「やりたいことがない人間」、自分を切り売りすることにした
メンバーからこんな質問をいただきました。
もともとわたしは典型的な「やりたいことがない」人間です。
でも、最近ではゆるゆる生きていくうちに何となく「やりたいかもしれない」ことが見えてきました。
それをちょっとチラ見せしてみます。
やりたいことはないけど、やりたくないことがあった
わたしは1社目はぬいぐるみの営業、2社目は広告代理店のディレクター、3社目はメディアの編集、というキャリアプランもクソもないキャリアを歩んできました。
「やりたいことがない」なかでもキャリアを選ぶうえで念頭に置いていたのは、このみっつ。
「やりたくないことをやらないこと」
「ちょっとでも興味のあることをやること」
「自分の求めるスキルを手に入れられること」
たとえば、1社目では「営業」や「アナログ主軸の仕事の進め方」がやりたくないことで、ほしかったのは「クリエイティブに関わるスキル」。
2社目では「形に残らないこと」「過度な残業」がやりたくないこと、「書くことにまつわるスキル」がほしいものとして生まれたため、転職をしています。
最後は、「時間と場所に制約があること」「書きたいことが書けないこと」がやりたくないこととして生まれ、フリーランスになりました。
そんなワガママキャリア。
フリーランスになってからも、この選択基準は変わりません。
「やりたくないな」と感じたら素直にその旨を伝えたり、興味のある方向に近づけられるように企画提案をしたり、ルールを作ったりしてうまくやっています。
「仕事」という感覚のない「仕事」
一方で、これまで自分は、「お手伝い」をするような感覚で仕事をしてきたような気がします。
「編集者がいなくて困っている」友人がいたら助っ人として入ったり、「緊急でライターが必要」なクライアントがいたら、予定を合わせて入ったり。
誰かの事業を伸ばすお手伝い。
それは、必要とされているお仕事でもあり、「ありがとう」と感謝されるお仕事でもありました。
一方で、原稿が無事に納品されても、メディアが成長していっても、どこか引いて見ている自分がいました。
自分のしたことは一部のお手伝いであって、これはみんなの力でやり遂げたものだから、と。
そんなときにいただいたのが、書籍出版のお話です。
編集さんと一緒に「何を書こう?」というところから、「どうやって届けよう?」までを考えていく仕事は、どう考えても「お手伝い」ではなく、「自分が主体」となる仕事でした。
そうして生まれたものは、「自分の商品」のように思えました。
読まれなかったら100%自分のせい。
実際には編集さんも片棒担いでいるのだけど、自分が書いた以上、たくさんの人に読んでもらいたい!という想いが芽生えました。
ルールがないので、届け方も自由でした。読者さんとコミュニケーションを取ったり、マガジンを作ってみたり、口コミ集をまとめたり、イベントを企画したり
いちいち誰かに聞く必要もないし、承認を得る必要もない。自分で責任と愛を持ってやる仕事は楽しかったのです。
自分のことなので、あまり「仕事」という感覚もありませんでした。
仕事といえば、「あまり仕事だと思っていない仕事」がいくつかあります。
たとえば、Workship MAGAZINEでの連載とか。
自分の好きなように企画を出して、好きなように書いている記事なので、読まれなかったら100%自分のせいです。
イベントへの登壇や、講師をすることもそう。
ほかにも、Instagramの画像を作ったり、noteを書いたり、Voicyで発信したりすることは、あまり仕事のような感じがしません。
いまもそうだけど、電車に揺られて長々と文章を書き残している。ただそれだけだと感じています。
要は、「自分の知識や経験を切り売りする」ことに対して、自分は「仕事をしている」感覚を覚えないみたいです。
これは大きな発見でした。
仕事を「もらう」から仕事を「つくる」へ
そこからわたしが勇気を出して作ったのが「ポンコツ同盟」です。
「自分の知識や経験を切り売りする」ことを仕事にしてみたくて、月額制マガジンに挑戦しました。
これまで仕事は「もらうもの」だという感覚が強かったわたしにとって、これは大きな第一歩です。
初めて何かを「つくった」から。
まだ2ヶ月なので試行錯誤中ではありますが、文章を通じて人と人とがつながり、やわらかくてゆるい雰囲気が漂う場所になっています。
そして、これはポンコツ同盟のみんなにだけシレッと話すのですが、
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