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なぜ働いていると本が読めなくなるのか

と、noteさんから勧められたので
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なぜ働いていると本が読めなくなるのか
著者: 三宅 香帆

https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1212-b/

明治時代から現代までの間、市民にどのような読書需給があったのか、マクロ的に順を追って「労働史/読書史」として説明している。それは販促戦略の歴史でありなぜ働きながら本を読まされてきたのかというふうに読み取れるところは面白いと感じた。

同時にそれらの説明は不要だとも感じた。タイトル回収や序章で書かれたことを考えるなら、この本で言及するべきなのは労働と読書が両立しなくなった原因やその時期であって、読書最盛期の明治時代のダイジェストからなぜ読ませようとしているのかわからない。

こうした効率で話すと「なぜ読書離れしたのか」というような本のタイトルでも良かった気もしてくる。しかしこういう切り口だと斬新さに欠けるのかも。そう考えるとこの本のタイトルは特定の読者へ「刺さる」もとい読ませようとする意図があるのだろうと想像できるので感心する。

終章まで読み進めると現代人の働き方に問題があるとして話が動き出し「全身全霊を辞め半身社会をつくっていこう」と締めくくっている。そもそも働いていると本が読めなくなるのは当たり前の話であり、それを知らない人はいない。みんなきつい働き方をしている自覚があり、抜け出したいと願っている。そうしたスタート地点から建設的な話がなく「半身で行こう」と、これを結論(ゴール)と著者が言い切っているところに、うっかりこの本を読ませられてしまった自分にがっかりした。

著者は「ファスト教養」を引用してノイズ性(他者の文脈)のない情報を求める効率重視な現代の風潮が読書を遠ざけていると指摘している。そして現実的にそのノイズ性は不可避であることや無用の長物ではないことも指摘しており、ノイズ性の許容や獲得のためにも本を読むことを推奨している。が、その方法が読書である必然性が特に論じられておらず、あくまで著者が本を読むことにこだわっているに過ぎない。あるいはそうした切り口で我々に本を読ませたいのかも。

様々な要因から読書が難しくなっている状況なら、読書以外では得られない読書独自の重要性を説いたほうが、新規獲得や読書離れを食い止める楔になりそうなものだけど、そういうことについてはこの本の中で一つも触れられておらず、個人的にはそうしたものが読みたかった。この本が話題になっていて好評であることが謎。

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