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ある古美術商への飛び込み営業で本当にあった怖い話

8月の終わりなので怪談噺でも一つ、と思ったのだが、じつを言うとこわい思いというのをあまりしたことがない。

生まれつき霊感がまったくなく、そのわりに中学校まではひどく怖がりだったのだが、高校のときにふと「これまで一度も幽霊の気配すら感じたことがないということは、いるいないは別にして俺には霊感がない。それなのに、『いそうな感じ』を怖がる意味とは……?」と考えてすっかり恐怖心というものと疎遠になってしまった。

しかしそれでもたとえば夜道に背後から殴られるとか、そういうのはやっぱり怖いなと思うし、大学時代、酔って記憶をなくし、翌朝血まみれだったことがあるので(たぶん誰かに殴られたんだろう)、これなんかはたいへん怖いと言えば怖かった。

でも何しろ記憶がないので、それを恐怖体験に含めていいのかわからない。そんな感じで、自分は比較的恐怖というものと距離を置いて生きてきたように思うのだが、そんな私にも怖い体験というのはやはりある。

だが、じつのところ、今からする話を「怖い」と表現するのが正しいのかどうかはいまだによくわからない。わからないけれど、あの時の出来事を思い出すと、いまだに背筋がぞぞっとなるので、たぶんあれは恐怖だったのだ、とそう最近になって理解できるようになった。

それは私が第一回アガサ・クリスティー賞をとって小説家になる一年前の夏のことだ。

その二年程前から、とある広告代理店を辞めて自営の広告業を開始していたのだけれど、これがまあひどい結果で、前の職場などで付き合いのあった企業から少しは仕事がとれるんじゃないかと期待していたのが、まったく総スカンを喰らってしまった。

結果、飛び込みで電話で営業をかけるしかなく、毎日タウンページ片手に近所の個人店に「チラシつくりませんか? ホームページつくりませんか?」と手あたり次第に電話をかけていた。

営業というのは一度やり始めると「営業ズハイ」とでも言えるような心理になるもので、10件連続でひどい目にあっても「はははは、はは、ははは」と笑いながら次の店に電話をかけ始めていたりする。しかし、それもいよいよ限界に近づいていた。とれた仕事はわずか2,3件。あとは出版社に思い切ってかけて獲った漫画編集・脚本の仕事のみ。

預金はいよいよ当月分をもって底をつこうとしていた。5人家族を養うには何が何でも仕事をもぎとるしかない状況だった。私はその日、夕方までありとあらゆる業種に電話をかけ続けた。

130件ほどかけ、もう今日は諦めよう、と思いかけた時だった。ダメ元でかけた店から「チラシね、作りたいよ。いくらでやってくれんの?」と言われた。
「業界の底値でやらせていただきます」
「底値がわからん。一回来てくれ」
いま考えればずいぶん愛想のない声ではあったが、そのときは気にしなかった。

そんなわけで、翌日、そこへ行くことになった。業種は古美術商。店名は仮に「シャトー」としておこう。西武線で二駅乗り継ぎ、さらにそこからバスに揺られてゆらゆらゆら。だいたい45分くらいかけてようやく到着した。

店の前に立った瞬間、何とも言えない嫌な予感がした。庭が荒れ果てている。それもふつうの荒れようではない。ところどころに日本庭園の風格を残そうとするかのごとく松の樹が配されているが、それよりも尋常ではないガラクタが無造作に積み上げられているのが気になった。

ただ引き取ってきただけといった感じの無数の石灯籠、風車の壊れた車輪、たぬきの置物、古びてささくれだった畳、そういったものがそこかしこにあり、雑草がその合間にぎっしりと生えていて、いずれはすべてを食べつくそうとしているかに見えた。

店の窓には歌舞伎役者が大見得を切るところを描いた浮世絵と教会のステンドグラスのシールが並んで貼られてあった。統一感というものがまるでない。何もかも、ただとりあえず集まるものを集めています、という感じだ。古美術商とはそういうものか? あまり古美術商と付き合いのなかった自分には判断がつかなかった。

けれど、とにかくその庭自体が何だかいやで、逃げるようにして引き戸の前に立ち、インターホンを鳴らした。だが、誰も出てくる気配がない。というより、インターホンが鳴った気配がそもそもなかった。迷った末に、私は引き戸を開けた。

途端に、顔をしかめてしまった。

異臭がひどかったのだ。食べ物が腐った匂いと、何か動物の尿や糞の匂い、毛の匂いが混ざり合っている。むかし、小学校の頃にウサギとニワトリが一緒に飼育されている小舎が校庭にあって、その当番のときに嗅いだ匂いを少し思い出したが、しょうじきそれよりもきつかった。

