreschoolやchildcareと検索し、出てきた候補場所に歩いたり、日中バスに乗って出向く日々が始まった。
もちろん知らない道ばかり。周りを見ても英語を喋る人ばかり(当たり前)。候補にあがった場所はもう園自体が閉鎖されていたり、日本人の友達が知らない園もあった。
でもこの道を行くしかない。私ができることはこれしかない。
聞きたい事をまとめた英語メモをスマホに入れて握りしめベビーカーを押して、毎日ずんずん町を巡った。
そんな中で一軒、良さそうな園が見つかった。日本人は誰もいないという。見学を申し込み、カンペを見ながら先生と面談し、授業料を確認。
今までで1番安い。9〜13時のお弁当持参で、補助額超過分は月5万円。払える。払えるぞ!
初めて私がアメリカで達成感を得た瞬間だった。
定数と変数を見定める力
アメリカで鍛えられた力は、問題を分解して定数と変数を見定める力だ。
定数=車がない・補助額が生活水準に合わない・夫が多忙・夫の会社のサポートなし
変数=自分の行動と思考、工夫(車がないなら徒歩圏内を徹底的に回ってみる・補助額超過しても払える園を自分で探してみる・夫や会社に頼れないなら、自分の拙い英語でも伝わるようにメモする)
アメリカに来たばかりの私は、定数を変えられない自分に失望していた。同じく変えられない夫の非力さに苛立っていた。
でも定数は変えられない要素だから定数なのだ。
定数に悪態をつく私は、スーパーでおやつを買って欲しいとひっくり返って泣く我が子と一緒だった。
それはできないんだよ、と子供に目線を合わせて諭すように、じゃあ私にはできることはなに?車がなくてもお金がなくてもできることはなに?と自分に問いかけた。
考えて行動に移して解決策をなんとか捻り出す。問題の定数と変数を見分ける力は私に大きな自信を与えてくれた。
定数の枠を疑ったり、枠が変わるタイミングを待ってみてもいい
場合によっては、定数が思い込みということもある。
毎日街中を歩き回っていたら、道ゆく車に貼られたステッカーに気づいた。調べてみると、ジップカーというシェアリングカーサービスのロゴだった。
自分で勝手に決めた枠、定数に縛られていたことに気づいた瞬間だった。私は、車がないという状況を定数にして車の所有を諦めていたけど、手段を探せば変数になることを学んだのだ。早速シェアリングカーに登録し、買い物やレジャーに利用した。
その間も友人知人と話す際には、「車がほしいと思ってるけどお金がない」と嫌味にならない程度にふんわりと話題に出し続けた。
やれることはやったから、今は待つ時期だと思って種を蒔く気持ちだった。
すると、帰国する日本人から安く譲ってあげるとの話が舞い込んだ。念願の車をご厚意の激安価格で手に入れ、我が家はその後に訪れる想定外のロックダウンを乗り切った。
自分では一気に変えることのできない、お金がないという定数を、恥ずかしがらずさらけだして待つことで変数に変えるチャンスをいただけた。
自分ではどうにもならないことで自分を追い詰める前に
もし今、目の前の困難にぶち当たって途方に暮れている人がいたら、その困難の中にある定数と変数を分解してよーーーく見てみてほしい。
私は変えられないこと(定数)を嘆いて怒って悲しみに暮れて、なんで私ばっかり...と無意味に自分や周りのことを追い詰めてないか?と。
自分ができること(変数)で行動に移せてないことはないか?と。
逆に、できる行動をし尽くしたと感じるなら、自分や周りに感謝して、頼って、次のチャンスを待ってみる時なのでは?と。
自分に自信を持たせることができるのも、自分や周りを労われるのも、自分の行動だけ。
きっと自分の人生を主体的により良くするヒントが、その困難には必ず隠れているはずだ。
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