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伊勢神宮の心御柱とは、オシリス神の心柱のことだったのか。

今回は、オリオン座信仰について考えていきたいと思います。

皆様は、天照大神を伊勢の地に祀るまでに至る、倭姫命(やまとひめのみこと)の巡幸という事跡をご存知でしょうか。

倭姫命(やまとひめのみこと、生没年不詳)は、記紀等に伝わる古代日本皇族。『日本書紀』では「倭姫命」、『古事記』では「倭比売命」と表記される。
第11代垂仁天皇の第四く皇女で、母は皇后日葉酢媛命。垂仁天皇25年3月丙申に天照大神伊勢の地に祀ったとされ(現在の伊勢神宮)、斎宮の伝説上の起源とされる人物である。

倭姫命 - Wikipedia


出典:【倭姫宮】伊勢神宮を創建した皇女を祀る宮


上記のように、倭姫命の巡幸地を線で引いた時に描かれる図形が何を意味しているのか、ずっと疑問に思っていました。


徳川家と天皇家との霊力の戦い。北斗七星の結界とそれを打ち破る太極図について。


北斗七星によって結界を張るという方法があるのであれば、他の星座でも行われているのではないか、と考えていました。


出典:【オリオン座の神話】アポロンに反対されたアルテミスの悲しき恋物語


そこで倭姫命の巡幸によって描かれた図形が、オリオン座の形に似ていると感じました。


徳川家の信じる北斗七星と天皇家の信じるオリオン座。「天皇派」と「教皇派」の戦いは古代から既に始まっていました。


倭姫命は伊勢の地に天照大神を祀ったとされていますし、天照大神は日本の皇祖神とされていますから、オリオン座を天皇家が信じているということと辻褄が合います。


このオリオン座とは、プトレマイオスによって定められたトレミーの48星座に含まれています。プトレマイオスとは古代ローマの学者で、エジプトのアレクサンドリアで活躍したといわれています。


そしてギリシャ神話の中で、オリオン座にまつわる説話が語られています。

アルテミスさんは貞淑と狩猟の女神であり月の女神。双子の兄はアポロン(太陽神ともいわれる)
オリオンとアルテミスは二人とも狩りの名人。そんなふたりはすぐに恋に落ちます。そしてクレタ島で穏やかな日々を過ごすことになるのです。
~中略~
そんなある日。オリオンはついつい「俺様が一番強いんだぜぇ~、この世界のものをすべて狩ることだってできるんだ!」なんて言ってしまいます。
怒ったのは大地の母なるガイア。一匹のサソリを放ってオリオンを亡き者にしようとします。
オリオンもサソリに気づいて命からがら海へと逃げ延びます。そう、オリオンは海を歩くことができるのです。頭だけプカプカ浮かして海を歩いて島に戻ろうとします。
これをみて、チャンス到来と思ったのが、兄・アポロン。彼は一計を案じます。
「アルテミスよ、あの水平線に浮かんでいるものを射止めるのはいくらお前でも無理だろう」
この一言にアルテミスは燃え上がります。水平線に浮かんでいるのが愛しいオリオンとも知らず・・・
「お兄様、私の弓の腕をあなどってもらっちゃぁ、困りますわ、えい」っと矢を放つと一直線に射止めてしまいました。
翌日。
浜辺に打ち上げられたオリオン。その頭にはアルテミスの矢。なんという悲劇。
アルテミスはなんとかオリオンを生き返らせようと手をつくしますが、冥王ハーデスが許しません。最後にできることと言えば、ゼウスにお願いして星座にすること。そして月である自分が月に一度会いにいくこと。

月の軌道上にオリオンが輝くとき。二人のことを思い出してくださいね。

オリオンとアルテミスの物語~神話で星座を楽しもう


ここで注目すべき点は、月の女神であるアルテミスとオリオンが、クレタ島で暮らしていたという点です。


前回の記事ではクレタ島から、神武天皇が隼人に出自を持つことや、秦氏とアレクサンドロス3世との繋がりを見つけることが出来ました。


それでは、アルテミスにはどんな神話があるのでしょうか。

カリストーはとても美しい乙女。身を飾ったり色恋には興味を示さず、アルテミスの従者として処女を誓い、狩りに明け暮れる生活をしていました。カリストーはゼウスに見初められ、ゼウスはアルテミスの姿になり男性への警戒心の強いカリストーに近づき、思いを遂げました。

カリストーはゼウスの子を身ごもり、それを知ったアルテミスは熊の姿に変え森へ追いやりました。
カリストーから生まれた子はアルカスと名付けられ、やがて成人になり森へ狩に出ます。

