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タイトル公募900字小説「9月に始めたい存在しない習い事」5連発

先日、Twitterにて「#9月に始めたい存在しない習い事」というのを募集しまして、そこに皆様からご応募いただいた架空の習い事を5つ選び、タイトルにして900字小説を書きます、と言いました。そして、昨夜無事に5つのタイトルが決定しました。さて、どんな話になったか。以下ごらんください。
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蝉の声回収講座

 そろそろ何もない抜け殻のような日々から脱しなければならなかった。ミコが最後の荷物をとりに来てから二十日経った。「またテニスでも始めたら?」青ざめて昼間の幽霊みたいな顔をした俺を見て、ミコは去り際にそんなことを言った。余計なお世話だ、と思った。でもたぶん、ミコなりに「何か無理にでもやるべきことを見つけなければ、あなたは私のことばかり考え続けるでしょ」と言いたかったのに違いない。そして、まあそれはその通りだったのだ。
 俺はミコから逃れるために、とにかく動かなければと思った。
「あのさ……何か無理にでもやるべきとは言ったけど、なんで私の参加してる講座にやってくるのよ。それはちがうでしょうに」
 ミコは迷惑そうに小声で言う。そう、俺は何かやるべきことを探していた。そして、見つけたのが「蝉の声回収講座」。同棲していた頃に、ミコがその講座に興味を示していることは知っていた。けれど、「おもしろそうだよね」と話していただけだったし、彼女が参加していると知っていたわけではないのだ。
「おまえがいるとは思わなかったんだよ」
「でも、絶対にいないとも思わなかったでしょ?」
 すると、講師から注意された。「そこ、しゃべらないで」慌てて俺たちは黙った。講師は団扇と風鈴を各席に配った。
「ここにお集まりの皆さんは、蝉の声を回収し忘れた皆さんです。でも大丈夫。目を閉じて、団扇を仰ぎ、風鈴を鳴らしてください。次に影になりそうなほど暑かった日を思い浮かべてください。あなたは坂の上にいます。坂の下から誰かがやってきます。その人とあなたは初対面。その坂で初めて出会い、目が合うのです」
 目蓋の裏の坂の下からミコが来る。まだ出会う前のミコが。目が合った。きれいな目。その瞬間、突如左右の鼓膜が割れそうになるほどの音量で、蝉の声が響き始めた。もう講師の声は聞こえない。ふと、机に置いた手の甲に、冷たい手が触れた。俺たち二人はいま、影になりそうなほどの、いつかの猛暑のなかにいた。

 蝉の声を回収した俺たちには、どんな未来が待っているんだろうか?

 ペストマスク制作教室


 「よしこれで完成です」と壇上の男はマスクをかぶり鳥男となった。「皆さんもこの形状の必然性を理解してくださいね」
 これは巷でペストマスクと呼ばれるもの。うちの会社を辞めた瀬戸部先輩が教室をやるから初回だけ「さくら」として来てくれと言われて仕方なく来たが、僕以外に生徒は女性客が一人。これではいくら「さくら」でも本気で聞いたふりをせねば雰囲気が出ない。
「このマスクの嘴部分にはたっぷり香辛料を入れておくのです。むほん……はーっくしょん……げほ、げほ、げほ……ああ失礼」
 そりゃ香辛料がたっぷり入っているならそうなるだろう、と僕は思った。それに瀬戸部先輩、鼻の粘膜が弱いとか前に言ってなかったっけ。なぜまたこんな妙な講座を思いついたんだろうね。僕は呆れるやら笑いが込み上げるやらで、真顔で拝聴しているのが徐々に苦しくなってきた。顔を歪めていたら、瀬戸部先輩に指摘された。
「そこの君、笑ってはいけません。いいですか、このマスクには悲しい歴史があるのです。ペストが蔓延した頃、ペスト医になりたがる者なんていやしなかった。多くは知識の乏しい若い医師がインチキ瘴気論を頼みの綱にペスト医になりました。非常に危険な任務なうえに、効果も未知数! なんという哀れなペスト医師!!」
 瀬戸部先輩はその場にくずおれて涙しだす。すると、僕のとなりにいた実質たった一人の生徒さんまで泣き始めた。これには困った。
「あの時代は大変でしたわ。でも先生、現代は医学も進歩しました。今こそ、私たちが立ち上がる時ですよね?」
 彼女は、さっき制作講習で完成させたマスクを高々と掲げた。
「2020年に蔓延する悪しき空気、私たちで退治致しましょう!」
 ほっそりとした指で手を握られた瞬間、僕は彼女に恋をしてしまい、勢い余って、一緒にペスト医のマスクをかぶってしまった。
後悔先に立たず。その数時間後、僕も彼女も瀬戸部先輩も香辛料でむせ過ぎて呼吸困難を起こし病院へ。目覚めた時、隣のベッドに彼女が横たわっていた。「たしかにペスト医は死と隣り合わせだ」と言うと彼女は笑った。僕は女神と隣り合わせた幸運に満たされた。


