「旅行は疲れる」「暮らしは飽きる」の折衷案、“旅暮らし"のススメ
宮古島に1週間行ってきた。なお、特に目的はない。
ただ、日々神奈川と東京を行ったり来たりしつつ、単発的にプチ旅行に出かけたりするなかで、「なーーーんにも考えずに海が見えるとこで暮らしてみたい」という想いがふつふつと芽生えてきたのだ。
わたしは旅行が好きである。しかし、旅行というのはまぁまぁ疲れる。その理由は、主に3つある。
まず、「移動」。ずーっと同じ体制で同じ椅子に数時間も座り続けるという行為は、もしも1泊2日で旅行に出かける場合、連日繰り返さなくてはならない。
それに加えて、「せっかくここまできたのだから」という気持ちが働いて、あれやこれやと観光するのも「疲れる」要因のひとつだ。
さらに、旅行中は何だかんだ仕事が溜まるので、「微妙に仕事がおわらなかった」「あぁ帰ったら仕事をしなくちゃ」なんて想いを抱くからこそ疲れるというのもある。
旅先の醍醐味は、「なんもしないこと」。
これに価値があると思っている。旅先で家のようにグデグデするのだ。でも、そんな「なんもしない」状態を作り出すには、ある程度の時間が必要だ。
先述のとおり、1泊2日では忙しない旅行になってしまう。個人的には3泊4日から1週間程度ははほしい。ちなみに、うちの母も同様の理由で1泊2日の旅行はめったにしないという。
長いあいだ同じ地で過ごしていると、「旅行」と「暮らし」の境界線が曖昧になる瞬間が訪れる。
衣類を洗濯して干したり、近所のコンビニに行ったり、繁華街への道を覚えていったり、何度も同じ人と会ったり、ホテルの部屋がどんどん自分の暮らしにカスタムされていったり。
そうやって、部屋のなかや近所のカフェやまわりの景色に馴染んでいきながらも、ちょっと足を伸ばせば、そこには見たこともない景色が待っている。
現地の人と同じように暮らすことで、「安心感」と「新鮮な心地」の両方を享受できるのだ。
だから、宮古島にいながらも、雨で1日中部屋のなかで過ごす日もあったし、海にまったく行かない日もあった。
そんな贅沢なことができるのも旅暮らしであるがゆえ。
これが1泊2日だったら「もったいない!」と土砂降りのなか海に出かけ、ずぶ濡れになって帰りの飛行機に乗るところである。
帰る家がありながらも、サクッと見たことのない景色を見に行ける。それはまるで、どこでもドアのような不思議体験である。
普段の暮らしからは得られないような刺激があるので、創作も捗る。Voicyを5本収録して、止まっていたInstagramを動かして、noteを4つ書いた。純粋に楽しかった。
昼過ぎまでベッドの上でごろごろしたり、漫画を読んだり、アニメを1クールまるっと観た。こういうどうでもいいことを旅先でやるのが超幸せなのである。
そして、旅ならではの偶発的な出会いもあった。
インスタを通じてわたしが宮古島で暇していることを知った友だちの友だち(初対面)が、連絡をくれて、引きこもり気味だったわたしを連れまわしてくれたのだ。
まさかダイビングをするとは思わなんだ。しかもスキンダイビング。(ボンベ背負わないやつ)
マジで1週間誰とも会う気がなかったので、テキトーな服にスッピンという無防備な状態だったが、それも相まってなんか昔からの知り合いみたいになった。
彼女には感謝してもしきれない。宮古島を徒歩20分程度で歩けると思っていたわたしに手を差し伸べてくれてありがとう。
仕事も遊びもほどよく楽しんだわたしは今、帰路に着いている。あまり疲れていないのは、やっぱり「旅暮らし」のおかげだと思う。
この1年間、頻繁に旅をしてみて、旅のいいところも、悪いところも、奥深さも知ったような気がする。
旅暮らしがしたいと思えたことは、わたしの旅人としてのステージが上がったからなのかもしれない。
よりいっそう身軽さに磨きをかけて、またどこかで新しい暮らしがしたい。
サポートは牛乳ぷりん貯金しましゅ