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【小説】放課後爆音少女 第七話「栗色の髪」

影山先輩と愛子の後ろ姿を、私は呆然と眺めていた。
影山先輩の綺麗な茶色の髪。そして愛子の栗色に透ける髪。
お似合いだと感じたし、そう感じた自分が腹立だしい。

肩まで伸びた愛子の髪は、初夏の風に吹かれて、サラサラと靡いている。
陽の光に照らされると透けて見える愛子の髪は、より一層茶色く、艶めいて見える。
女の私から見ても、触ってみたくなる髪。
私の髪は生まれつきの癖毛で、度重なるヘアアイロンに耐えかねてボロボロだ。
太陽の光で透けてみえたりすることのない、私のキシキシの黒い髪。

影山先輩も、愛子のあの栗色の髪をそっと撫でるのだろう。
ときにはブラシを通してあげたり、シャワーで濡れた髪を乾かしてあげるかもしれない。そこまで想像して、私は後悔した。
吐き気と同時に、私の中のコンプレックスが湧き上がってくる。

私は愛子みたいに綺麗な二重じゃない。奥二重だ。
愛子の目は丸くて愛らしいけど、私の目はどちらかと言うとつり目で、きつそうな顔立ちだ。
私は中肉中背だけど、愛子は折れそうなほどに細い。肌も雪のように白い。
私は焼けやすくて、どれだけ美白化粧品を使っても愛子のようには白くならない。
そしてあの高くて清らかな甘えたな声。
あんな声は恥ずかしくて私には出せない。私にはないものばかりだ。

愛子を見ていると、私がひた隠しにしてきたコンプレックスの数々が浮き彫りになる。
愛子が優太や影山先輩と関係を持ったりしなければ、愛子の可愛らしい容姿や仕草に心から憧れていただろう。もしかしたら仲良くしていたかもしれない。
そう考えると鳥肌が立つ。愛子を可愛がる立場に、私がなっていたかもしれない。
それくらい愛子は私が欲しいものをたくさん持っている。
それなのに何故、元から持っているものが少ない私から奪おうとするのだろう。

軽音楽部は、クラスで大して目立ちもしない私が唯一輝ける場所だった。
そして、優太と、影山先輩とミカ先輩で組んだバンドは、冴えない私でも手に入れることが出来た、かけがえのない青春の一ページになる予定だった。
今はビリビリに引き裂かれて、どこかに飛んで行ってしまった、私の青春の一ページ。

私が愛した軽音楽部のボロボロの部室。
環境は悪いけど、音も悪いけど、居心地が良かった。
そこで出会った優太。私のキシキシの黒い髪を撫でてくれた優太。一度優太に枝毛を発見されたことがある。「結構傷んでるんだねえ」と何気なく言ったあの言葉。
あの時は別段何とも思わなかったけど、今になってあの黒い枝毛が、チクチクと胸を刺してくる。

そして、私が尊敬していた、影山先輩。
私の隣でベースを鳴らしてくれた影山先輩。頼れる部長だった影山先輩。
ついこないだ、バンドのことで行き詰まっている私に、優しい助言をくれた影山先輩。
影山先輩の穏やかで親身な助言の数々が、愛子に注がれていると思うと胃が煮え繰り返る思いだ。
私は影山先輩に関しては、恋心を抱いていたわけでもない。
でも愛子がまるで、私の周りの男性ばかり狙っているような気がして、私の大切なものを根こそぎ持っていこうとしているように思えて、怖かったし、憎かった。

あの二人と偶然すれ違ってしまってから、私の元気がわかりやすく無くなったため、健太くんと中原くんはオロオロとしていた。桜井くんは、ずっと仏頂面だ。

中原くんが優しく声をかけてくれる。
「春ちゃん、大丈夫?」

私は「大丈夫だよ」と言ったけど、自分でも驚くほどのか細い声しか出なかったため、全然大丈夫じゃないことがバレてしまっただろう。自分でも笑ってしまうような、蚊が鳴くような声。我ながら、とてもボーカルとは思えない。

「今のは、軽音楽部の人たち?だよね?」

健太くんの質問に「そうだよ」とだけ返す。少し言い方が冷たかったかもしれない。
でも私は自分の感情の整理に手一杯で、皆と楽しく過ごすことが今は出来ない。
健太くんと中原くんからしたら、私が何故急に落胆しているのか、全くもって意味不明だろう。
桜井くんは何かを察してくれているような気もするけど、ずっと仏頂面なのは、ただ私に対して怒っているだけかもしれない。
私は、これ以上皆を困惑させないために、そして、一人になる為に嘘をついた。

