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ゆぴの10分日記

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帰り道の10分間で書く独り言のような日記。よわっちくても生きてるだけでえらいえらい!
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2019年10月の記事一覧

「魅力的」って言葉がすき

最近いちばん言われて嬉しい言葉は「魅力的」かもしれない。 そんな言葉、日常で使わなくない?って思うけど、逆に使わないからこそドキリとするのかもしれない。 「すごい」とか「かわいい」とか、言われたら嬉しいけれど、たぶん気付かぬうちに鈍化していってて、だからこそ耳触りが新鮮な言葉に惹かれる。 「魅力的だよね」 そう一部の人が言ってくれるたびに、「魅力」とは何なのかを考える。 自分の魅力は、自分ではあまりわからない。 普段の言葉選びかなぁ。 知らぬ間に抱いている哲

わたしの親友には、わたししか親友がいない

こんなnoteを書いたことを親友に話したら、怒られるかもしれない。でも書いちゃう。 先日、わたしは生まれて初めて「結婚式」というものに行ったのだが、そのことを親友に話したら、 「わたしはハワイで結婚式やりたい!家族とゆぴしか呼ばないやつ」 と言って笑った。 わたしの親友には、わたししか親友がいない。 彼女とわたしが出会ったのは小学校3年生のとき。彼女がわたしのいた小学校に転入してきたときから、今に至るまで月に1度は必ず会うほど仲良しなのだが、彼女から他の友だちの話を

人間関係をぶったぎってみても

社会人のメリットのひとつに「友だちを選べる」というものがある。 なんとな〜くな付き合いをやめて、自分のことを本当に大切に思ってくれる人だけに時間を割ける。それはかなり幸福なことだと思う。 でも、人間関係をぶったぎるのには勇気がある。 せっかく誘ってくれたのだから、という気持ちもあるし、断ったらもう二度と誘ってくれないのではないか、という恐怖もある。 わたしの場合は、会社が結構忙しくて、自然と同期とは疎遠になっていってしまった。たまに、人伝いに話を聞いたりはするけれど、

どこまで信じていいですか

理由は定かではないけれど、ものすごく警戒心が強いので、つねに一歩引いて様子を伺う癖がある。 そのせいか、「どこか1枚壁を感じる」「何を考えているかわからない」と言われることもある。 きっと、向こうは「信じてほしい」のだ。自分はあなたを傷つける存在じゃないよ、って。 でも、わたしにしてみれば、信じることはものすごく怖いことでもある。 人の気持ちほど不確かなものはない。 今日はポジティブだった気持ちも、明日にはネガティブになっているかもしれない。ラブラブだったカップルも

自分と“守れる約束”だけしようね

最近稽古で怒られてばかりいるせいか、まわりの人が結果を出していて焦っているせいか、自信が3ミリくらいになってしまって、 「自信を持つにはどうしたらいいと思う?」 と友人に尋ねてみた。すると、やり方はふたつあって、わかりやすい結果や実績を生んでまわりに評価されるか、自分自身で決めた約束をきちんと守るか、だと言われた。 それを聞いて、大事なのは「自分で決めた約束」のような気がした。 つまるところ、自分で自分の目標を高く設定しすぎると、理想と現実の乖離が大きくなって、自分で

「はい」という言葉に意味はあるか

「はい」 何気なく使ってしまうこの相槌を再定義しなくてはいけないな、と思ったのは、言葉の意味が忘れられてしまったと感じたからだ。 厳しい稽古のなかで、ズバズバと指摘し続ける先生に対して、はい、はい、と真剣な顔で返していたらこう言われた。 「”はい”って言うのは、”わかった”とか”できる”って意味だからな」 何かを見透かされたような気がした。 ありがとうとか、ごめんなさいとか、すみませんとか、無意識に口を注いで出てしまう言葉はいくつかあるけれど、使えば使うほど言葉の意

“週末”は楽しみですか?

