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えびす神が鯛を抱えている理由。秦氏がアケメネス朝ペルシャを捕ったということだったのか。

今回は、えびす神が何故「鯛」を抱えてご満悦なのか、について考えていきたいと思います。

えびす神とは、聖書に登場するエブス人に繋がると考えられます。

ノアの息子であるハムの子、カナンからヘトが出て、ヘトからエブス人が生まれました。

箱舟から出たノアの息子は、セム、ハム、ヤフェトであった。
ハムの子孫は、クシュ、エジプト、プト、カナンであった。
カナンには長男シドンとヘト、また、エブス人、アモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、アルワド人、ツェマリ人、ハマト人が生まれた。その後、カナン人の諸氏族が広がった。

旧約聖書 創世記 9.18  10.6 10.15-18 新共同訳 


ヘト人について調べると、ヘト人とはヒッタイト人であり、ヒッタイト人と秦氏との繋がりも広く認識されていることが分かります。


そのためこの「えびす神」とは、エブス人であり秦氏であるという前提を基に、進めていきたいと思います。


えびす神が抱えている「鯛」についてキーワードとなるのが、「赤女(あかめ)」です。

そこで、海神は八重の畳を重ね敷いて招き入れ、坐(まし)て定(しず)ませ、来た理由を尋ねた。彦火火出見尊は事情を話した。聞いた海神が大小の魚を集めて問いただすと、皆は、「識(し)らず。ただ赤女(あかめ)(鯛の名) 比のごろ口の疾(やまい)有りて来たらず」と言う。召してその口を探すと、失った釣針が見つかる、とある。

山幸彦と海幸彦 - Wikipedia



日本書紀に書かれている海幸・山幸説話の中で、山幸彦が失くした釣針は、鯛の喉に引っかかっていることが分かりました。日本書紀では、その鯛の名として、「赤女(あかめ)」と記載されているのです。


この赤女(アカメ)という言葉が、他のことを調べている時に目に飛び込んできました。

アケメネス朝の名称は、この家祖であるアケメネスに由来する。

海外の文献では、古代ペルシア語の発音に従ったハカーマニシュ朝か、古典ギリシャ語の発音に従ったアカイメネス朝のどちらかを用いている。

アケメネス朝 - Wikipedia 2024.2.11現在


アケメネス朝ペルシャです。ギリシャ語の発音から、アカイメネス朝とも呼ばれるということなのです。


鯛の名とされる「赤女」とは、赤い(あかい)という字と、「め」とも読める女という字で、「アカイメ」と読み取れます。 


このことから、えびす神が抱えている鯛とはアケメネス朝ペルシャのことを表すのではないか、と考えられるのです。

では、アケメネス朝ペルシャを捕ったのは、誰でしょうか。

マケドニア王国のアレクサンドロス3世です。

このアレクサンドロス3世が、秦氏と繋がることが示されれば、えびす神が鯛を抱えてご満悦な理由が分かることになります。

アレクサンドロス3世は、アルゲアス朝マケドニア王国の王です。

マケドニア最初の王朝であるアルゲアス朝はドリス系のギリシア人により建国されたとされる。

マケドニア王国 - Wikipedia

アレクサンドロス3世の王朝は、ドリス系ギリシア人によって建国されたとのことです。

ドリス系ギリシア人とは、ドーリア人と呼ばれているようです。

ドーリア人は鉄の武器で先住民を征服しながらペロポネソス半島クレタ島などに侵入し、スパルタをはじめとするポリスを形成した[1]

ドーリア人 - Wikipedia 2024.2.11現在 

ここで注目すべき点は、ドーリア人が鉄の武器でクレタ島などに侵入し、都市国家を形成したということです。

ギリシャのクレタ島には、ペリシテ人がいたことが分かっています。

イスラエル最大の敵「ペリシテ人」の起源が明らかに。巨人兵ゴリアテはどこから来たのか?https://nazology.net/archives/41281


ペリシテ人とは、ノアの息子ハムの子孫エジプトから生まれたカフトル人から出ました。

 ハムの子孫は、クシュ、エジプト、プト、カナンであった。
 エジプトにはリディア人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、上エジプト人、カスルヒム人、カフトル人が生まれた。このカフトル人からペリシテ人が出た。

