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自己紹介②〜「情けない」教員の勝ち筋〜

情けない教員

まずは、私の初任の6年間が
いかに情けないものであったか、
語らせてください。

  • 教育書など読もうと思ったこともなかった

  • そもそも研鑽など1mmも考えたことがなかった

  • 早く帰って遊びたい、以外の感情はなかった

  • 子どもは好きだが、感情で指導していた

  • 保護者にも子どもにも好かれたいと思っていた

  • 自分中心で生きていた

  • 他の先生と自分を比較し、すぐに落ち込んでいた

もうこれくらいでいいでしょうか‥
書きながら落ち込んできました笑

私なりに全力ではありましたし、
卒業生に合うと嬉しい言葉をかけてくれますが、
それは子どもたちが素晴らしかったにすぎません。

カリスマに憧れる

私は覇気もなく、カリスマ性もありませんでした。
いわゆるキラキラした、
笑顔の眩しい「the教員」に憧れ
何度もそれになろうと努力はしました。

今思えば無理なことなのですが、
クラスにいるだけで
子どもたちを明るくする人徳者教師に、
ならねばいけないと思い込んでいました。

授業もやる気はありました。
が、研究会に行くたびに新しい手立ての説明、
講演会では初めて聞く単語、
それを世間の当たり前かのように
話される推進大学教授。

正直、よりよくなることに
疲れ切っていました

挫折で得た「仕組みづくり」

この記事にあるように
私個人でどうこうできるレベルではない、
圧倒的な挫折を味わうことで、
「私づくり」→「仕組みづくり」に
シフトチェンジすることができました。
これは中々難しいことだと思っています。

経験を重ねた教員が、
新しい教育観を受け入れることは、
そう容易ではないからです。

挫折のおかげで、
私は「仕組みづくり」に着手できました。
そして、すぐに壁にぶつかりました。
仕組みがうまくいかないことに焦りました。

なぜ上手くいかないかったのか。
なぜ焦ってしまったのか。

それは、私の「信念」「在り方」
仕組みに存在していなかったからです。

ディズニーランドの素晴らしい接客の仕組みを
他のテーマパークが 形だけ マネしたところで、
それはハリボテに過ぎず、
きっと来場者に見抜かれるでしょう。
私の授業はまさに
ハリボテのテーマパークそのものでした。

しかし、ハリボテながらも
運営することはできました。
苦しみながら、もだえながらも、
来場者(子ども)の反応を分析しながら、
自分なりの信念を作りあげていきました。

彷徨い続けた「私づくり」から脱却できた喜びは、
人生史上第3位に当たるほどでした。
(1位子ども2位結婚と思えばなかなかです笑)

「情けない」教員の勝ち筋

結論、私個人はいまだ「情けない」ままです。
しかし、最初に挙げた項目全て、
今では綺麗に正反対の結果となって
行動するようになっています。
(良いか悪いかはさておき)

茄子は茄子にしかなりません。
「情けない」ことを受け入れることが、
勝ち筋の一歩目となります。

「仕組みづくり」が
どれだけ有効なものか、
少しでも伝わりましたでしょうか。

自己紹介はほどほどにして、
次回からはマーケティング、
行動経済学の視点を取り入れた
具体的な実践と考え方に
入っていきたいと思います。



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