きついのは匂いばかりではない。店内の雰囲気自体がいびつなのだ。壊れたテレビや冷蔵庫、時計、エアコンといった粗大ごみの家電、どう見ても三流品以下のような安っぽく大きいだけの壺。半分に割れてしまった阿弥陀如来。子熊の剥製。

そして、ひときわ巨大な鴉の木彫り。

立派な名のある職人の手によるものかも知れないが、置かれ方がザツだし、何しろ周囲が周囲だ。とても美術品として観賞できる状態にはない。蜘蛛の巣も張っている。ただ、異様なまでにこちらを威圧してくる目をした鴉ではあった。

さらに私を驚かせたのは、一匹の犬の登場だった。身体中に皮膚病のような疾患があり、毛も埃や煤をかぶったものかひどく薄汚れていた。何より表情が、犬にありがちな人懐っこさや、反対に人を警戒するような感じがない。

まるで鳩と目が合ったような感じだった。犬と対面してこんな印象を抱くのは本当に初めてだった。たいていの犬は好奇心であれ恐怖心であれ、何らかの感情を示してくれると思っていたが、その犬からは感情というものがまったく感じられなかった。

しかし私はここへ遊びに来たわけではない。そそくさと黙って逃げかえるわけにはいかなかった。何しろ、来月の収入がかかっている。

「こんにちは……昨日お電話でお話をさせていただいた広告屋です」
できるだけ奥にいる人間に届くように、ゆっくり、はっきりと声をだした。

だが、誰も出てくる気配がない。犬は私にかまうでもなく、鳩みたいな目をして店内をよたよたと死に場所を求めるみたいに歩き回っている。私はできるだけその犬に近づかれたくなくて、とにかく身を固くしていた。

しょうじきに言えば、全身が痒くなりそうだった。犬アレルギーではない。その場のよどんだ空気全体のためだった。もう神経がどうにかなりそうだった。

勇気を出してもう一度声を出そうか、と思っていると、ずりずりと足音がして、一人の老人が現れた。白のよれよれのタンクトップに穴のあいたジャージを着たその人物は、右目の黒目が白濁しており、左目はなぜか犬と揃えたみたいに鳩を思わせた。感情の片鱗がまったく見えなかった。

「誰だ、おまえは?」
「はじめまして。昨日広告の件でお電話をさせていただいた者です」
「コーコク? なんだおまえ、詐欺か何かか?」
「いえ……」
困っていると、老人は突然犬を蹴り上げた。
犬はきゅいんとひと泣きしただけで奥へと消えていった。
「ばか犬めが……」それから私を見る。「なんだ、おまえまだいたのか?」
「あの、昨日、お電話でチラシのお話をさせていただいたと思うのですが、その際に見積もりを具体的に、ということでしたのでお持ちしました」

コーコクは理解できなかった老人だが、チラシという言葉でようやく昨日の電話とつながったようだった。

私は用意してきた料金表を見せた。その料金表は、控えめに言って、当時の広告デザインの料金の平均値を大きく下回る、本当にこれより安いところでやる会社は絶対にないと言い切れる値段だった。

ところが、老人はじっと見つめた後に一言こう言った。
「話にならんな。3000円でやれんのか」
「3000円……ですか……」
ああ、これは旨味ゼロだ、とすぐにわかった。だがそれでも回れ右できなかったのは、その場の異様な空気に支配されてしまったせいかもしれなかった。

巨大な木彫りの鴉が、そのあいだもじっと私をにらみ続けていた。匂いを嗅がないように続けている口呼吸もそろそろ限界が近づいていた。

私は「そうですね……3000円ですか……一度事務所に戻って検討しまして……」ともにょもにょと言った。どうにかはっきりとした返事は避けて、この場を逃げるしかない。そして二度と連絡はしないでおこう。それしかないだろう、と思った。

そのとき突然、背後から黒いスーツをまとった人相の悪い男たちがぞろぞろと入ってきた。全部でたぶん7,8人はいただろうか。どう見ても東宝のヤクザ映画に出てくるタイプの連中だった。

私はその者たちがカタギの人間ではないと思った。何とも言えず、修羅場を潜り抜けてきた匂いが立ち込めている。

頭がパニックを起こしかけていた。何が起ころうとしているのかまったく予測できなかった。唯一可能性らしきものが浮かんだのは、男たちが全員店内に入って、先頭の、扇子で仰いでいたガタイのいい男が、扇子をしまったときだった。

そうか、私はあの飛び込みで営業電話をかけた時から何らかの罠にはまっていたのか。彼らは何かよくわからない理由で私をこれから拷問にでもかけ、金銭を奪うか、さもなくば臓器でも売ってしまうかするのではないか。

あるいは、妙な被害をでっちあげられて、こちらがその賠償を請求されるのか……。

店内はひどく狭い。そこに黒いスーツの男たちが7,8人もいたら、全部で10人がいることになる。この世の果てのようなこんな場所で、なぜ自分はこんなかつてない状況に陥っているのだろうか? 