旧約聖書 創世記 第10章 6節・13-14節 新共同訳


クレタ島で出土した遺物には、ペリシテ人と古代日本との類似性が強く感じられる物があります。


クレタ島の女神像
出典:イラクリオン考古学博物館



日本の古墳時代の埴輪


クレタ島の女神像は、日本の埴輪の巫女と似ていると感じます。


クレタ島の甕棺
出典:クレタ島旅行記2 イラクリオン観光(前編)考古学博物館


吉野ヶ里遺跡出土の甕棺
出典:甕棺墓と人骨


クレタ島と吉野ヶ里において、遺体を甕棺に納めるという特徴的な風習が存在したことが分かります。


アギア・トリアーダの石棺 
出典:イラクリオン考古学博物館
隼人の盾


クレタ島の棺に描かれた逆S字の紋様と、隼人の楯に描かれた紋様に同一性が感じられます。この隼人の楯の渦文様には、「悪魔を入れない」との意味があるそうです。


平城宮跡より出土した隼人の盾のモニュメント



アレクサンドロス3世はドーリア人で、ドーリア人はクレタ島にも進出し都市国家を形成しており、クレタ島にはペリシテ人がいたことが分かっています。


クレタ島の遺物から、ペリシテ人と隼人との繋がり、秦氏といわれる徐福の拠点であった吉野ヶ里遺跡の遺物との繋がりが感じられました。


隼人の祖先とは、海幸山幸神話で知られる、海幸彦であると言われています。

海幸彦が隼人の阿多君の始祖であり、祖神ホデリ(火照)の末裔が、阿多[6]大隅[7](現在の鹿児島県本土部分)に居住した隼人とされる[8][9]

山幸彦と海幸彦 - Wikipedia


徐福である火明命(ほあかり)は、海幸彦と兄弟とされていますので、徐福も隼人の一族であることになります。

『日本書紀』の本文では、瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子は、第一子が火闌降命(ホスソリ=海幸彦)、第二子が彦火火出見尊(ヒコホホデミ=山幸彦)、第三子が火明命(ホアカリ)となっている。一書では海幸彦が火酢芹命(ホスセリ)、山幸彦が彦火火出見尊(もしくは火折尊)である。

ホデリ - Wikipedia


海幸山幸神話では、海神である大綿津見神(おおわたつみのかみ)が登場し、山幸彦に塩盈珠(しおみちのたま)と塩乾珠(しおひのたま)を授け、その霊力を用いたことで、山幸彦(大和王権)は海幸彦(隼人)を服従させたとされています。

すると火遠理命は塩盈珠を出して溺れさせ、火照命が苦しんで許うと、塩乾珠を出して救った。これを繰り返して悩み苦しませると火照命は頭を下げて、火遠理命を昼夜お守りすると言った。

山幸彦と海幸彦 - Wikipedia


この海神が授けた珠(たま)を、玉(たま)という字に置き換えてみると、玉(ぎょく)と読めます。


日本の古代の遺物の中に、玉璧(ぎょくへき)と呼ばれるものがあります。

出典:29-6.王権の象徴のガラス璧 [29.ガラスを透して古代を見る] 


玉璧とは玉石で出来た直径10~20㎝の円盤で、中央に円形の孔があいている。

我が国で玉器の穀璧が出土したのは、大隅半島の宮崎県串間市から出土した1点のみである。

ガラス璧の出土は2例、福岡県前原市の三雲南小路遺跡と福岡県春日市の須玖岡本遺跡D地点の弥生中期後半の甕棺墓からである。

三雲南小路1号甕棺墓は正に王墓であり、王権の象徴としてガラス璧が副葬されたのであろう。

29-6.王権の象徴のガラス璧 [29.ガラスを透して古代を見る] 


その「穀璧」の写真の脇に次の文が添えられていた。

「(直径33.3センチ、財団法人前田育徳会所蔵)「穀」は渦巻文のこと。古代に日本列島にもたらされたとすれば、漢王朝が周辺の国王に贈り、政変などで亡命した王が持参した可能性が考えられるという。」

「弥生の興亡」に従えば、この玉璧が日本で出土した理由をいともたやすく説明できるのである。元の東越繇王、前漢の東城(東成)侯の子孫が王の山古墳被葬者の第一候補で、これは文・漢氏の祖先。隼人の祖先ということでもある。(「弥生の興亡、「中国朝鮮史から見える日本」 「3、帰化人の真実」参照)

王の山古墳出土の玉璧


玉璧とは王権の象徴であり、宮崎県串間市の王の山古墳で出土した渦巻文の穀璧が示していることとは、この古墳の被葬者が隼人の祖先であることだというのです。


つまり海幸山幸神話が表していることとは、海神である大綿津見神が、隼人の祖先に王権の象徴である「玉」を授けた、ということであると考えられます。


海の神の名を持つ、長崎県対馬市にある和多都美神社(わたづみじんじゃ)には、磯良恵比須(いそらえびす)と呼ばれ、阿曇磯良(あづみのいそら)のご神体とされる石が祀られています。

