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理想的な作詞教室ってどこにある?

作曲教室や脚本教室や小説講座に
ハマっていたことがありました。

テニスクラブにも通っていたし、
ミュージカルダンスやジャズダンス、
ボイストレーニングにも通いました。

このまま行くと
年寄りになる頃、

鎌倉彫りくらいしか
習うものが残らへんのとちゃう?

と友達に言われたこともありましたが、

実はこっそり作詞教室にも
通っていたことがあったのです。

投稿雑誌に、ユーミン崩れみたいな
歌詞を書いて
投稿を繰り返していた時期、

ええい、ならっちゃえ!と

あるレコード会社の
新人作詞家育成講座に大金を払いました。

半年分の授業料を前払いすることが規定だったのです。

お稽古を始めたいと思ったら、
ちゃんと調べず、見学もしないで
お教室にいきなり飛び込む、

というのが当時の私のスタイルで、

その作詞教室も「歌謡曲のお教室?」的な曖昧な感じでぱっと決めて

よくわからないのに、ててててて、と、うきうき出かけて
受付で言われるがままに授業料をまとめて払いました。

その数分後に始まった第一回の講義。

椅子に座って10分後に

演歌の作詞教室だった!

・・・ということに
気づいて真っ青になったのでした。

演歌は、ほとんど聴かないですう。。。

さらに、
講師は元いた広告会社に
勤務しているコピーライターのおじさんだと
いうことにも気づき、

えーーーっっっ。

先生はおだやかなおじさんで、にこにこと
「この中で、コピーライターのひと!」
とおっしゃったので、

うつむきながらそうっと小さく手をあげました。

それを見ていたらしいクラスの後ろの方に座っていた
知らない若い女の子に帰り道に声をかけられ
お茶しませんか?と誘われました。

とても若いОLさんで、
教室近くの喫茶店で珈琲を飲みました。

「できるだけ大手の広告代理店に転職したいんです!なにか方法ありませんか?」
ということでした。

確かにそのとき私は
広告代理店には勤めていたのですが、

そのОLさんが目指す大きな会社を紹介してあげるほどの力もなく、

困ってお店の窓を見たら、
夜のどしゃぶりで悲しくなりました。

いったいあんな大金を払って
ここへ何をしにきたんやろ・・・。

結局、
「胡蝶蘭」という演歌の歌詞をひとつ
宿題として提出して(どんな歌詞だったかは忘れてしまった・・・)

ひと月ほどでやめてしまいましたが
残りの授業料は戻ってこなくて

どよーん。て感じです。

しかし、そんなこともすぐ忘れてしまったのか、

その後すぐ、こんどは「秋元康作詞塾」に入会しました。
通信講座です。

あの秋元さんやん!

テープも送られてきたので

これは本格的やん!

コレ聞きながらオシャレな歌詞を書くんやん!

るんるん♪

と思ったら、

はじめの課題は、

「雨のマンホールに赤いハイヒール」
のようなベタな都会的な写真を見て、

「広告コピーを書きなさい」
というものでした。

私は、そのとき
コピーライターになってからすでに
何年もたっていたんです。

新人ではありません。

ちゃんとコマーシャルも作ってたし。
雑誌広告もキャンペーンも制作していたので

「ちぇっ、なーんや。こんな課題だして秋元さんてば。
プロに対して失敬な! 

でも、簡単すぎるう、得意すぎるう、この課題・・くくっ
提出したら、秋元さんに

「キミ、ダントツ上手いね。もしやプロ?」

とか
気づかれちゃうよーん~ぷぷぷ」

と、にやにや妄想しつつも、けっこうしっかり考えて
時間をかけて推敲して原稿を書いて提出しました。

が、しかし。

一週間後、原稿は真っ赤に添削されて
かえってきたのでした。

秋元康氏に赤ペン先生が雇われているなんて
驚きでしたが、

自分のコピーをあんなに丁寧に赤ペンで添削されていたのも
はじめてで、ぎょうてんしました。

赤ペン先生の感想欄には

「あなたがもしも、プロのコピーライターだったとしたら
きっとこんな文は書かないと思います。

プロのコピーライターさんが書いているコマーシャルを
テレビでよく見てもっと勉強しましょう!」

という、やさしい赤い文字で励まされ・・・

て。なんでやねんっ。

さすがに
いつも、ぽーっとしている私とて

ブチきれそうになり
一回で辞めてしまったのでした。

しかしあの講座で作詞家になったひとって・・・
いるんかな?

それにしても
お稽古好きは、お金がいくらあっても足りませんね。。。