マガジンのカバー画像

トルタリ(トルニタリナイコト。シャシンと呟き)

57
シャシン。と、日々のあわいの呟き。 思えばずっとそんなブログを続けてきたのでした。 http://blog.livedoor.jp/mimei14/
運営しているクリエイター

記事一覧

「わたしの教科書」

おもしろい。 ミメオがTVで見て、ミメイが好きそうだからと調べておいてくれたコレ。 「わたしの教科書検索」 "あなたの生年月日から、小学生・中学生のころに使っていた国語の教科書をお調べします。" なるほど。と、やってみれば、たちまち小学校1年から中学3年までの教科書の表紙が。 おお、と思ったものの、すぐにうーんと首をひねる。 覚えていないのだ。 どんな教科書だったか、きれいさっぱり忘れてしまっているので、「ああ。これよこれ!」という懐かしさが襲ってこない。 ただ、小5の

+5

雨にうたれて

読めない。

ここ数年、いつも思う。 思わず呟いてしまう。 ちっさ。 新聞に掲載される「大学入学共通テストの問題と解答」の文字の大きさ、いや、小ささに驚いて。 たぶん10代20代なら、なんてことないんだろう。たとえ近視や乱視であっても、メガネやコンタクトを使えばちゃんと読めるだろう。実際、わたしだってそうだった。文庫本だって菓子袋の裏書きだって裸眼で読んでいた。 それがいつからか、ん? あれ? という事が増えて、もう老眼だからさあ、なんて自嘲混じりに言い始め、気づいてみれば、老眼鏡や拡大

+3

じょうびたき

末端。

鼻が、つめたい。 出かけるときはマスクをしているので、それほどでもないのだけど。 家でPCに向かっているとき、 本を読みふけっているとき、 くったり眠っているとき。 鼻だけがつめたーくなる。 そこだけ凍らせたみたいに。 びっくりするほどつめたいので、 「犬?」とミメオが笑う。 笑い事じゃないんだけど、と怒ると、 「鼻にカバーでもしたら?何かそういうのネットで売ってるんじゃないの」と言うので見てみたら。 あった。 あったけど。 これ?😂 でもね。 鼻がつめたい人ってけっこう

うららか。

新年恒例、箱根駅伝を追いかけるヘリコプター。 ばらばらばら、と音がして、 あ、来た! とリビングの西の窓の外を見ると、 とんび! いやいやいや、あれは違うでしょ と見あげると、もう北へ向かいつつあるヘリが。 いつもは茅ヶ崎から遊行寺へ向かうあいだを、 ホバリングしつつ進んでいくのに、 今年はスピードが速く、あっという間。 富士山は、ほわほわ雲をまとっているけれど、 風もなくて穏やかなお天気。 冬のリビングは日射しいっぱいの温室状態で、 カーテンを引かないと暑くて暑くて。 何

+3

今年の写真は今年のうちに(2)

日々は

写真は撮っている。 毎日、何かしら。 ごはんとか空とか飲み物とか空とか鳥とか花とかおやつとか空とか。 (空多め) でも、そのまま。 ツイッターとかFBとかnoteに上げるつもりはあるのだけど、 なぜだか上げそびれて。 まあいいか。 で。 日々は過ぎゆく。 ------------------ ここ数年。やるべきことやらねばならぬことに圧されるばかりで、やりたいことができなくて。あれもできなかったこれもやれなかった、と、できないことばかり数えあげ。 疲れ果て。 で。

Quiz

本棚。 さて。 誰の本でしょう。 ----------- というか。 さきほどの記事で。 悲しみを抱える、母親と、父親。 ひるまず、りりしい、少女ネリー。 彼らを思い描いたとき、ふと、心に浮かんだのだった。 この2冊の本のタイトルが。 これこそが、あの映画の主題では。 だからあの映画評を読んで、件の作家を思い浮かべたのは、 自然なことだったのだ。 と、あらためて思ったのでありました。 って、判じ物みたいな記事になっちゃいましたが。 うふ。 あしからず。

「秘密の森の、その向こう」

もうずっと映画館で映画を観ていない。それでも、映画評は読む。なぜか懸命に読んでしまう。 これも読売新聞の映画評にあった「秘密の森の、その向こう」。 監督・脚本は、フランスの才人、セリーヌ・シアマ。 両親と一緒に亡くなったばかりの母方の祖母の家を片づけに行く、8歳の少女、ネリー。家の裏手には、森。ネリーの母は子どもの頃、そこに「小屋」を作ったという。 が、その母がある朝とつぜんいなくなってしまう。家を出て行ったと言う父は、理由も語らず、「そのほうがいい」と言うだけ。 『平