磯良恵比須いそらえびす

阿曇磯良のご神体と伝わる不思議な石。社家文書には阿曇宿禰磯良について、「神功御共シテ朝鮮二渡ス」とあって、「諡号」を「戎比古命」といったことが記録されてる。つまり「磯良恵比須」の「恵比須」は諡号という可能性が濃厚で、ご神体という説が有力。 かつて、山上家の命婦が津波から磯良のご神体を守ったという伝説から「山上恵比須」とも呼ばている。

和多都美神社


和多都美神社の磯良恵比須
出典:和多都美神社


和多都美神社の磯良恵比須は、三柱鳥居をもって祀られています。


京都にある、木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)にも三柱鳥居があり、秦氏と関わりがあるといわれています。


そして和多都美神社と木嶋坐天照御魂神社には、山幸彦である彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)が祭神として祀られているのです。


さらに木嶋坐天照御魂神社の天照御魂神の神格について、徐福である火明命だという説もあるようです。

木嶋社の天照御魂神の神格について、史料上では天照国照天火明命(天火明命)説・天照大神説・天日神命説などが見られる[1][4]。上記の天照御魂神・天照神・天照玉神を社名とする神社の多くでは現在の祭神が天火明命(尾張氏祖神)とされることに基づき、これらの神を特に尾張氏の奉斎神とする説があり、その説の中で木嶋社の地には元々尾張氏系の人々がいて天照御魂神を奉斎していたが、秦氏の渡来・開拓とともにその在地系祭祀が継承されたと説明される[5]

木嶋坐天照御魂神社 - Wikipedia


このように海の神、隼人、えびす神、秦氏、徐福と繋がってきました。

では、アレクサンドロス3世についてはどうでしょうか。

アレクサンドロス3世ギリシア語: Ἀλέξανδρος Γ'、紀元前356年7月20日 - 紀元前323年6月10日)、通称アレクサンドロス大王ギリシア語: Ἀλέξανδρος ὁ Μέγας)は、古代ギリシャのアルゲアス朝マケドニア王国バシレウス(王)(在位:紀元前336年 - 紀元前323年)である。また、コリントス同盟(ヘラス同盟)の盟主、エジプトファラオも兼ねた。

ヘーラクレースアキレウスを祖に持つとされ、ギリシアにおける最高の家系的栄誉と共に生まれた。

アレクサンドロス3世 - Wikipedia

アレクサンドロス3世はギリシャ人であり、ヘラクレスとアキレウスを祖に持つとされています。


アキレウスとは、海の女神テティスの子であり、系図ではアキレウスから5世代遡るとポセイドーンに繋がります。


アレクサンドロス3世は、海の神であるポセイドーンの系譜であり、秦氏も海の神の系譜でした。


アレクサンドロス3世の死因は諸説あるようですが、興味深い逸話がありました。

バビロン還幸と大王崩御

還幸したアレクサンドロスは、メソポタミアバビロンにおいて帝国をペルシア、マケドニア、ギリシア(コリントス同盟)の3地域に再編し、アレクサンドロスによる同君連合の形をとることにした。また、広大な帝国を円滑に治めるためペルシア人を積極的に登用するなど、ペルシア人とマケドニア人の融和を進めた。この過程においてアレクサンドロスはペルシア帝国の後継者を宣し、ペルシア王の王衣を身にまといペルシア風の平伏礼などの儀礼や統治を導入していったため、自身の専制君主化とマケドニア人の反発を招いた。

バビロンに戻ったアレクサンドロスはアラビア遠征を計画していたが、に刺され、ある夜の祝宴中に倒れた。10日間高熱に浮かされ「最強の者が帝国を継承せよ」と遺言し、紀元前323年6月10日、32歳の若さで崩御した。

アレクサンドロス3世 - Wikipedia 2024.2.11現在


マケドニア人の反発を招いていたアレクサンドロス3世は、バビロンに戻った際に蜂(ハチ)に刺され亡くなったというのです。


この説話から、アレクサンドロス3世がマケドニア人という同族(ハチ)によって殺された、という可能性が考えられないでしょうか。


八(ハチ)の者とは、秦氏であることがRAPT理論によって解明されています。


カタカムナこそルシファー信仰の源流である。


RAPT×読者対談〈第122弾〉現代日本の支配構造は、安土桃山時代と全く同じ。


アレクサンドロス3世には、もう一つ暗示的な逸話があります。

アレクサンドロスがバビュローンに入ろうとしている時に、(中略) 城壁のところまで行くと、多くのカラスが喧嘩をして互いにつつきあい、その内幾羽かが大王の足元に落ちた。