身体が、寒気を感じればいいのか熱をもてばいいのかすら判断しかねて、いっそ嘔吐を催しそうだった。

その時、そのガタイのいい男がおもむろに内ポケットから黒い手帳を取り出した。テレビの中でしか見たことのない警察手帳というやつだった。
「先日、●●湖の底から白のカローラが引き上げられましてね。車のナンバーを照会したらこちらのお車だと聞きましたもので」
老人は、動揺はまったくなく、ただぼんやりと刑事を見返すと、「カローラ、ああ、それはうちの車だね。ちょっと人に貸してるが」と答えた。

「どなたに貸したか、おわかりになりますか?」
私の脳内ではすっかりヤクザになっていた、ガタイのいい刑事が丁寧な口調で尋ねる。
「いま考えてるよ。ていうか、なんで湖の底なんかにあったんだ?」
「それは調査中です。ちなみになんですが、そのお貸しになった方、20代の女性ではないですよね?」
「……知らんなぁ。たぶん違うと思うが、思い出せん。電話帳を調べてみよう」
「電話帳を調べると、車を貸した方がわかるんですか?」
「知らんわ。やれるだけやってみるだけだよ」
老人は不機嫌な様子で奥へ引き返しかけ、私のほうを見やった。それから言った。
「なんだおまえ、まだいたのか? 3000円でやるのか?」
「け、検討させていただきます……失礼します」

私は刑事たちの脇を頭を下げながら通り、どうにか外に出た。石灯籠や車輪の残骸に囲まれたいびつな庭を抜け、道路に出るまで、自分が呼吸をしていたのかどうかも覚えていなかった。

私はその後、ちょうどやってきたバスに飛び乗って駅に戻ると、すぐにドトールに入ってアイスカフェオレを頼んだ。慌てて飲んだのでシロップを入れ忘れた。席について1分と経たぬうちにアイスカフェオレが空になってしまった。

口の中は、なおもからからだった。私はふたたび注文すべく、カウンターへ向かった。それから、例の鳩みたいな目を思い出した。でもそれがあの薄汚れた犬の目なのか老人の目なのか、それさえ判別できなかった。ただ、ゆっくりと大きなため息をついた。

そして、その日からまる十年、私はその地へはまったく足を運んでいない。もちろん、その老人と刑事たちの話し合いがどうなったのか、なぜ白のカローラが湖底から発見されたのかなどは何もわからないままだ。

じつを言うと、この日の体験を、長いこと誰にも話せずに来た。その出来事に何と名前をつけたらいいのかよくわからなかったからだ。とにかく、地獄の門の前に立ち、引き返してきたような虚脱感があって、思い出すたびにその記憶は私を落ち付かない気持ちにさせるのだった。

今でも、困難に出会うと、あの日のことを思い出す。そして、なあに、どんな困難であれ、あの小汚い空間の磁場に支配された瞬間に比べればマシじゃないか、と思ったりする。そういう話である。

しかし誤解してほしくないのだが、あの空間が恐怖と結びついていたのは、決して不潔だったからとか、雑然としていたからというわけではない。ずっと自分でもうまく整理できずにいたのだが、あのときの恐怖はたぶん想像力の欠落というものと結びついていたんじゃないかという気がする。あの老人の目、あの犬の目に共通したがらんどうの気配、そのがらんどうに支配された空間だったからこそ恐ろしかったのに違いない。そして、もしかしたら、あのままあの世界に取り込まれてしまうことだってあり得たかもしれない、という自我の危うさを垣間見た瞬間でもあった。人間はいつの間にか、自分でもどうしようもない力によってとんでもない世界に足を踏み入れ、二度と戻れなくなったりするものなのだ。

とはいえ、恐怖の構成原理がわかったところで、そこに教訓らしいものが特にあるわけではないのだ。それはここまで語ってみた私自身が言うのだから間違いないだろう。だからやっぱりたぶんこれは、一個人の、本当にあった怖い話、でいいのだと思う。

END

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末筆ながら、はじめていらっしゃった方、はじめまして、小説家の森晶麿と申します。
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