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世界が「思い込み」でできていることに気づいてしまった日。〜「村田沙耶香」と「大豆田とわ子」と「東京女子図鑑」〜

どうしよう。さっきまで眠っていたのに、頭が熱くて起きてきてしまった。わたしは恐ろしいことに気づいてしまったのかもしれない。

仮想現実だと思い込んでいたのものが、未来が、もうすぐそこまで来ている。

そう考えたら、恐ろしくて眠れなくなってしまった。

トリガーは、「村田沙耶香」と「大豆田とわ子」と「東京女子図鑑」だ。

村田沙耶香さんは、私が2年前からハマっている作家さんで、2016年に芥川龍之介賞を受賞した『コンビニ人間』は30言語以上に翻訳され、大ベストセラーとなった。あらすじは下記だ。

「いらっしゃいませー!」お客様がたてる音に負けじと、私は叫ぶ。古倉恵子、コンビニバイト歴18年。彼氏なしの36歳。日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる。ある日婚活目的の新入り男性・白羽がやってきて…。現代の実存を軽やかに問う第155回芥川賞受賞作。

『コンビニ人間』で検索すると、関連ワードに「やばい」「サイコパス」と出てくる。

なぜなら彼女は無感情で、誰かと話すときも「顔の筋肉を動かして発声をする」ロボットのような人間で、「コンビニ」という核がないと生きていけないからだ。

でも、わたしはそれを「やばい」「サイコパス」とは思えない。

これを読んだとき、主人公のことをはじめは「変わった人だな」と捉えていたのだが、読み進めてくうちに他人事じゃいられなくなった。

すべてではないにせよ、わたしも機械的に人に接するなど、彼女に通ずる部分があると感じてしまい、一気に「自分ごと化」したのだ。

これは決してサイコパスじゃない。私だ。私のことだ。そう思わせる力が、この物語にあった。だからこそベストセラーになったのだと踏んでいる。

それでもやっぱり所詮、フィクションはフィクション。読後から1週間も経てば、私の興味は『コンビニ人間』から他のものへと移っていった。

それからしばらく経って、ふと思い出したように村田沙耶香作品を全部読んでみることにした。

ひとりの作家の作品に目を通してみると、彼女が大切にしていることや、価値観が浮き彫りになってくる。


「カップル」ならぬ「トリプル」という3人で交際することが是とされている世界。

「家族」という概念が消滅し、パートナーとしての夫のほかに恋人(アニメキャラクターでも可)を持ち、人工授精で産まれた子どもを地域全員で育てている世界。

10人子どもを産んだら、人をひとり、殺しても良い世界。

人が死んだら葬式ならぬ「生命式」で人肉を食べ、そこで出会った異性と「受精」をして命を育む世界。

人間の髪や骨でできたファッションや家具が高級品とされている世界。


いろんな世界を旅するなかで、わたしは気づいてしまったのだ。これは、仮想現実でもフィクションでもない。これは、これから来るべきリアルな未来予想図なのだ、と。

彼女は、生と性の「当たり前」を疑い、物語を通じて壮大な実験をしている。

どうして人は家族にならなきゃいけないんだろう。どうして異性と結婚をして女性が子どもを産まなければならないんだろう。どうして人を殺しちゃいけないんだろう。どうして人を食べてはいけないんだろう。

これに私たちは、「倫理観」という曖昧な言葉を使わずして答えられるんだろうか。

彼女の作品の冒頭には、お決まりのようにこんな説明が添えられている。「私が子どもだった30年前は、人を殺すのは(食べるのは)悪だとされていた。でも、世界は変わった。」

今現在を生きる私たちは、何も疑うことなく「そんな世界、来るわけないじゃん」と思い込んでいると思う。

一方で、世界は少しずつ確実に変容してきている。

誰が30年前、同性愛が認められるような世の中に、一部の人が動物製品を拒絶する世の中に、結婚せずに働く女性が賞賛される世の中になると予想ができただろう?

