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働くことは、「ここに存在していい」と思えること

「なんか自分、小さいころからあまり変わっていない気がするんだよね」

そう友人に漏らしたら、「わたしもそうだよ。人はそうそう変わらんよ」と返された。そうか、やっぱり変わらないか。

自分はダークな思い出を結構引きずっている節があって、時折ふっとそれを思い出すことがあるんだけど、最近それが少しずつ浄化されているように感じる。

昔から、できないことが多いと感じる人生だったと思う。当たり前のように皆が何の気もなしにできていることが。

たとえば人の輪に飛び込んでいくこと。グループにうまく馴染むこと。いつもうまくできなかった。誰かに話しかけられると変に緊張するし、何か面白いことを言わなくちゃ、と言葉を探していた。

幼稚園のとき、ママ同士が仲の良い子たちとお泊まり会をして、誰よりも遅く目覚めたら「戦隊ごっこ」が始まっていたことがあった。

「俺はグリーン」「僕はレッド」「僕はブルー」「わたしはピンク」「うちはイエロー」

パジャマのままぼけっとしているわたしに向けて、みんながそれぞれが名乗る。わたしは何も言わずにひとり部屋に戻って、考えた。

悲しいとか寂しいとかよりも先に、「お母さんにバレないようにしよう」と思いが出てくる。

悪意があって仲間はずれにされているとは考えたくないけど、「かわいそう」と思われるのが1番嫌だった。

「自分と一緒にいても、きっと誰も楽しくないのだろう」

この残酷な事実を目の前に突きつけられ、齢6歳にして悟りを開くも、その後長いあいだ、誰かと関わることを諦められずにいた。

誰かに求められなくちゃ、自分の人生に価値はない。

その強迫観念にかられて、中学生になると、進んで「いじられキャラ」を買って出るようになっていた。

どうすれば好いてもらえるんだろうと、相手の顔色を窺って、相手の好きなものを真似て、クラスのムードメーカーの背中を追いかけて、盗めるものは全部盗んだ。

あなたの好きなものは全部勉強したから、どうか会話を楽しんでほしい。笑って相槌を打つから、気持ちよく話をしてほしい。

こうして書くとメンヘラ彼女みたいだけど、そういう献身的な思いが強かった。

この「誰かに求められたい」という思いは止まらなくて、高校生になっても、大学生になっても、ずっと誰かに合わせてばかりだった。

飲み会の時間が近づいてくると、怖くて酒をグイッと煽った。

どんな話にでも笑って返せるようにしないと。わたしはわたしの役割を果たさないと。ここにいられるようにしないと。

みんなが楽しそうに笑うなか、無駄に気を張っている自分が不思議でおかしい。何かひとつ、ネジが外れてるんじゃないか…とも考えたけど、おかしいと言うにはそこまでおかしさはなくて、逆に悩んだ。いっそ変な子だったら潔く変な子になったのになー、とまともな頭で考えた。

それがフッと吹っ切れたような感覚を覚えたのは、社会人になってからだ。

紙ベースの仕事が多かったなか、もともとパソコンばかり触っていたこともあり、「パソコンができる人」として重宝されるようになった。

大して気を張っていなくても、まわりから、「仕事ができる」と評価をされていることに気付いたのだ。

そのままの自分が、求められた瞬間だった。

キャラクターを作らなくても、酒が飲めなくても、無理して話を合わせなくても、人の輪のなかに飛び込まなくても。

社会での評価は、とてもフラットだった。

仕事を頑張れば頑張るだけ褒めてもらえて、喜んでもらえる。仕事を通じて信用が生まれて、勝手に求められていく。

相手の求めることにきちんと応えていれば、自分の居場所が勝手にできていく、というのは、なんと生きやすい世界なんだろう。

「仕事で認められる」という経験をしてから、わたしは変にまわりに溶け込もうとするのをやめた。

気持ちよく仕事さえできていれば、わたしはわたしのままでいいと思えたのだ。

今のわたしは、フリーランスのライターとして、文章を書くことでごはんを食べている。

文章を書く、なんてわたしにしてみればそんなに大したことはなくて、「これでお金がもらえるだなんてラッキーだなぁ」と思いながら書いているけど、自分が丁寧にやったことが、ちゃんと実績として返ってくるのはすごくいい。

ちゃんと仕事をして、求められているあいだは「ここにいていいんだ」と認められているような気がするのだ。

たぶん、自分は自分に自信がなくて、人に何かを与えられている実感がないから、誰かに向けて承認されたいと思っていたのだと思う。

だからずっとずっと苦しかったし、何かを与えないとそこに用意された椅子に座ってはいけないと思っていた。

以前、担当の編集さんに、「根っからのエンターテイナーじゃないと、この記事は書けない」と言われてハッとしたことがある。

取材をするとき、無意識だけど「この人の良さを広めたい」という思いで話を聞いて原稿を書くし、コラムやnoteを書くときは、「自分の経験で誰かが救われてほしい」と思いながらやっていた。

そっか。自分はエンターテイナーでありたいと思っていたんだな。

きっと人よりも「楽しませたい」という思いが強くて、楽しませられないと感じたときに、存在価値を見失ってしまうのだと。何だかちょっとかわいそうなピエロみたいだけど、ライターに向いている素質だなと思った。

たまに、ちょっぴり不安になって「この記事、大丈夫ですかね?」と聞きたくなるときがある。

そんなとき、「大丈夫だよ、よく書けているよ」と言われると、わたしはホッと胸を撫でおろす。

それが、わたしにとっての仕事。社会に自分が存在していいのだと思えるもの。

生きているなかで「居場所がないな」と感じることはたくさんあると思う。そんなとき、そこに自分がいてもいいのだと感じられる仕事に出会えたなら。

もう闇雲に認められようともがく必要はない。きっと自分にしかできない仕事がある。

働くって、いいよ。

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