「転職するんだよねぇ」と友人が言うので理由を尋ねたら、「週末を楽しみにしている自分がいるから」と言っていて大きく頷いた。 1週間、7日間あるなかで圧倒的に多いのは「学校」あるいは「会社」で過ごす時間だと思う。 私の記憶する限り、週末を楽しみにしだすのは社会人からな気がする。 中高生の土日なんて大体部活で潰れているし、お金もないので遠出をする予定もない。そして、大学生は土日という概念もあまりなく、普通に授業もサークルもある。 一方で、社会人は「今日を乗り越えれば木曜日…

「待つ」は苦しいことだけじゃない

1年ぶりにUSJに行ってきたのだが、まーーー待ち時間の長いこと。 USJではファストパスに課金するとスイスイ乗り物に乗れるのだが、金額がチケットよりも高かったのでケチってしまった。 まず、USJでも人気トップ2を誇るフライングダイナソーとハリウッド・ザ・ライド(バックドロップ)が各120〜150分待ち。 冷静に考えてみるとアトラクションの時間は2〜3分程度なので、たった一瞬のために辛抱強く並び続けるという行為はスゴい。 待っているあいだ、まわりを見渡してみるとみんない

怒る人には「役割」がある

この前「イラッ⭐︎」なことが立て続けに3回ほど起きて、発狂しそうになった。 とりあえず、誰かを攻撃しないように一度そっとスマホを閉じ、お茶を飲んでクールダウンした。カルシウム足りてないのかしら?と反省しつつ、ホントに怒らない人はすごいなと思った。 物事にイライラせず、スマートに対処できて、仏のように笑う。 そんなところに行き着くまでに、あとどのくらい徳を積まなくちゃいけないんだろう。 そんなことを考えながら、小学生のとき、半年に1度ほどのペースでブチギレる先生がいたこ

人はいずれ死ぬ。だからわたしは引っ越したい。

よく「世界一周して人生変わりました!」と言う人を見て、ふふん、そんな世界一周したくらいで人生なんて変わらんやろ、と斜に構えていたが、イタリア旅行中に事件は起きた。 それは、バチカン市国の城壁を見上げていたときだった。 何故かふいに、「あ、私死ぬんだ」と思った。 こんな立派な城壁を作った人も、美術館に飾られている美しい絵を描いた人も、もう死んでるんだなぁ、と思ったらそんな考えに行き着いてしまったのかもしれない。 とにかく、「自分が死に向かって歩いている」ことをハッキリと

“好き”なだけでも許されたいよ

言わずもがな、わたしはとても多趣味な人間なのだけれど、そのなかにも明確に「得意なこと」と「好きなこと」と「極めたいこと」がそれぞれある。 得意なことは、目を瞑ってでもできること。他の人が苦労してやることを、ちょちょいとできちゃうこと。 好きなことは、誰に頼まれるわけでもなく勝手にやってしまうこと。お金になんて全然ならなくても、最優先で手を動かしてしまうこと。 極めたいことは、うまくなりたいけれど自信がないこと。やりたいのにヘタクソでもどかしいこと。 たぶん、この3つの

「やりたいことがありません」

そんなの当たり前じゃん!!!!!! 友人が「会社を辞めて海外に行くんだ!」という嬉々として言ったのち、「でも明確にやりたいことがあるわけじゃなくて、なんか話を聞いたときにワクワクしたからなんだよね」と呟いたので、そう返しておいた。 「やりたいことがある人なんて1%くらいしかいない」と北野唯我さんが『転職の思考法』で言っていた。その文字の羅列をなぞったとき、ほっとしたのを覚えている。 人生をかけて何か大きなことを無理やり成し遂げなくても、有名にならなくても、何かを変えなく

「失うモノ」を失ってしまった

(台風の前に書いていたんだけどさすがに真っ只中に投稿する勇気が出なかったnoteです。ご査収。) 地球最大規模の台風が来る。 いつもは「そんな大袈裟な」と、さして対策をしない私も、さすがに今回ばかりは怯えていた。 ひとり暮らしをしている今のアパートは小さいながらもまあまあ気に入っていて、住み始めてから2年が過ぎようとしている。 しかし、いくら内装を綺麗にしようが築30年という事実は揺るぎなく、何となく今回の台風で吹き飛んでしまうのではないかと思った。 念のため、ネッ

“なかよし”になろうとしない

稽古場の隅っこで首をもたげて体育座りをしていたら、隣にいた子がコツリ、と頭をぶつけるようにしてもたれてきてドキリとした。 女の子は距離が近い。ガチガチになったわたしに普通に触り、笑いかけてくれる。わたしもライトに触れられたら良いのだけれど、ぎこちなく笑うだけで精いっぱいだ。 「どうせもう、この人とは会わないって思えばいいよ」 と友人に言われて驚いたことがある。どうでもいいから、せめて今この場を気持ちよく過ごせるように仲良くなっておく、という感覚らしい。 「その場限りの