アルテミスは森の中で聖緒した我が子アルカスを見つけ、喜びの余りアルカスへ近づきます。
アルカスはその熊が母アルテミスと気づかず、弓を引きます。

この経緯を見ていたゼウスは二人を憐れみカリストーをおおぐま座に、アルカスをこぐま座にし天の星座としました。

おおぐま座の名前の由来は?尻尾が北斗七星になる星座の語源!ギリシャ神話の背景


カリストーとは、アルテミスの分身であるとのことです。

カリストーあるいはカッリストー古希: Καλλιστώ, Kallistō)は、ギリシア神話に登場するニュンペーである。日本語では長母音を省略しカリストカッリストとも呼ぶ。イタリア語ではカッリスト (Callisto) 。「最も美しい」の意で、この名前は女神アルテミスの添名でもあったことから[1]、アルテミス自身の分身的な性格を持っていたと考えられる[2]

カリストー - Wikipedia


アルテミスは、北斗七星(おおぐま座)として天の星座とされたのです。


日本で北斗七星とは妙見信仰として信仰されており、妙見信仰は古代バビロニアに始まった、といわれています。

古代バビロニアと言えば、以前の記事で、エラム人によってバベルの塔が建てられたのではないかということと、エラム人は出雲族と繋がっている可能性を考察しました。


アルテミスが北斗七星と同義であると考えると、北斗七星として天に上げられたアルテミスに対する信仰も、バビロニアから始まったと考えられます。

そうなると、古代バビロニアと繋がる出雲族はアルテミスを信仰している可能性が高く、出雲族である徳川家が北斗七星を信仰していることを解明されている、RAPT理論とも符号します。


かわってイシス神とオシリス神はエジプト神話に登場し、神殿もエジプトにあります。

フィラエ神殿(フィラエしんでん)(ことイシス神殿)は、エジプト南部、アスワン近郊にあるヌビア遺跡

中心となるのがイシス女神を祀るイシス神殿である。現存する神殿はプトレマイオス朝時代に建設されその後ローマ時代にわたって増築が行われてきたものである。

フィラエ神殿 - Wikipedia


タップ・オシリス・マグナ神殿とは、エジプトアレクサンドリア県にあるプトレマイオス朝時代の神殿跡である。

紀元前280年から270年の間にファラオプトレマイオス2世によって建設された同じ場所に同じ名前の神殿と同様に都市の名前がある。プルタルコスによると、神殿はオシリスの墓を表している。アレクサンドロス大王紀元前332年にエジプトを征服し、アレクサンドリア市を設立した後、タップ・オシリス・マグナの街はコーアックの宗教祭の中心になった。

タップ・オシリス・マグナ神殿 - Wikipedia


イシス神とは、シリウスを神格化した神であるといわれています。

現在のシリウスAは太陽の大きさの約2.5倍でシリウスBは現在地球と同じくらいの大きさです。しかし古代のシリウスBはAよりも遥かに大きく、Aの約5倍程でした。シリウスBは現在の姿になる以前に一度大膨張しました。それは非常に古い星の特徴である『赤色巨星』である事を意味します。

古代は、赤く光るシリウスBが主星で、Bを周回する伴星はシリウスAでした。シリウスAは当時高温期で白色でした。これを見た古代の人々はシリウスをこう表現しています。西暦150年頃の古代ローマの天文学者トレミーは、シリウスを見て赤く輝く恒星と表現していました。また、ローマ帝国の政治家、ルキウス・アンナエウス・セネカは、シリウスを“火星よりも赤い”と記しています。

この様に赤い大きな星は、古代の地球の夜空からはっきりと見えていました。シリウスBはAがその周りを白く輝かせる中央で当時は赤く光っていました。この光景は日本の国旗の様に見えます。「日章旗」は太陽をモチーフにした旗だと多くの人が思っていますが、太陽を赤く描く民族は日本人だけです。太陽は本来濃い黄色又は黄金色で表現され又その様に見えます。
この地球上を照らすのは太陽ですが、古代日本人はそれ以上に「この世をあまねく照らす天体」としてシリウスを位置付けていた事を物語ります。何故ならば、古代の日本人は大きな『赤い星』のシリウス見ていました。「日の丸」がそれを物語ります。日の丸は、太陽ではなく「シリウス(赤色の)」の象徴です。

この様な事から、日本の大御神様は太陽神の象徴ではなく、シリウス神の象徴であった事がわかります。日本神話における天照大御神様、エジプト神話における女神イシスの二柱は、『同一神』だと日本人の一部の皆様は知っています。世界に散らばる様々な神話は、多くの場合天空から神が地上に降り立つところから話が始まります。それは誰ですか?そしてどのような神話であっても、人類はそうした神々を絶対的な存在として畏怖し、崇め奉るというスタンスでその物語を綴ります。それは何故ですか?同時に、世界中の数々の遺跡がそれらの神々とシリウスを深く関連付け、特別に神聖視している事を示します。

