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くだらない目的を共有できる人

私が10歳くらいだった頃、よく父と2人きりでチョコレートパフェを食べた。
1ヶ月に1回くらいの頻度だっただろうか。別の用事のために出かけた先の、最寄り駅にある喫茶店やファミレスで、着席してすぐメニューを開いて「チョコレートパフェ」の文字を確認し、私が食べるチョコレートパフェ1つ、父が飲むホットコーヒー1杯を注文するのが恒例だった。
用事の内容は買い物だったり、親戚の見舞いだったりと毎回様々だった。それでも父の私への誘い文句は決まって「一緒にチョコレートパフェを食べに行こう」だった。
私はチョコレートパフェが大好きなので、その用事が何であれ特に何も聞かず父に付いていき一緒に用事を済ませた。まぁ今思えばパフェを口実に用事に付合わされたというだけの話だけれど、当時の私はパフェを食べたいがために、父と一緒に出かけていた。 

普段、父と会話することは殆どなかった。2人きりで外出した思い出はこのパフェ目的に出かけた数件以外には全く無い。
それは父が仕事で家に居なかったからでも、無愛想だったからでもない。父はとても愛情深い人だ。好きじゃない仕事を毎日定時ぴったりに切り上げ、私たち姉妹に愛情をたっぷり注いでくれた。だけど、その愛情はどうしても身体が不自由だった私の姉へと強く傾いた。
深く、繊細な当時の父の愛。繊細さは時に鋭利さと背中合わせになる。
障害を持つ姉を世間の目から守ろうとする時、父はその鋭利な背中を周囲の人々へ向けた。そして、まだ子供だった私が無邪気な言動で姉を傷つけてしまった時も、父は私に背中を向けて姉を守った。
私なりに努力した部分もあるけれど、結局何気なく振る舞ったり話しかけたりすることが億劫になって、私は家の中でやんわりと父を避けるようになった。 そんな私の心を察していたのかは分からない。でも父が「チョコレートパフェを食べよう」と言い始めたのはちょうどそんな時期だった気がする。
パフェを食べる時、父は背中は見せずに私の方をずっと向いていてくれた。普段のことは特に考えなくていい、目の前のチョコレートパフェを美味しく食べればいい。ここは家とは違う雰囲気の喫茶店で、目の前には父がいる。たったそれだけのことに、当時の私は安心することができた。


普段の生活や人間関係が目的だけに支配されるのはあまり良くないことらしい。対人コミュニケーションのHowTo本や記事で、そんな内容を度々目にする。理屈は分かる。でも、体感として分からないなと毎度思う。
私は目的が未設定な場や状況がかなり苦手だ。「仲良くなるための場」のような、コミュニケーションそのものが真ん中に置かれている場も本当にダメである。気持ちがソワソワしてしまう。
目的を持たない関係。良い関係を築くためだけの場。それを心地よく感じられることは、とても素晴らしいことだと思う。でも、目的を何も設定せずに一緒にいることを楽しめばいいと言われても、実際に何をどうしたらいいのか分からない。
そして私の周りは目的ありきの関係性で溢れている。父とパフェありきで会話していたように、母にも目的を持って連絡をするし、気心知れた友人であっても何気ない曖昧な連絡は特に発生しない。なんだか自分が冷たい人間のように思えてくる。

だけど本音を言うと、私はこの目的ありきの関係を冷たいとも寂しいとも思っていない。
父とパフェを食べる時、私はとても楽しかった。毎回違う店でメニューをよく見ずに注文する。周囲のテーブルを見渡してどんなパフェが来るのかと父と一緒にワクワクする。テーブルに運ばれたパフェを前に父と言葉を交わす。その間、学校生活の話とか、普段の生活のこととか、パフェを待つついでに色々なことを話すことができた。私と父は、チョコレートパフェを食べることを口実にして、ちゃんと親子らしい会話を楽しめていた。
パフェを食べることなんて、本来の親子関係の上では何の意味もない。だけど、私たちに限っては違う。それは私と父の2人だけで共有できる特別な目的。

今すぐ目的のない関係を目指すのは、とてもハードルが高い。関係を満たすために、私にはまだ目的が必要だ。
だからせめて、父が作ってくれた「パフェを食べる」みたいな、少し的外れで互いにとってのみ特別に共有される目的設定を、自分に許したい。
一見意味のない目的でいい。生活上必要のない目的でも、その関係性においてトンチンカンな目的でいい。むしろトンチンカンな方がいいかもしれない。とにかくなんでも良い。

そう考えて改めて自分の周りを見渡してみると、大して重要ではない、くだらない目的を共有できる関係が私には沢山あることに気づく。
例えば、とにかく年1回やみくもに一緒に遠出をする友人。マッシュルームヘアの男性写真を発見する度LINEでシェアする友人。高尾山の登頂時間を毎週連絡してくる母。見つけた音楽を唐突に連絡してくる職場の友人…
くだらない目的を共有し合える時間が私は大好きで、とても豊かな気持ちになれる。

まだしばらくは、意味のない目的を共有しあえる関係を大事にしたい。今の私には、それが一番心地よい関係だと思えるから。

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