アレクサンドロス3世 - Wikipedia 2024.2.11現在


日本でカラスと言えば、八咫烏(ヤタガラス)です。八咫烏とは、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと、かもたけつのみのみこと)であるとされています。

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと、かもたけつのみのみこと)

別名には八咫烏八咫烏鴨武角身命(やたからすかもたけつのみのみこと)がある。

山城賀茂氏(賀茂県主)葛城国造の始祖であり、賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭神として知られる。

賀茂建角身命 - Wikipedia


賀茂建角身命(ヤタガラス)は、京都にある賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)に玉依姫とともに祀られています。玉依姫は大綿津見神の子で、海の神の系譜となります。

カラスに関して、熊野牛王符(くまのごおうふ)と呼ばれるものがあります。

牛王符の裏面に起請文を書く。こうすると誓約の内容を熊野権現に対して誓ったことになり、誓約を破ると熊野権現の使いであるカラスが一羽(一説に三羽)死に、約束を破った本人も血を吐いて死に、地獄に落ちると信じられた。

熊野牛王符 - Wikipedia

熊野牛王符の誓約を破った際に起こるカラスの逸話と、アレクサンドロス3世に関わるカラスの逸話とに同一性があると感じました。


そして八咫烏とは、神武天皇のミサキと呼ばれる存在であるとのことです。

ミサキは、日本悪霊精霊などの神霊の出現前に現れる霊的存在の総称である。名称は主神の先鋒を意味する「御先」(みさき)に由来する[1]

日本神話に登場する八咫烏もミサキの一種であり、八咫烏が神武東征の際に神武天皇の先導をしたことに、ミサキの性格がよく現れている[5]

ミサキ - Wikipedia

改めて神武天皇とは、誰なのでしょうか。

神日本磐余彦天皇  神武天皇
神日本磐余彦天皇、諱(ただのみな)は彦火火出見(ひこほほでみ)、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の第四子なり。母は玉依姫(たまよりひめ)と曰し、海童の少女なり。~中略~
長りて日向国の吾田邑の吾平津媛を娶りて妃とし、手研耳尊を生みたまふ。

「日本書紀①」小学館 1994年 193頁


神武天皇とは、彦火火出見であると書かれています。彦火火出見とは、山幸彦のことでした。

山幸彦 - 火遠理命(古事記)・彦火火出見尊(日本書紀)
海幸彦 - 火照命(古事記)・火闌降命(日本書紀)

山幸彦と海幸彦 - Wikipedia


木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)は、海幸彦山幸彦である火照命と火遠理命を生み、古事記には本名が神阿多都比売(かむあたつひめ)であると書かれています。


神阿多都比売の名にある「阿多(あた)」とは、阿多隼人に出自を持つということであると考えられるため、海幸彦は隼人の祖であると言われているのでしょう。

海幸彦と同じく、神阿多都比売の子の山幸彦である神武天皇も、隼人に出自を持つことになります。

アレクサンドロス3世はドーリア人であり、ドーリア人の一部はペリシテ人であった可能性があり、ペリシテ人の物だと考えられる棺に描かれた紋様と隼人の楯の紋様に同一性が認められました。

八咫烏とは東征の際に、神武天皇を先導したミサキと呼ばれる存在であり、アレクサンドロス3世とカラスの繋がりも暗示されていました。


海の神の名である和多都美神社と、秦氏ゆかりの神社である木嶋坐天照御魂神社には、山幸彦である彦火火出見尊が祭神として祀られています。


秦氏ゆかりの木嶋坐天照御魂神社の三柱鳥居と、和多都美神社にある「えびす神」ゆかりの磯良恵比須の三柱鳥居で、えびす神と秦氏が繋がります。


秦氏とは海の神の系譜であると考えられ、ポセイドーンの系譜であるアレクサンドロス3世と繋がります。


秦氏とは八(ハチ)の者と呼ばれ、アレクサンドロス3世はマケドニア人という同族(ハチ)に刺されたという逸話がありました。


これらのことによって、えびす神(秦氏)が古代マケドニア人であるアレクサンドロス3世と繋がっている可能性があることが分かりました。


以上により、えびす神が鯛を抱えてご満悦である理由とは、秦氏がアケメネス朝ペルシャを滅ぼし天下を捕ったのだ、ということを暗示している可能性があるという結論に至りました。


サタンは私たち人間が何もかも分からなくなるようにし、神様は私たち人間が何もかも分かるように導かれる。だから、分からないことは全て分かるまで研究し、祈り求める者となりなさい。


非真理を受け入れた人はどんな悩みも疑問も解決できず、真理を受け入れた人はどんな悩みも疑問もすべて解決し、全てが分かる喜びに満たされて生きられる。


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