諦める前に、“求められる場所”を探して書いてみる
わたしはライターと並行して声優としての活動(といってもまだまだ駆け出しだけど)をしているが、つねづね声優の勉強におわりはないなぁと思っている。
2年前、メインで通っていた養成所があったが、「このまま同じことをしていても抜きん出ることが難しそうだな」と、別でアフレコの練習ができる学校にも通っていたし、またそこで出た課題を相談したり滑舌を矯正したりするためのスクールにも通っていた。
学生時代にお金をかけられなかったぶん、やれることは全部やろう!とレッスン漬けだったのだ。
そのなかでずっと通っていたひとつのスクールを今日やめた。2年間は通っていただろうか。ここではさまざまな現役声優の方が滑舌や演技の指導をしてくれる。
滑舌に関しては、専用のカリキュラムがあるのでそれに沿ってひととおりこなした。
自分では「滑舌が良くなったなぁ…」と実感するタイミングは少ないけれど、指摘されることが減ってきたので少しずつ矯正されているのだと思う。
そしてもうひとつ、このスクールに通って良かったことは、業界のあれこれが知れることだ。
たとえば、養成所の審査に落ちてからはあらゆる事務所のオーディションを受けていたのだが、それぞれの事務所のことを詳しく教えてもらえるのですごく助かった。
事務所というのはご縁である。ものすごくうまい人でも需要と供給が一致しなければ入れない事務所もあるし、一方でうまくはないけど原石のような子なら入れるというところもある。
「試験に受かれば入れる」という大学とはまた少し違うのだ。でも、大抵の養成所生は事務所に入れない時点で「才能がないんだ」と夢を諦めてしまう。
そんな状況のなか、いろんな先生に教わりながら思っていたのは、「ある場所ではめちゃくちゃ褒められ、ある場所ではめちゃくちゃ注意される」ということだ。
これにはさまざまな理由があると思う。その先生の教育方針だったり、こちらに求めているレベル感だったり、熱量の込めかただったり、それによってこちらへの対応は変わってくる。
今回やめたスクールは、どちらかというと「褒めるところはちゃんと褒めてくれる」スクールだった。
然るべきところは直してくれるけど、自己肯定感が下がるほどキツいことを言われたことはないし、むしろ褒められることのほうが多かった。
ぶっちゃけ、ここだけに通っているのは危険だなぁとも思う。あまり注意されないから、天狗になってしまう可能性もあるし、満足してしまいそうだから。
一方で、このスクールがあったからこそ、わたしの心の平穏は保たれていたと言ってもいい。
他の場所でけちょんけちょんに言われても、ここで自分の知らない良いところを発見してもらえたから、「もうちょっと頑張ってみよう」と今も夢を諦めずにやれているんだと思う。
こういうことは仕事でも往々にしてある。
堅めな取材をフランクにやりすぎて変な空気にしてしまったことがある一方で、「堅い商材をポップに紹介してほしい」という仕事では本領を発揮して褒められることが多い。
もしも堅い取材ばかりやりつづけていたら、わたしの自己肯定感は今ごろ死滅していたと思う。
もしも書くことと堅い取材が切り離せないものだったとしたら、わたしはライターをやめていたかもしれない。
新しい仕事にチャレンジして、ビシバシしごかれるのは良いことだと思う。でも、ちゃんと自分が求められる場所を探していくことも大事だと思うのだ。
ぺしゃんこになってしまったら、もう本当に何もできなくなってしまうから。そこの場所がすべてではなく、もっと俯瞰して自分のことを見るためにも、ひとつではなくいろんなところに行ってみる。
心の平和を保つために、いくつか場所があるといい。
働く場所も。書く場所も。
そのなかのひとつとして、やっぱりnoteは「今日も更新、えらいね!」と心地よくわたしを肯定してくれるなぁと思う今日のこのごろです。
処女作『書く習慣』発売中です。
誰でもなんでもネットで自由に自分の思いを吐露できる時代。
「なにを書いたらいいのかわからない」「人に見せるのが怖い」という人に向けて、「書くことが好きになる」本を書きました。
書くことへのハードルをうんと下げて、皆さんの一歩を後押しします。
ぜひお手に取っていただけたら嬉しいです!
サポートは牛乳ぷりん貯金しましゅ