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私がワーキングホリデーを決断した理由

25歳の秋、2017年の10月にオーストラリアのメルボルンにワーホリで来ました。実はそれまで数回しか海外に行った事がなくて(韓国、台湾、グアムのみ)もちろん一人で海外に行くなんて経験もありませんでした。でもその後、20歳頃(仕事を始めだした頃)からずっと留学してみたい、英語圏の国で英語を勉強したいと考えだしました。ちなみに学生の頃の私は王道かもしれませんが、英語は大嫌いで日本に住んでるのになんで英語なんているの?使う機会なんてないよね?って感じでした。笑

私の中で海外に行こうと決めた大きな理由はざっくり2つです。

その1 バイヤーになりたかった

その頃アパレル業界で働きはじめてどっぷりファッションにハマりまくっていた私。販売員だけじゃ物足りない。みんなと違うことして違う世界に触れてなんとかキャリアを手に入れたい。私の働いていたアパレルブランドのバイヤーの方たちが年に2回の勉強会で海外でのファッションウィークの話や買い付けの話を聞かせてくれたのがきっかけ。その頃の私は目をキラキラさせてその話を聞いて、かっこいい!私もバイヤーになって世界を飛び回りたい!ファッションウィークに絶対いつか行きたい!と若く野心メラメラでした。笑 で、その過程で海外飛び回る=もちろん英語必要と繋がりました。

その2 日本籍じゃないが故の劣等感や差別

私は日本で生まれて日本で育ちました。自分はれっきとした日本人で周りの子達となんら変わらないと思っていました。でも私の両親が韓国籍だったので名字が日本名ではなかったり、小学校は日本にある韓国の学校に通っていました。中学校から日本の学校へ通いだしました。その頃からいじめられることはなかったものの、私の名字のせいで嫌な思いや恥ずかしい思いを何回かしました。周りはきっとそこまで悪気はなかったんでしょうが思春期真っ只中の私が傷つくには十分でした。高校の修学旅行では台湾に行くことになりパスポートが必要。私は韓国籍なのでみんなとパスポートと色が違う。その時、なぜ日本で生まれて育っているのに日本籍にじゃないのか疑問が沸き父親に聞いてみました。すると父親が今の日本は日本で生まれて育ったとしても両親が韓国籍なら韓国籍になる、日本籍に変更しようとするなら厳しい審査があると教えてくれ、それと同時に選挙権がないのと国家公務員にもなれないという事を知りました。すごくショックでした。自分は今まで日本人と変わりないと思っていたのに日本はそれを受け入れてくれない。大好きだった自分の国が自分の国じゃなく差別国家でしかないとその時思いました。それを機に他の国はどうなのか、日本が私を日本人として受け入れてくれないなら海外に住むのもありじゃないか、と考えだしました。


ざっくりこんな感じの理由で海外にいこうと決めました。オーストラリアに決めた理由はそれ以外に選択肢がなかったからです。(なかったわけではないですが韓国籍の私が日本から申請できるのがオーストラリアだけでした)

決断してからは全く迷いもなく、本当に若さが故のパワーです。働きまくり、お金をためて、留学センターに相談に行き(なんせはじめての海外だったので経験がなくかなりお金払いました笑)、英会話に少しだけ通い、瞬く間に出発という感じでした。ちなみに両親には全く反対されなかったです。父親がわたしがお父さんっこだったのでかなり寂しがっていたくらいです。


海外に留学することは、チャレンジしてみたいという気持ちとある程度の貯金があれば誰でもできます。決して難しい事ではないです。私は一度しかない人生、いろいろな人に出会って、色々な文化を知って、日本を客観的に見てみる経験もありかなーと思います!私は実際メルボルンに住んで自分の色々な事に対しての価値観が、かなーり変わりました。


書こうと思えばまだまだ書けますが、きっと長すぎる文は書くにも読むにも疲れると思うので(笑)この辺りで終了させていただきます。


もしきちんと読んでくれている人がいたなら、ありがとうございます♡

あなたに幸せが舞い降りてきますように♡

MIKAAN

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