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わたしの親友には、わたししか親友がいない

こんなnoteを書いたことを親友に話したら、怒られるかもしれない。でも書いちゃう。

先日、わたしは生まれて初めて「結婚式」というものに行ったのだが、そのことを親友に話したら、

「わたしはハワイで結婚式やりたい!家族とゆぴしか呼ばないやつ」

と言って笑った。

わたしの親友には、わたししか親友がいない。

彼女とわたしが出会ったのは小学校3年生のとき。彼女がわたしのいた小学校に転入してきたときから、今に至るまで月に1度は必ず会うほど仲良しなのだが、彼女から他の友だちの話をあまり聞いたことがない。

中学校でも高校でも、それなりに仲の良いグループはあったみたいなのだが、今ではほとんど会わないと言っていた。会社の同期もディズニーに行くくらいの仲らしいが、それは「友だち」とはまた違うらしい。

「はじめてゆぴの他に親友ができたかも!」

と嬉しそうに報告してくれたこともあったが、結局その子はわたしの親友をちょっと苦しめるような形で何処かに行ってしまった。

「友情は一生もの」なんていうけれど、彼女の話を聞いている限り、そんなことは全然ない。

というか、人間は全般的に信用ならないと思っている(犬のほうが信じられると思いませんか?)ので、「あーあ」な話が多い。

でも別に、親友がわたしだけでも彼女はとても楽しそうだ。平日は仕事をし、帰ったら大好きな家族と過ごして好きなドラマを観て、休日は着付けや茶道など習い事に勤しみ、旅行に行く。

自分のことにしか時間を使わないので、超充実している。

話は逸れるが、実はうちのお父さんも友だちがいない。

これはリアルガチで、家族のなかでも「パピーマジで友だちいないよね」とネタにされている。平日はまっすぐに帰宅するので19時には家にいるし、休日もずっと家にいるので基本的にお母さんのショッピングに付き合わされている。

しかし、お父さんもお父さんでお母さんとドラマを観たり、株をチェックしたり、本を読んだり、畑仕事をしたり、映画を観に行ったりと、毎日エンジョイしている。

要するに何が言いたいかというと、「友だちを作らねば」という固定観念に囚われなくてもいいんじゃないかって。

わたしは前に、「友だちは少なくていい」というnoteを書いたことがあるけれど、なんかもう少ないどころか1人でも0人でもいいんじゃないかと思えてきた。

「友だちいないんだよねー」は別に恥じることじゃないし、性格的問題でもなくて、「選択的ぼっち」でもあると思う。

“友だち”はサイコーにハッピーな思い出をくれることもあれば、ゴミのようなトラウマを残すこともある。

疲れたら無理にがんばらなくていいと思うのよ、友だちづきあい。


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