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詩学探偵フロマージュ、事件以外 3日目:初依頼とフラミンゴ

 よっこらせ、とその年寄りは言った。
「このオフィスは以前はわしのものだった」
「そうなんですか」
 事務所の片付けをしていたら、突然現れたのだ。
 何の前触れもなく現れたこの老人を、
 仮に「夕立ちさん」と名付けてみたい。
 夕立ちさんの出で立ちは、黒のロングコート、
 赤いマフラー、紺のシルクハット。
 これらが彼の白髭の「白」を色彩として際立たせ、
 黒、赤、白、紺という四色入りフィギュアとして、
 私には認識されている。
 これというのも、前夜に私がポオの小説なんかを
 読んでいたせいなのかも知れない。
「アッシャー家の崩壊」なんかを読んでいると、
 色彩の構成が物語の筋を追うのとはべつのところで
 人間の無意識に効果をもたらしている気がする。
 とまあこんなことを考えるあたり、
 雇い主の土堀ケムリさんに影響を受けている。
 それはさておき、夕立ちさんだ。
 夕立ちさんはさっきから私相手に
 以前このオフィスで事業を展開していた頃の
 武勇伝を話し始めた。
 すごいですね! へえ! そーなんですか!
 この三つを巧みに組み合わせて話すこと一時間、
 いよいよ話題が尽きた頃合いで夕立ちさん曰く。
「それで、フロマージュ探偵はどこにいる?」
「あいにく今日はお休みをいただいております」
 というか本日は土曜日。
 就職が決まった際にいつが休みか聞き忘れたので、
 ひとまず出社してみたらもぬけの殻。
 慌ててケムリさんに連絡すると、
 休みの日なのに何やってんだと返された。
 まあせっかく来たので、と片付けを始めていたら、
 夕立ちさんが現れたというわけだ。
「何だ、あいつに聞きたいことがあって来たのに」
 これは初の依頼か。
「私でよろしければ、承らせていただきます」
「そうかね。では……」
 そう言って突然夕立ちさんは歌い始めた。
 何と、歌っているのは米津玄師の「フラミンゴ」。
 この歳でよくぞというほど音も整った見事な歌唱。
 しかし、目的が読めない。
 私はなぜ休日出勤までして、
 こんなところでご老人の歌を聞かされているのか。
「お、お上手です……」
 ひとまずパチパチと拍手をしておく。
「いや、べつに歌はうまくないと思うのだ」
「そんなことはありませんよ、お上手で……」
「そうではなく、わしはこの歌詞の意味が知りたい。
 なぜ唐突にフラミンゴが出てくるのか。
 『毎度あり次はもっと大事にして』は誰の台詞か。
 とか……ほかにも謎は山ほどある。
 そもそも男と女どっちの気持ちを歌ったのか」
「歌詞なんて意味不明なところが
 あったほうがいいのでは?」
「そんなことはない! 
 『木綿のハンカチーフ』なんて
 名曲だがどこにも謎はない!」
「れ、例が古いですよ。
 でも昔から井上陽水さんの歌詞は謎が多いですよ」
「だからわしは奴を歌手と認めておらんのだ」
「ううむ……」
 べつに夕立ちさんに認められなくても、
 井上陽水は少しも困らないだろう。
「でもとにかく、『フラミンゴ』を解明せよ、と
 そう仰るのですね?」
「できるかね?」
「……一日ください。やってみます」
 頼んだぞ、というと夕立ちさんは
 そのまま上機嫌に「フラミンゴ」を
 熱唱しながら帰っていった。
 そして、私は遅まきながら気づいた。
 料金について説明し忘れた、と。

 夕方にケムリさんが現れた。
 こげ茶色のセーターとデニムというラフな格好。
 これはこれでギャップ萌えだわ、と私は考える。
「まだいたのか、君は」
「ええ、片付けがあったので」
 ふうん、と言いつつケムリさんは
 ピカピカになったオフィスを眺めまわす。
「新体操でも始められそうだな」
「始めてもいいですよ?」
「何か変わったことはなかったか?」
「変わったことですか……。
 以前この事務所にいたという方が」
「そんな人はいるはずがない。
 このビルが建ってすぐにここを借りたからね。
 新手の泥棒じゃないのか?」
「でもケムリさんのことを知ってましたよ?」
「ますます怪しいな。で、そいつの用件は?」
 私はかいつまんで事の次第を話した。
「なるほど。米津玄師の『青春アミーゴ』か」
「『フラミンゴ』ですよ」
「なかなかの名曲だよな。
『私意外と私じゃないの』っていうフレーズがいい」
「……それゲス乙女。
 しかも『私以外私じゃないの』です」
「そう、それ。名曲」
「いまは『フラミンゴ』の話です」
「知っていたかね?
 フラミンゴは生まれた時からピンクではないんだ」
「そうなんですか?」
「はじめは茶色。ちゅんちゅん鳴く。
 次は黒くなってゴミの周りを飛び回る。
 で、最終形態がピンク」
「……信じかけました。
 最初の茶色は雀ですよね。
 次の黒はカラス。
 べつの鳥ですから。
 雀が成長してカラスになると思ってたんですか?」
「違ったんだね。了解。
 でももともとピンクじゃないというのは本当だ。
 もとは白だった。それがピンクに変わる。
 摂取する食事の色素による変化だ。
 この特性は楽曲の意味を解くキーにはなる。
 だが、それだけではムリだ」
「もしや、ケムリさんはすでに答えを?」
「当然だ。当然すぎて答える気にもならん。
 だがその案件は俺がその場にいたら断っただろう。
 あまり金になりそうにないからな。
 だから俺は答えを与えない。
 君が解け。明日までに」
「そ、そんな……ひどい……」
「甘えるな。君が勝手に受けた依頼だ。
 しかしそうだな、ヒントはやろう。
 ヒントは……人工知能、だ。
 健闘を祈る」
 そう言ってケムリさんは出て行ってしまった。
 あの人、何しに来たんだろう?
 私が残っているから様子を見に?
 いやいや、それは自惚れすぎか……。
 それにしても──。
「人工知能って……何ですか、そのヒント」
 思いがけずこの問題は、
 その夜私を大いに悩ますことになったのだった。

(四日目に続く)

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