「私、学校に忘れ物したんだった。ちょっと取りに行ってくる。じゃあまた練習で。」

我ながら下手すぎる嘘だ。でも仕方ない。
私は学校とは真逆の方向の、自宅に向かってトボトボとゆっくり歩いた。

一人でぼんやりと初夏の日差しの中を歩く。
さっきまで、あんなにはしゃいでいたチョコミントアイスが、全然美味しく感じられない。
綺麗な水色だったミントアイスは、ドロドロに熔け出して、チョコレートの茶色に侵食されていく。泥みたいだ。
気持ちのいい初夏をブチ壊されてしまった私の、ドロドロの執着心と重なって見えて、無性に虚しくなった。美味しかったアイスも、ほんの数分でここまで姿が変わってしまう。数分前の私は皆でアイスを食べているだけで、あんなに心から楽しいと感じていたのに、今はあのときの私が羨ましい。
私の喜びなんて、数分でドロドロの醜い感情になる程度の、甘ったるいマヤカシだった。

コンビニのアイスみたいに、ずっと凍らせて保存しておける幸せがあればいいのに。
わざわざ暖かい場所を求めたりするから、溶け出して変形してしまうんだ。
去年一年間、軽音楽部で培ってきた私の幸せを冷凍保存できるなら、しておきたかった。

アイスの紙パック容器が、溶けたアイスでひしゃげて使い物にならない。
私は、コンビニのゴミ箱に捨てに行こうと後ろを振り返ると、何故かさっき置いてきたはずの桜井くんが居た。

私はムスッとした顔で聞く。

「なんで着いてくるの。」

桜井くんもムスッとした顔で答える。

「着いてきたんじゃなくて、俺の家、こっち方向だから。」

確かに。桜井くんの家は私の家と同じ方向だ。着いてくるつもりがなくても、自ずと同じ道筋を辿ることになる。
しかも私はぼんやりして、異常に歩くのが遅かっただろうから、桜井くんがあっという間に追いつくのも無理はないだろう。

「ごめん…」

桜井くんは苛立った顔を崩さないまま、さらに私を尋問する。

「そう言ってる春は、なんで学校とは逆方向に歩いてるの?忘れ物したんじゃないの?」

観念した私は、素直に謝った。

「ごめんね。嘘ついた。皆に八つ当たりしそうで。後、一人になりたくて。」

私の言葉を聞いて、桜井くんの表情が、あっという間に柔らかくなる。少し拍子抜けだ。

「そっか。謝ってくれたから、もういいよ。それにしても春のアイス、ドロッドロで笑っちゃうよ。きたねー!」

屈託のない表情で桜井くんは笑った。やっぱり桜井くんは切り替えが早い。
本当に桜井くんの長所だ。私もこんなに切り替えが早くなれたなら、こんなに苦しくないのに。
こんな思いをわざわざ背負って、足を引きずって歩くような気持ちにならなくて済むのに。

「ねえ、桜井くんって私と喧嘩しても、すぐ切り替えて、何もなかったみたいに接してくれるよね。なんでそんなに切り替えが早いの?長所だと思う。
私は同じことウジウジずっと考えちゃう。切り替えるコツを教えて欲しいよ。」

桜井くんはえー?とか、んー?とか言いながら、しばらく悩んでいた。
そしてある答えを見つけたらしく、そうか!と一人で頷いた。

「長所はさ、短所なんだよ。で、短所は長所だよ。
俺は簡単に言っちゃえば、単細胞なんだ。よく言えば切り替えが早い。
でも実際は、一つのことしか考えられないんだ。目の前のことしか見えない。

だから、春は長所って言ってくれたけど、他の誰かから見たら、一度に一つのことしか考えられない、馬鹿野郎かもしれない。」

「桜井くんは馬鹿じゃないよ。」

そう気を遣って言った私に、桜井くんは、ありがと、と笑った。

「春は同じことをウジウジ考えてしまうのが短所だと思ってるみたいだし、他の誰かが春を見たら、メンヘラっていうかもしれない。
でも俺からしたら、よくそんなに感受性が豊かになれるなって、感心しちゃうんだ。
泣いて、悩み続けて、わざわざ苦しんで。
だから、今日みたいなビリビリする歌を歌えるんだよ。
俺みたいに、切り替えていけちゃう奴は、春みたいな歌は歌えないんだ。
凄いって思ってるよ。」

短所は長所、か。そんなことは考えたこともなかった。
私がこうやって未練タラタラで傷ついていることも、バンドでなら長所になるんだろうか。
毎日毎日、優太のことでさめざめ泣いている私だから歌える歌があるのだろうか。正直、全然自信がない。
戸惑っている私に、桜井くんは質問を投げかける。

「あいつらとすれ違ってからだよね。春のウジウジ病が発症したの。あいつらと、なんかあったの?」

私は覚悟を決めた。「話、長くなっちゃうけどいいかな。」

私たちはコンビニまで移動して、さっきのドロドロアイスをゴミ箱に捨てた。
ついでにコンビニのお手洗いで、手にへばりついてしまったベタベタのアイスクリームを石鹸で洗い流した。
綺麗になった自分の手を見て、心を取り出して、石鹸で洗えたら気持ちがいいだろうなと思った。心はどうして実体がないんだろう。

手を洗い終えた私は、桜井くんとコンビニ前に設置されている青いベンチに座り、私は胸につっかえていた今まであったことを、事細かに、全て打ち明けた。

優太と過ごした優しい一年間のこと。でも優太は愛子を好きになったこと。
愛子は彼氏がいるのに、優太とも関係を持っていること。
そして、その彼氏が、私が尊敬していた影山先輩だったことーーー。
桜井くんは、黙って話を聞いてくれた。
そして私が話し終わると、すごく大きい声を出した。

