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中学時代-わたしが制服を脱いだ理由2

小さい頃から姉といつも比較された。
年子だから余計に。

「お姉ちゃんはーー」
ずっとそのフレーズが大嫌いだった。

「 年子だから 」という理由で教育も与えられたものも全て平等だったように思う。
ただ、愛情を除いてはーー。

中学校受験では、姉より偏差値の高い学校に受かった。
制服がかわいいことで有名な姉の学校に進学したいと言ったら
「特待生枠で受かったらね」と言われた。
もちろん合格したけれど、特待生ではなかったから結局辞退することになった。
たった1校しか合格できなかった姉が羨ましかった。

選択できる自由は不自由の裏返しで、いつまでも選ばなかったほうに未練と可能性を残していくから
「 選ぶ 」という行為が苦手のままわたしは大人になってしまったんだと思う。

両親は真面目で努力家な姉をいつも評価していたし、手のかかる姉をいつも気にかけていた。
褒められるのはいつだって姉のほうで
「わたしは両親に愛されていないんじゃないか」その思いは日に日に大きくなって、
それを裏付けるような両親の言動を見るのが耐えれなくて、家に居ることがどんどん苦痛になっていった。
「 もっとわたしを見て欲しい 」わたしの思いはたぶん、それだけだった。

入学した私立の女子校にもどうしたって馴染めなかった。

派手な外見とキツそうな顔立ちでよく誤解されたけど
「温室育ち」という形容詞がぴったりのクラスメイトとは、話しているのが退屈だったし、
かといって帰国子女のクラスメイトは自己主張が激しすぎて苦手だった。

だから家にだって学校にだって居場所がなかったわたしが、外の世界に逃げ出すのに
そう時間はかからなかった。

中学に入学してすぐ、大学生や社会人と遊ぶようになった。
大人びた容姿であまり年相応に見られなかったこともあってか色んな遊びを教えてもらった。
大人に混じって居酒屋で飲む、休日に車で海へ行くーー
全てが初めてのことで、新鮮だった。

私立の女子校の閉鎖的で平凡な世界の一員になりたくなくて
中学1年の夏休みを境にクラスメイトとは段々距離を置くようになっていった。

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