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映画『ナラタージュ』の魅力③


↑ ①はこちらです


②では、おもに泉について書きましたが
③では、葉山と小野について書いていこうと思います。

先にも書いた通り、そもそもでこの作品が
「工藤泉のナラタージュ」
つまり
「泉の視点から語られる過去の物語」
なので、あくまでも泉から見て二人が、それぞれどんな人物としてうつっていたのかというのを、泉との関係も併せて書いていけたらと思います。
「相手は自分をうつす鏡」だとか、「誰を好きかより誰といるときの自分が好きか」などとよく言われますが、
「誰といるかで見えてくる、見たことのない自分」だったり、一人の人のなかの矛盾や人間くささの深い部分に切り込んでいるのも、この作品の大きな魅力だと思います。小野・葉山それぞれと泉とのあいだに、なまなましく描かれている「人間」について考えていこうと思います。



・葉山――泉を通して見えてくる3つの側面


泉側から見ると葉山は謎の多い人物でありながらも、いくつかの側面が見えてきます。作中の彼に関するシーンを辿っていった時、彼のこんな顔が見えてくるのではないでしょうか。

1、教師の顔……生徒たちを、後ろから優しく見守る先生
2、泉に対しての顔……言葉と行動の矛盾、ゆらぎ、溜め込んだ本音を吐露する一面
3、恋愛に対しての顔……仄暗く、自虐的な一面


葉山を、彼の職業である「教師」という面から見ていくと、演劇部の柚子の言葉や、序盤の誕生日サプライズのシーンからも「生徒たちに好かれている熱心で優しい先生」であることが伺えます。サプライズに対して楽しそうに「うまくいった?」と聞いたり、一緒にケーキを食べたり。部内の生徒同士のカップルも把握していて、遠くから優しく見守っているという印象です。どれも、先生や校則によっては生徒に対して叱ったりやめるように言ってもおかしくない場面です。
泉が高校生の時のシーンで、葉山に想いを伝えようと、書いた手紙を持って準備室を訪ねるシーンがあります。この日、泉は珍しく香りを付けて先生に会いに行きます。香水なのか、コロンやクリームのような軽いものなのかはわかりませんが、その香りに気付いた葉山は、こんな風に言います。

「いい匂いがする。君に合ってるね」


葉山という人物が表れているひと言ではないかなと思いました。
この時点でかなり二人が親密だったことや、泉が不良のような生徒ではないということがわかっていたからというのはあるかもしれませんが、
それを差し引いたとしても葉山は、教師として生徒を「子ども」とか指導するべき「下の人」として見るというよりただ純粋に「人」として見るような大らかさがあって、「場を自分の思い通りに行くように支配しよう、人をコントロールしよう、生徒にいうことをきかせよう」というような意識があまり、というかほとんど無い。生徒を、上からというより後ろから見守っている印象です。
もしかしたら、映画や演劇などの芸術を好み、いろいろな国の物語を知っているという面が、生徒同士の(恋愛も含めた)人間関係や、一人ひとりの自由な発想を尊重しようという方針に繋がっているのかもしれません。あるいは(終盤の海辺のシーンを見るとわかるのですが)、妻とのことがあった後、学校も移動になり、そこから泉と出会って気力を取り戻していったものの、やはりまだ気力を失ってしまった自分を引き摺っているだとか、もともとの性格だとかも関係しているのかもしれません。



・下からの葉山・上からの小野


そんな、びっくりするくらい「マウントをとらない」葉山ですが、泉に対しては、マウントをとらないどころの話ではありません。
泉と対面でやりとりをするシーンは特に、画面に葉山と小野の違いがはっきりと出ているように思います。この二人の違いは(どちらが良い・悪い、あるいはどちらも……と思うかは、人それぞれだと思いますが)泉をどういう風に愛しているかがまったく違うということのあらわれではないかなと思います。そしてそれは後々の、葉山と泉がそれぞれに出した答えの微妙な違いにも繋がっていくものだと思います。