未提出の宿題を出すときの言い訳セミナー


「以上で、セミナーを終わります。成功を祈ります」
 講師はそう言って深くお辞儀を下げた。成功を祈りますったってねえ、と私は半信半疑のままそのセミナーを終えたのだった。
「未提出の宿題を出すときの言い訳セミナー」なんてピンポイントすぎるセミナーに参加するのは、見事に夏休みの課題を一つも終えていない私くらいだろうと思ったら、けっこうそういう子は多いみたいだった。しかし、終わってみたらがっかり。全然役に立ちそうにないんだもの。正直「え、そんなこと?」って感じだった。
 翌日、少し憂鬱な面持ちで学校へ行った。9月になっても外は暑い。暑さが消えるまで、いっそ学校はずっと休みにしてもらえないか。そんなことを考えながら校門をくぐったら、背後から「よ、ナガシマ、相変わらず不幸そうな顔してんな」と声をかけられた。
「なによ、ケンくんこそ。お兄さんの結婚式、うまくいったの?」
 夏休み前、ケンくんはこの夏のいちばんの用事は兄の結婚式だと話していた。「うまく行ったよ。俺も結婚したくなっちゃったなぁ」
「あーケンくんは無理無理。一生無理だと思う」
「何だと? お、そういえば先週提出予定の宿題ちゃんとやった?」
「今日出せるもん」
「だいたい、遅いんだよなぁ。なんで遅れるかねえ?」
 鼓動が早くなる。ケンくんに会うのが久々すぎるせいもあるけど、久々に会ったケンくんの髪型が前よりかっこよいせいもあった。
「ケンくんのことばっか考えてたら、ぜんぜん進まなくってさ」
「は? おまえ何言ってんの? つ、次は気をつけろよ」
 ケンくんは私のおでこを小突いた。セミナー講師に言われたことを思い出した。「とにかく提出する相手に最大級の好意を見せること」
 しょうじき、セミナー代を返してほしいくらいだった。だって私の担任はケンくんで、ケンくんは私の初恋相手なのだから。
 だいたい言い訳っていうより、本当のこと言っただけじゃん。
 でもケンくんの顔を見たら、効果あったみたいだ。私以上に真っ赤になってる。よかった。セミナー代、元とれた。