皆様はこの真実について、正にそれら神々の故郷はシリウス星系であることを意味しているように感じる事ができますか?日本の仁徳天皇陵の地下の遺跡を皆様はご存知でしょうか?その石室の壁に刻まれていた聖刻文字はヒエログリフの中に『△』という形のものがあります。その『△』は、エジプトのヒエログリフにも同じものがあり、それを意味するのは『シリウス』です。△は女神イシスの事でもあります。さらに『▽』という文字も存在しました。これはオシリスを表します。『△』と『▽』を重ね合わせる時、六芒星になります。それは、ヘキサグラムです。これは、ユダヤの星でもあり、天照大御神を祀る伊勢神宮にも刻まれている模様です。エジプトの聖刻文字は、ロゼッタ・ストーンの解読を皮切りに、現在全ての文字の意味が解明され、その文章は現代語に翻訳されています。

『☀158)シリウスは日本とエジプトと強い繋がりを持つ/7月29日獅子座新月』


ここで注目すべき点は、ヒエログリフの中で「△」がイシスを表し、「▽」はオシリスを表しているという点です。


最初は、これが何を意味しているのかは分かりませんでした。


今回気が付いたこととは、オリオン座とはイシスとオシリスを表している星座なのではないか、ということです。

表題部のオリオン座の写真を今一度、ご覧になってみてください。オリオン座の三つ星の真ん中の星を頂点として、下向きの三角形と上向きの三角形を描くことが出来ると思います。

まさに「▽」と「△」となり、オリオン座信仰とはオシリスとイシスの信仰を表しているのではないか、と考えられるのです。


ナイル川に浮かぶフィラエ島はオシリス神の妻でイシス女神がホルス神を産んだとされるエジプトの聖地。この島にはイシス女神のための神殿が築かれ、「ナイルの真珠」と呼ばれてきました。

アスワンとイシス神殿(フィラエ島)


さらにイシス神殿があるフィラエ島は、イシスがホルスを産んだ地であるとされているのです。

ウアス杖とアンクを持つホルス

もともとホルスは、同名かつ神格と役割が異なる神が二柱存在したとされる。それらがラーの息子とオシリスイシスの息子であり、やがて同一視され習合されたものだとされている[1]。これ以外にも様々な神との習合が見られる。通常は、隼の頭を持ち太陽と月の両目を持つ成人男性として表現される。初期は、隼そのものの姿だったが時代とともに人間の姿(幼児から成人)をとるようになる。

ホルス - Wikipedia


ホルスは、「隼(はやぶさ)の頭を持ち太陽と月の両目を持つ成人男性として表現される」とのことです。これはまさに、日本の隼人(はやと)のことなのではないでしょうか。


そうであるならば、隼人の母がイシスだということになります。前回の記事で、神武天皇も隼人に出自を持つことが分かりました。


イシスは、オリオン座の「△」のシンボルで表されると考えられるため、天皇家がオリオン座を信仰していることを解明されている、RAPT理論とも符合します。


このことによって、天照大神とイシスが同一神であるとの説にも信憑性が得られます。


次にオリオン座の「▽」で表される、オシリスの神話をみていきます。

オシリス神話は恐ろしいドラマから始まります。その始まりにおいて、オシリスはエジプト全土を神王として君臨しました。彼は妹のイシスと結婚しており、兄のセットはもう一人の妹のネフティスと結婚しています。オシリスはその知恵と知性によって国家に繁栄、偉大さ、幸福をもたらし、すべての人から尊敬されています。

全て?いいえ、それは徐々に兄のセットがオシリスに対して憤りを感じ始めているからです。第一に、オシリスは彼が取り組むすべてのことを完全に成功させるからです。そして、セトの妻ネフティスがオシリスに恋をするからです。

こうしてセットはオシリスを暗殺することになる。そのために、 セトは宝石や金箔をふんだんに使った大きくて立派なチェストを作らせます。この胸には重要な特徴もあります。それは、 オシリスを胸に迎えることができるように完璧にオシリスの形をしています。

その後、セットはオシリスを讃える盛大な祝宴を企画します。この宴の間、セトは、チェストの蓋が完全に閉まるように、チェストになんとか収まったゲストにチェストを提供することを決定します。

明らかに、すべてのゲストは失敗します。胸部はオシリスの形態の計画に基づいて特別に彫刻されているため、胸部の内部全体を適合させることは不可能です。

オシリスの番が来たとき、オシリスは二度驚きます。第一に、彼はトランクが完全に自分の大きさであり、したがって非常に快適であることに気づいたからです。そして、彼が中に入るとすぐに、セトと彼の共犯者は胸に身を投げ、胸の開口部を溶接して釘で打ち付け、ナイル川に投げ込んだからです。