まず、葉山と泉が向かい合うすべてのシーンに注目してもらいたいのですが、かなりの確率で泉に対して葉山が下から視線を合わせています。葉山の方が身長がやや高いのに、です。
例えば序盤、浜辺でしゃがむ葉山が立っている泉を見上げていたり、熱を出した日にベッドに座っている泉に葉山が下からすりりんごを食べさせていたり、浴室で座っている葉山が立っている泉を見上げたり、その後の明け方のシーンでソファに横になっている時でさえ実は葉山の方が下から泉を見上げていたり。終盤、病院前のシーンでは、素足で立ち尽くす泉を見て葉山が真っ先に膝をつき、素手でその足を覆います。その後、泉もその場にしゃがんで目線を合わせますが、本音を吐露する葉山はさらに蹲るようにかがみ、泉を見上げます。
こういった、特に泉が大学生になってからの葉山の、自分の本心を吐露し彼女を見上げるという行為は、どこか、聖なるものへの懺悔のようにもうつります。こうした姿勢を(おそらく無意識のうちに)とる葉山にとって、泉がどれほど眩しく、救いで、穢れのない大切な存在であり幸せを願っているかということを、感じさせられます。一方で「神聖視」にも見えるこれらの無意識の態度が、泉の側に立って見ると非常に残酷なものにもうつりかねません。
対する小野ですが、特に、終盤に泉が小野のもとを去っていくシーンを見てもらいたいのですが、このシーンに関してはまた後で、小野の項で細かく書いていきます。

さて、そんな常に下からの葉山ですが、泉をどう思っているかについてはっきりと言葉にするのは最後の最後、海辺でのシーンです。その言葉に至るまでの行動を辿っていくと決して筋が通っているとはいえず、
「なんなんですか」「どう思っているんですか」と聞かれると話を逸らしたり濁したり謝ったりと葉山自身もゆらぎ、悩み、葛藤し、どう答えを出すべきかを探っているようです。
序盤の海辺でのシーンで葉山は自分の過去について泉に話し、泉は「先生の力になりたい」と、告白にも近い想いを言葉にします。葉山はこう返します。

「自分の幸せをちゃんと見つけてよ。そのほうがいい」


泉に言いながらも、どこか自分に言い聞かせるようでもあるこの言葉が、葉山のなかにある理性の部分での間違いない本心なのだと思います。しかし、その一方で、行動は矛盾だらけです。泉が卒業する日には口づけをし、熱を出せば自宅まで行って料理をして食べさせ、自分が弱った時には助けを求めます。
物語の視点が泉であるため、浴室のシーン以降は、葉山が何を思いどう過ごしていたかということは更に見えにくくなりますが、それでも、突然かかってきた電話や、泉が再び葉山の家の前まで歩いてきた時の橋のシーンなどからも、彼の不安定な心が垣間見えます。


先にも書いた葉山の、下の立場の人に対しても「おおらか」でとにかく「マウントをとらない」「一歩引いていて相手を尊重する」という面や、物静かな面は先生としても人としても魅力的にうつりますが、一方で、それが裏目に出てしまうことも多々あります。
社会科準備室で葉山と大学生になった泉が久しぶりに話すというシーンで、泉がこんなことを言います。

「先生は相変わらずですね。そうやって言おうとしてたことを途中でやめちゃうところ」


泉も気付いているこの「言おうとしてやめてしまう」葉山の癖が、特に後半、電話のシーンや橋でのシーンにも繋がっていきます。どうにも、一歩どころか数歩引きすぎてしまう葉山は、時としてどこか自虐的にすらうつります。そんな彼の恋愛観だったり、人に近い距離で関わろうとした時の一面がよく出ているのが、看病のシーンでの泉への思いを話す台詞と、車内のシーンでの妻への思いを話す台詞です。

「君は……卒業して、現実に立ち返ったら、すぐに僕のことが負担になる。そうなったら君は優しいから、苦しむと思った。」

「傷つけるだけだと思ってたから。どう考えたって、僕のことなんか忘れて、違う場所で生きたほうが彼女のためなんだろうって思うんだよ。せっかく耐えてきたのに……どうしたらいいのかが分からない。」


わからないということをわからないとはっきり言える人が、それも、信頼しているとはいえ教え子で何歳も若い大学生に言える人が、(だいぶ言っていることとやっていることがぶれているとはいえ)ただ単純に弱くて臆病な人とは思えません。葉山は決して強い人のようにも見えませんが、かといって、人に対して威圧的な態度をとったり、上の立場をなんとしても守って相手をコントロールする側でいたいというような類の弱さを一切感じません。ただ、自虐的なまでに自分のなかに抱え込み沈黙するのは妻の一件を引き摺っているせいなのか、それとも、もともとの性格なのか、この作品では明かされなかったもっと幼少の頃の出来事に由来するのか、それはわかりませんが、そんなことを考えさせるくらいにはどこか無気力で、この人の周りだけ時が止まってしまっているかのような、謎のほの暗さを常に纏っています。



・小野――泉を鏡にうつし出す光

謎が多い葉山に対して、いかにも若者、どこかにいそうな大学生、という感じの小野は一見わかりやすそうですが、泉と関わっていくなかでまた新しい顔が見え始めます。以下のような段階を踏んでいるのではないかなと思います。