ひと夏のあれこれ清算教室


 ついちょっと、ほんのうっかりでアレしてしまうというのは、20もすぎれば当たり前に起こり得ること。自分が消耗された感じさえしなければ、それでも大抵のアレはまあまあの体験と言ってもいい。ところが、先日のそれは何というか自分が消耗品にされた感覚があった。あれはよくないアレだ。
 相手の男とは二次会を抜けて1人で飲み直していたバーで出会った。感じよく私も吸ってるパーラメントを勧めてきたので、つい気を許した。ところがこの男は私を物質のように扱った。三島由紀夫は縛られた女ほどエロティックなものはないと言っていたけれど、まさにそんな感じで、私はまさに官能の玩具にされてしまったのだ。
 私は何度も快楽の声を上げた。なら、いい体験だったじゃないのと友人にでも語れば言われたに違いないが、それがそうでもない。
 自分が物質と化した瞬間に快楽を得るのは、ある意味で当然だから。人は人と向き合わずに自らを物質と化すか、はたまた相手を物質と見做したときに、何らかの快楽を得る。けれどこの快楽というのが厄介で、それはまったくその瞬間の刹那的な関係でなければならないのに、一夜明けたら男の態度が横柄になった。まるでたった一夜で私自身が物質化したと信じ切っているみたいだった。
 ベッドにいくらか金を投げてよこすと「悪いが向かいのコンビニで煙草買ってきてくれるか」と言いやがった。そして私はつい遠慮からそんな奴のために煙草を買いに行ってしまった。私は一瞬であれ主体を手放してしまったのだ。それが悔しかった。
 そんなわけで昨夜、「ひと夏のあれこれ清算教室」というのに行ってきた。講師に悔しさを語りそれを作文でも書き、書いたものを燃やしたりといったこともさせてもらった。おかげで、清算しすぎてあの男の顔も名前も何もかも忘れてしまった。
 すっきりしたのでバーに行ったら、いい男がいるのでつい上機嫌で話しかけた。男は私にパーラメントを勧めてくれた。私がいつも吸ってるのと同じ銘柄の煙草だ。気が合うかも。いい出会いに乾杯。ひと夏のあれこれを清算できて本当によかった。


残暑を乗り越えるための都市サバイバル講座


「皆さんはあまりご経験がないでしょうが、都市にはさまざまな残暑の乗り越え方があります。たとえば、駅の支柱に抱きつく。これなんかは最高にひんやりしていますね。しかし、これから皆様に教える方法が、恐らくは最強の乗り越え方なのです」
 たけしはそこまで聞いたところで、席を抜けた。恋人の里奈から電話がきたせいだった。
「たけし、いまどこにいるの? どこかで浮気してんじゃないの?」
「し、してないよ」
「怪しい。どこにいるの? すぐ帰ってきて」
 かつてこう言われて里奈の言うとおりにしなかったことはなかった。でも今日は、せっかくやっとの思いで予約した「残暑を乗り越えるための都市サバイバル講座」を途中退出してしまうなんてもったいなさすぎる。それなりに高額の受講費をすでに収めた後だ。
「いまちょっと大事な用事の最中だから。1時間後には帰るから」
「帰ってこない気ね? 私よりも大事な用事って何?」
 たけしの額から汗が吹き出た。9月になったっていうのに、なんでこんなに暑いんだ……。「とにかくごめん」「ちょっと……!」
 席に戻ったが、汗は止まらない。あんなふうに電話を切ったのは初めてだ。でももうたくさんだ。よくも今日まで耐えたものだ。思い返せば、いつだって彼女の存在が背中に鉛のように貼りついていた。彼女の存在を意識すればするほど、体中から熱が発せられた。
 壇上では講師はなおも話し続けていた。
「……ただ一つたしかなのは都市の人々は皆孤独を抱え、人知れずストレスを抱え込んでいるということです。それが気温をより上昇させているのです。すなわち、残暑を乗り越えるいちばんの方法、それは、ストレスの原因を除去することです」
 その時、ふたたび電話が鳴った。たけしは電源を切った。それから、このセミナーが終わって最初にせねばならないことについて思いを馳せた。このビルから一番近くにある金物屋はどこだろう? そこによく切れる包丁は売っているだろうか?

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末筆ながら、はじめていらっしゃった方、はじめまして、小説家の森晶麿と申します。
9月17日に新刊『黒猫と歩む白日のラビリンス』が出ます。上記掌編からご興味をおもちいただけましたらアマゾンでもお近くの書店さんでもご予約のほどよろしくお願い致します。


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