今春放送されたドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』が最終回を迎え、令和のトレンディードラマと呼ばれたとき、それは確信に変わった。

バツ3で多数のアプローチがあるにも関わらず、ひとりで生きることを選んだ女性が、「世間に流されず、男に頼らず、自分の幸せに素直な女性って素敵」と大喝采を浴びたのだ。

ひと昔前と真逆ではないか。離婚したら「傷モノ」で、ハイスペ男子と結婚して玉の輿になることが「幸せ」で、25歳を過ぎたら「女じゃない」で、独り身って「かわいそう」な時代と。

2017年にAmazonプライムで配信された『東京女子図鑑』では、上京してハイスペ男子を捕まえるために毎晩合コンを繰り広げ、30歳までにロブションでディナーをしてタワマンに住む女性の煌びやかな人生が描かれているが、少し前までは憧れだったはずの「港区女子の幸せ」に、全然ときめいていない自分がいた。

もう古いのだ。絢爛豪華なディナーも、金持ち夫に寄りかかる生活も。なんせ今は団地をリノベしてドライフラワーを飾りミニマムに生きる時代なのである。

それでいくと、

「『家族』というシステムにとらわれずに自立して生きる人って素敵」
「通常燃やされてしまう人体を家具にするってエコだわ」
「パートナーの他に恋人がいるなんて、気分転換できて良いわね」
「大切な人の肉を食べて得た力で新しい生命を育むなんて理に叶ってるわ」

なんて言われる世界に変容しても全然おかしくない。マジで。おかしくない。

わたしは発狂しそうになった。これはわたしが頭で考えている予想なのか?それとも村田沙耶香さんに洗脳されてしまったのか?

村田沙耶香さんは芥川賞授賞式でこう言った。「私は人類を、裏切るかもしれません」

わたしは思った。本当にそうなのかもしれない。裏切るという言葉が正しいのかはわからないけど、確実に新しい未来を示してしまっている。仮想現実じゃない。これは「提案」だ。

実際に、「恋愛感情が持てない」という友だちに、「家族」という概念が消滅し、夫のほかに恋人を持ち、人工授精で産まれた子どもを地域全員で育てている世界を描いた『消滅世界』を勧めたところ、「これはまさに理想郷かもしれないね」なんて話になったことがある。

わたしの友人のなかには事実婚をした人もいるし、同性が好きな人もいるし、複数の人と付き合うポリアモリーの人もいるし、「結婚する理由がわからない」という人もいる。

そういう人たちが身近にいるからこそ、より思うのかもしれない。

「あれ、これってもしかしたら、村田沙耶香さんの考えたシステムが適応されたほうが、生きやすいんじゃない?」って。

今のご時世、「女は若いうちに結婚して、おうちに入り、子どもを産みなさいねぇ」なんて言った人のほうがめちゃくちゃに叩かれる。

要するに、「女は若いうちに結婚して、おうちに入り、子どもを産みなさいねぇ」というのは人類の単なる「思い込み」に過ぎなかったのだ。

それに気づいたとき、世界がバラバラッと音を立てて崩れていくような気がした。なぁんだ、全部「思い込み」だったのか、と。そうすると、その「思い込み」に縛られることの、なんと窮屈なこと。

村田沙耶香さんは、自分がずっと「これは口に出してはいけないかもしれない」暗黙のタブーをそっと解き放ってくれる。

彼女は、小説を書くことを「祈り」だという。もしこう思うことが彼女にとっての「祈り」なら、それは届いているのかもしれない。

あまり口に出したことはないけど、わたしは「結婚をする意味」もあまりわからないし、名字が変わるのも嫌だし、死ぬほど痛いなら子どもを産むのも怖いと思っている。

それを、最近の世界は、「別にいいんじゃない?」と言ってくれている気がする。そして、それを後押ししているのは、ドラマや小説だ。もしかしたらクリエイターが世界を変えているの? だとしたら革命じゃないか。

世界が変わるのは恐ろしい。予想外のことが起こるかもしれない。でも、もっと変化が加速すればいい。

加速して、本当の意味で誰もが押し付けられるでもなく、自分にとっての幸せを自由に追える世界になればいいと思う。


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