その後オシリスは溺死し、その胸部はエジプト初の「石棺」とされる。

この石棺の箱はナイル川の流れによって流されてしまいます。その後、エジプト川のほとりにある隣国の小さな木の根元に閉じ込められることになる。

オシリスの神聖な血によって養われたこの木は、時間が経つにつれて超自然的な速度で成長します。その後、この木は非常に大きく立派になり、王によって宮殿の中心柱に選ばれることになります。

~中略~

オシリスの死後、ついにセトはエジプトの王位に就くことができました。オシリスの死後、オシリスはエジプトの冥界における死者と永遠の命の神となった(「不完全な」体のため、もはや生者の世界を統治することができなかったからだ)。

しかし、ラーのひ孫の物語はそこで終わりません。オシリスの息子、ホルスがセトの王位を主張するからです。

ラーが関与する最後の神話と伝説は、セトとホルスの間の争いの神話です。

父親の死後何年も経って、ホルス(祖先のラーと同じくハヤブサの頭をした神)は、エジプトの王位に就く方法についてのアドバイスを求めて神々の中で最も賢明な人のところへ行きました。彼はラー、シュウ(空気の神)、そしてトート(トキの知識の神)からなる評議会の前で、ナイルの国の王位はオシリスの息子である彼のものであるのが正当であると主張した。

この不当な状況に対し、シュウとトートは直ちにホルスの味方をした。彼らはホルスの意見に同意し、ハヤブサの神を支持して退位するまでセトに数日の猶予を与えた。しかし、ラーは神々の中で最も古く、宇宙の創造者として、自分の意見が最初に尋ねられなかったことに腹を立てました。こうして彼は、セトがオシリスの兄弟であり続けるため、統治するあらゆる権利があると宣言した。

~中略~

オシリスは、セトは王殺しであり兄弟殺しであるため、決してエジプトの王にはなれない、と宣言する。こうしてエジプトの王位は息子ホルスに権利的に返還される。

ラー、エジプトの太陽神 |エジプトの歴史 – Egyptian History


神話の中で王であるオシリスは、弟のセトによって殺され王位がセトに渡りました。

そこで思い起こされるのが、エラム人の相続制度です。

エラム人は、オリエントのほかの地域とは異なる独特の相続制度を持っていた。即ち、王位は親子ではなく、まず兄弟によって相続されていくのである。この相続制度はかなり後の時代にまで継承され、異民族の侵入によっても基本的に変化しなかった。

エラム - Wikipedia 2024.2.21.現在

エラム人が持っていた独特の制度では、王位はまず兄弟に相続されていくというのです。

そのため弟のセトは兄であるオシリスを殺して王位を得ようとしたのではないか、と考えられるのです。

この独特の制度を持っていたことから、オシリスとセトの一族とはエラム人に出自を持つという可能性が出てきました。


さらにオシリス神話の中で、驚くべきことが書かれていました。


『オシリスの神聖な血によって養われたこの木は、時間が経つにつれて超自然的な速度で成長します。その後、この木は非常に大きく立派になり、王によって宮殿の中心柱に選ばれることになります。』


この部分をお読みになられて、皆様は何を思い浮かべられたでしょうか。


私は、これは伊勢神宮の心御柱(しんのみはしら)のことではないか、と思いました。

心御柱(しんのみはしら)とは、伊勢神宮の正殿、床下中央部分に建てられる柱をいう。日本の神は、木や柱を依り代(よりしろ)とするため、神が依り憑く神籬 (ひもろぎ)とした。

心御柱 - Wikipedia

オシリス神とはイシス神とともに、オリオン座として天皇家に信仰されていることから、伊勢神宮の心御柱とオシリスの柱とが起源を一つにするものである可能性は限りなく高い、と考えられるのです。


このように、日本の天皇家が古代エジプトと繋がっていることも、RAPT理論によって解明されています。


古代エジプトの太陽信仰=悪魔崇拝が、現在の日本の天皇家へと流れ着き、天皇家を最大級の財閥にするまで。


RAPT理論とは、この世のおよそ全ての疑問を解くことのできる真理が詰め込まれた、宝箱のような存在です。


RAPTさんのたゆまぬ御尽力によって、この世のものとは全く次元が違う、何度聞いても何度読んでも新たな悟りと叡智を得られる、全く飽きることがない、人類史上最高次元の完全なる真理と、真のキリスト教の神様による、未だかつて誰も聞いたことがない全く新しい成約時代の御言葉が、今この時代を生きる私たちに与えられました。


本当に神様とRAPTさんに、心から感謝をささげます。


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