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現実の理解とは達成しうるものではない!

いかなる事象であろうと、それをできる限り良く知りたいと望むならば、可能な限り様々な視点からそれを検証する必要がある。

問題を単純にとらえず、多面的に取り組むのが本題で、不完全な明確性で片づける性格のものではない。

人間の悪の問題は、あまりにも重要な問題で一面的な理解で片づけたり、あまりにも大き過ぎる問題で単一の基準系でとらえたり、またあまりにも基本的なものであるため、不可避的なミステリアスなものとなる。

基本的に現実を理解するということは、ただそれを目指して取り組み、それに近づくことができるものでしかなく、達成できるものではない。

近づけば近づくほどに、それを理解していないということに、その不可解性に、ますます気づき、畏怖の念を抱くものである。

それならば何故理解しようと務めるのか? こうした疑問こそニヒリスティックな言葉である。

我々は何故行動し学ぶのか?

自分が興味を抱いているものに、たとえ微かなものでも、理解の光を得るということは、より満足感を覚え、建設的なもので、完全な暗闇の中でのた打ち回るよりもましだからである。

われわれは、全てを理解し支配することはできない。

何度もスコット・ペック氏は言います。

我々がモデルと呼んでいるものは、単に選択技的なものの見方に過ぎない。
考えを発展させるには、あなたの能動的なベクトル方向性しだいである。


呪術的思考という性癖がある?


自分の考えが、「そのまま物事を引き起こす原因になる」と信じ込んでいることである。「相手が不幸になればいい」と願ったら、その相手が病気にかかってしまった、「自分の考えたことが原因で病気になったのだ」と思い込み、罪の意識にとらわれる。
アラララ~^?

呪術的思考という性癖がある?
自分の考えが、「そのまま物事を引き起こす原因になる」と信じ込んでいることである。相手が不幸になればいいと願ったら、病気にかかってしまった、自分の考えたことが原因で病気になったのだと思い、罪の意識にとらわれる。
通常、思春期の頃には、こういう傾向は卒業するものだが。
しかし、なんらかの形で不当な精神的外傷を受けた子供たちは、この呪術的思考の段階を抜け出せないことが多い。


「自分の考えたことが現実になると信じること」が、神経症の重要なファクトになっている。

何度もその考えが浮かび恐怖にとりつかれた時、その考えの力を無効にし、取り消そうと必死になって行動する、脅迫的な衝動にとりつかれるのである。
なあるほどう!  核心に迫ってきましたあ!


これをごく普通の精神的な病の典型的な特性だという観点から分析すればこの話はここで終わりになる。

筆者はこれを伝統的なキリスト教のモデルに基づいて考えてみた。
筆者はこれを人間の人間としてここまで至らしめてきた生存のための性だと思った。

神は悪との闘いで有意義な存在となる。人間の心は神と悪魔の間の大きな戦いの戦場の場となっている。
(悪魔が異教徒なのか、無神論者なのか、法を犯すものなのかは、ここでは書いてはいない。)しいて言えば、貴方を地獄へ突き落とすものと言おうか?


究極的に重要な唯一の問題は、人間の心が神に組するか、悪魔に組するかである?
う~~ん、分からない?

宇宙的な史観に置いて、一人の患者の病を悪魔との契約を破棄することによって、地獄から神への栄光へと人類の希望にと自分自身を救い出した。
ハリウッド映画のスターウォーズのようだ。
宇宙船に乗った飛行士の感想みたいだ。


スコット・ペック氏が治療を通じて考えることは、目に見えない精神という不思議なものに、宇宙の星屑から我々は生誕したという謎解きに参加している事を否定できない何かに、神秘性を感じそれを敬っているからに他ならない。


光のない闇の中にいることは人間には耐えられない。
光のない藪の中に隠れていることは人間にはできる。
その目的は身を隠すということか? 獲物を見つけることか?


ショーペンハウエルの叔父様が苦々しく言う。
「愚かな人間どもめ。葉隠れの術じゃ。自分の宇宙観に従え!」
「子供の頃のトラウマなど履いて捨てろ! この世の中に美味しいものが沢山ある。」「お前らの馬鹿げた歌で十分だ。それがお前らの癒しになるなら、それで十分だ」
おじさまあああああ~~~~~~~~!
はい、かしこまりましたあ~~~~~~~~!
あああああ! ~~~~~~~!(笑)
お粗末なエンディングでございましたああああ!~~~~!
ここまでの乗り誠に有難うございました。~~~~!


☆彡

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