1、 自ら手繰り寄せ掴んでいく野心の人
2、 一生懸命さが裏目に出て、目的を達成することに執着
3、 小野にとっての葉山の存在、振り払うことのできない影


物語の序盤で泉に告白するも、その場で断られてしまった小野ですが、中盤で状況が変わります。浴室でのシーン以降、稽古を重ねていくなかでも二人は目が合うことも殆どなくなり、ついに文化祭の本番も終わってしまいます。あっさり葉山との別れの日が終わってしまい、明日からどうしたらいいかわからなくなっていた泉を、小野は自分の実家に誘います。数日の後、別れ際に「やっぱり好きだ」と告げる小野に、今度は泉からの言葉で二人は付き合い始めることになります。
小野の実家からひとり、バスで帰る泉。そして、二人のベッドシーンへと繋がっていく流れの中で、泉のこんな語りが入ります。


私は、バスの中でもう一度だけ先生を思った。
一緒にいるだけで身に余るほどだったのに
いつの間にか欲望が現実の距離を追いこして
期待したり要求したりするようになっていた。
どんどん欲張りになっていたんだな
そう思えた。


これは泉が、葉山に対しての今までの自分を振り返っての語りなのですが、
まるでこのシーン以降の小野をあらわしているかのようでもあります。逆に言えば、そんな小野と真剣に向き合ったからこそ、泉は自身のなかにこういった一面を見たのかもしれません。

大学で勉強をしながら、靴職人という夢を追う小野。彼が作った靴を履く泉の足元がとても印象的に撮られています。
止まった時間のなかにひとりで佇んでいるような葉山と、ぐいぐいと前のめりな、時間を追いこしそうな勢いの小野は、ある意味対照的です。小野のそんな意欲的で一生懸命なさまは、きらきらした若者としての魅力でもあるはずなのですが、どうにも空回りして裏目に出てしまいます。
夏の稽古中に葉山を見つめていた泉のまなざしを、ずっと横で見てきた小野。泉が彼に惹かれていった高校時代の話も聞いているだけに、その大きな存在への不安がつき纏います。それに加え、葉山は泉が小野と付き合っているとは知らず、深夜に一度、泉に電話をかけてきます。
小野は泉に携帯の着信履歴を見せるように要求し、問い詰めたり、彼女の手帳のなかにあった高校時代に葉山と撮った写真や、渡せなかった手紙の中身を見てしまいます。
小野が泉を問い詰めるシーンの言葉の端々には、年上の、泉がどうしようもなく惹かれていた存在へのおそれや不安が溢れています。
意欲や行動力があるあまり、彼のなかにあったはずの泉への「一緒にいたい」「ただそばにいたい」という純粋な気持ちはどこか置き去りにされ、彼女への執着、「絶対に彼女を手に入れる」というような目的を達成したい気持ちへとすり替わっていってしまいます。
夜道で不審な人物に追いかけられ、電話で助けを求めてきた泉に対し、小野はこう言います。

「泉さ、もしも俺が迎えに行くって言ったらもっと俺のこと好きになってくれる?」


そしてエスカレートしていった行動の果てに、ついに小野の不安はこんな言葉となって吐き出されてしまいます。

「本当は俺のことなんか好きじゃないくせに、困った時だけ頼んなよ」


泉はそんな彼の気持ちも汲み、そしておそらく自分自身のためにも、大切にしていた写真や手紙を破いて捨てます。そんな泉の姿は、前に進むためにも、葉山を必死で過去のものにしようとしているようにもうつります。
しかし、二人の合わない歩調の差は次第にはっきりと広がっていきます。小野という眩しすぎるくらいの強い光に照らされれば照らされるほど、泉はまるで鏡を見ているかのように、自分のなかの葉山への真っ直ぐな気持ちを再確認してしまいます。そして、思いもよらない事態から葉山と再会することになり、泉の思いは決壊します。
葉山先生のところに戻りたい、と告げる泉に小野は怒りをあらわにしますが、葉山のために涙ながらに土下座までする泉を、思わず抱きおこします。


「離して」
「絶対離さない。そばにいたい」
「一緒なんだよ。小野くんがそう言ってくれるのと同じ気持ちで……私は、先生を見てる」


泉は小野のもとを去り、彼の前には、彼女のために作った靴だけが残ります。


④以降では、

・『エル・スール』と『ナラタージュ』――引用作品でさらに立ち上がる人物像
・「工藤泉の『ナラタージュ』」である、という大きな意味


などについて書いていこうと思っています。

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