「あのアバズレ女!!!!!男だったらボコボコに殴ってやるのに!!!」

桜井くんが想像以上にブチ切れてしまったので、なぜか私が、どうどう…と桜井くんをなだめて落ち着かせた。
桜井くんが深呼吸している。

「そんなに怒ってくれると思わなかった。驚いちゃったよ。」

「俺、さっきも言ったけど、単細胞だから。目の前の感情が勝っちゃうんだよ。
俺の大事なバンドメンバーの春が、訳のわからんアバズレ女に精神すり減らされてるって思うと、無性に頭来ちゃって。
あの女、私は清純派ですみたいなルックスしてんのが気に食わないよな。
ああいう男ウケのために生きてそうな女、俺苦手なんだ。
アバズレならアバズレらしくしろよな。そしたら正直で好感持てるのにさ。」

私は桜井くんがズバズバと自分の思っていることを代弁してくれたので、笑いを堪えていた。
確かに愛子が網タイツでも履いて、真っ赤なルージュなんか引いていたら、ここまで腹ただしさはなかったかもしれない。
あの、清らかな装いが、白い肌が、そして栗色の髪が。
私のコンプレックスを悲しいほどに刺激するのだ。

「私の思ってたこと言ってくれて、気持ちいいよ。私も、あの子の清純が怖い。だから桜井くん、あの子のこと睨みつけてたの?」

桜井くんは、バツが悪そうな顔をしながらも、話してくれた。

「いや。春と影山先輩が話してるとき。あの女、俺の方をジッと見てきて。
なんだ?と思ったらさ。ニコッて笑いかけてきたんだよ。
純真無垢を装ってたけど、獣が獲物を狙うときの感じがして。
ああ、これで男を落としてきたんだろなって感じが寒くて。
条件反射的に睨みつけちゃった。」

確かに寒い。背筋の凍る話だ。愛子が桜井くんまで手中に収めようとしているとしたら、愛子のアバズレっぷりには感服だ。もしかしたら、愛想良くしようとしただけなのかもしれない。でも今までのことを思うとそうは思えない。
私の大切なものをまた奪おうとしたように思えて仕方ない。

私はあの子に恨まれるようなことをもしかするとしてしまったのだろうか?
そう思ってしまうくらい、私の周りのものを狙い撃ちしすぎている。
何故、私なんだろう?

「コロッと落ちないでいてくれてありがとう…。」

「驚くほど興味ないよ。俺、金髪セクシー美女が好みなんだよなー。
あの子は、誰かの男を取ることで、自己肯定感を満たしていくタイプなのかもね。」

「そうなのかなあ。そして金髪セクシー美女って。理想たっか…」

高くないよーと桜井くんが笑う。高すぎるよと私も笑う。
私は自分の隣でギターを弾く人が、人の見る目がある人と知って、嬉しかった。
なぜなら、そんな人がボーカルとして選んだ私も、もしかしたら魅力的なのかもしれないと、勘違いできるからだ。
もし、今は魅力的じゃなくても、いつかなりたい。
桜井くんが、コイツを選んで正解だったと笑う日を作りたい。

「私、良い女になるね」

そう言って笑った私の頭を、桜井くんがグシャグシャ、グシャグシャと両手で掻き乱した。桜井くんにこれをされるのは二度目だ。

「そのグシャグシャする癖、なんなの…!?ただでさえキシキシの髪が、余計収集つかなくなるよ。」

「ごめんごめん、俺なりのエール。春の髪、そんなにキシキシかなあ?」

「キシキシだし、真っ黒だし。私も栗色の髪に生まれたかったな。あの子が羨ましい。」

桜井くんは何言ってんの、という顔で私を見ている。

「え、何…?」

「いや、髪色は自由にしたらいい思いますけど。俺も何回もブリーチしてるし。
でも、春の真っ黒な髪、どう考えても格好いいけどなあ。
大和撫子っていうの?春の凜とした顔に似合ってるよ。俺は好きだなあ。春の髪色。」

短所は長所という桜井くんの言葉が、ここにきて重さを増す。
私のコンプレックス。透けるようなあの子の髪が長所だと思っていたけど、桜井くんの目で見れば、私の黒髪は長所なんだ。
他にも沢山ある。私の中のコンプレックスの一つ一つも、視点を変えれば長所になり得る。自分で長所を見つけられないときは、桜井くんや、他の誰かが見つけてくれるかもしれない。

そう、いつか私にまた出来るかもしれない恋人が、私の黒髪を撫でてくれる日がやってくるかもしれない。


「ありがとう。やっぱ桜井くんは馬鹿じゃないよ。」

「まあ、俺が一番好きなのは金髪セクシー美女なんだけどね。」

やっぱりちょっと馬鹿かもしれない…と思ったけど、それは言わないでおいた。





第八話へ続く↓↓↓




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