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なぜ働くと本が読めなくなるのか

雑誌プレジデント 2024年8/30号にて「特別対談 古市憲寿×三宅香帆」を読んだことについて触れる。「なぜ働くと本が読めなくなるのか」
記事の"小見出し"ずつ、気になったことを書く。

※この雑誌記事では「なぜ働くと本が読めなくなるのか」というタイトルになっています。私の書き間違いではありません。

「読みたいのに読めない」で、みんな困っていた。

古市氏が「読めなかったのは勤務先のせいですか。長時間労働を強いるような会社だった?」と質問をしたところ三宅氏は「いえ残業は20時過ぎまででしたし仕事もやりがいを感じていました。ただ、本が読めなくなってしまったんです」と回答した。つまり「勤務先のせいではない」と否定している。「長時間労働を強いる」を否定したのかもしれないが「やりがいを感じていた」と勤務先での仕事を肯定もしており、このことから勤務先と関係なく働くことが読書の弊害というスタンスは変わらない。

名作はまずあらすじを読んだほうがいい

古市氏は、自身が本を読むのはデータ収集という感覚に近いと説明しており「これは読書好きの三宅さんからすると、あらすじだけを取り出したり、断片的につまみ食いするのは小説の読み方として邪道かもしれませんが」と謙遜したところ「私も名作文学はあらすじから読んだほうがいいと思います。」と意外にも三宅氏は同調していた。こういった読み方は「アンコントローラブルなノイズ」を遠ざけ、三宅氏が著述された"近年増えている「速読法」「仕事に役立つ読書法」が示す「読書」"に該当するのではないだろうか。こうした方法で"いつか役に立つかもしれないフリッパーズ・ギターの知識"が得られるのだろうか。

自己啓発本が読めるのは目的が「悩み解決」だから

古市氏は対談の中で本を読むには目的意識を持つことが大切と述べ「本は最初から最後まで読まなくちゃいけないと思い込んでいる人は多いですが、全部読む必要はまったくない」と持論を展開しており、三宅氏は「読みたさ」を作るのは重要だと思います。と、あくまで読書へのモチベーション管理へスポットを当て、この古市氏の持論に同意しなかったことは「アンコントローラブルなノイズ」を遠ざける読書法を肯定しないことなので、これは辻褄の合う反応だった。

課題本を読むために「新幹線に乗る」はアリ

古市氏は「せっかく読みたい気持ちになっても、読書時間が確保できないと本が読めません(中略) 現実にはまだ半身で働けない人も多いですよね」と切り出し、三宅氏は本業の合間(勉強や仕事をサボって)で自身は読んできたとしており、メールの通知を切るつもりでいないといつまで経っても半身にはなれないと持論を展開した。三宅氏の著書では"強制されていないのに、自分で自分を搾取する「疲労社会」"と指摘しており、こうした問題に対応した方法を提案しているのは彼女の一貫した主張だと感じられた。(でもそれだと読んでるじゃん)

昔の学歴エリート層が「文学全集」を揃えた理由

三宅氏の著書でここを説明するパートは単純に面白いと思う。書斎文化のインテリア機能、月額払いメディアいわゆるサブスク、新聞広告戦略・・・。出版社の戦略が功を奏した話になっている。しかし、こうした様々なセールスに嵌った人たちが「読みたくない本や読めない本や読まなくてもいい本を買うように仕向けられている」わけで、それこそが「なぜ本が読めないのか」という問題が発生するミソだと個人的には思う。なので、古市氏の言う「ある種の救い」は感じられなかった。

「文学部の教授」だから人格が高潔とは限らない

三宅氏は「本を読むメリットは、作者が自分の価値観と戦ってくれること。自分の価値観が影響を受けたりし、いいほうに変わることもあれば、悪い方に変わることもあります。どっちだっていいんです」と述べている。何がメリットなのか判然としないなと思って読んでいると『人生を狂わす名著』という自著の宣伝を差し込んできました。良くも悪くも価値観が変わることが、読書の一番の魅力があると締めくくっています。(メリットか?)


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