私には選択肢がある

私の子供は4人
そのうち2人が高機能自閉症
あたりまえで、この子達全員を育て上げると誓っている。

そして私にはもう1人、夫の連れ子の知的障害の子がいる。
その子に関しては、私には選択肢がある
しんどい、嫌ならば辞めてもいい。
だって他人なのだから。

でも、その選択には
夫との離婚も付いてくる。
それは、娘から父親が居なくなるという人生にもなる。

絶対にそんな事は嫌だ。
と言う思いから3年間何だかんだで過ごしてきた。

一年目は正直に言うと
本当に苦痛だった、知的障害特有の不潔、偏食、理解力の無さ…
💩を壁に塗られたこともある
鼻くそを食べて、陰部をよく触り、口の中に手を入れたり、手づかみ食べであったり…
食事も沢山捨ててきた
そして、知的障害を理由に年下が我慢させられるという子供にとっての理不尽…
初めの方は
可愛いと思う方が圧倒的に少なかった。

もう、辞めたいと沢山思った。
でもその度に2人の子供である末っ子の存在が私を引き留めていた。

2年目は、知的障害の連れ子に対しての夫婦の教育方針の違いでかなり揉めた。

私は、知的障害であっても自分の子供たちにやってきたように育てたいと思った
理由は
うちの次女の言葉で

「どうして〇〇だけいつもナゲット食べていいの?」
「どうして〇〇だけグミ食べていいの?」
という障害児と健常児というより
今までの家庭環境の違いでの不平不満を感じていたからだ

まだ、3歳くらいの娘は食育の途中で絶賛野菜嫌いだったりして、でもうちの教育方針は嫌いなものも食べれるようになる。グミやジュースは買わない。
そんな風に今まで育ててきていたから

3歳の娘は段々と不平不満を感じていった。
それが本当に可哀想で、何度も方針を合わせて欲しいと言ったけどそれもまた障害を理由に受け入れてもらえず何度も喧嘩をした。

3歳の娘だけに我慢をさせる事も精神衛生上悪いと判断して、娘も少しずつグミやジュースが増えてしまって
私が一番嫌だった食生活をするようになってきて本当に辛かった。
でも、他の子が良くて自分だけダメって思わせる方が私は辛かったので私はそこを妥協してしまった。

その頃本当に、夫婦共、教育方針の違いで揉めて揉めて揉めまくった。
まるで私は悪者のようだった

そして夫は、どうしても教育方針を私に合わせれないと判断して、知的障害の連れ子を元奥さんの所で育ててもらうと言い出した。

ちょうど、半年後に一年生になるのでそのタイミングで、元奥さんの所に行く…と言う話で決定していて

元奥さんと、夫の祖父母、と夫の判断で支援学校に入れるという話が出ていたようで…
その話し合いには、私は一切入っていなかった。

私自身も、もうお別れなんだから出しゃばる事ではないと思い黙っていた。

その間も、元奥さんとの関わりが増えたり
夫が、元奥さんの方に居る子供と面会すると言って出て行ったのに、実は元奥さんと子供たちと元家族全員で居酒屋に行っていた。
という事が判明したり…。

(子供との面会は良いけど元奥さんと食事は違うよね…と思ってて辛かった)

(夫の言い分は、知的の子の件で話していたと)

何故その方法なのか…等色々納得できなくて
それは、それで私はストレスが溜まっていて…
私が、閉鎖病棟に入院したり…コンサータを常用する事になったり障害年金を受給する事になったり…色々ありました。

でも、それも、引き渡しが終わるまでのあともう少しの辛抱だと我慢をしていた。
そして、前向きに、引き渡したあとは夫は働く時間が増やせるので生活保護を抜けて綺麗な家に住むんだ。
って希望になっていってた。

でもある日突然、元奥さんからの一言
「やっぱり育てるの無理」


もうその一言で、絶望してしまって。
私が、元奥さんとの食事等納得できない方法をなんとか我慢して未来のためだと吐きながら耐えていた事が
ぜーんぶ水の泡になった瞬間で…

しばらくは落ち込んだ…けれど

知的障害の連れ子が居たとしても、それでもやはり
離婚という選択肢は私にはなかった。
だから、私は今一度夫に、教育方針を合わせて欲しいとお願いをした。

「がんばる。」

と言ってくれたので、徐々に食事や生活色々なことを私の思う育児方法が取れるようになってきた。

それでも、他人の子供を育てる大変さはストレスになっていて…夫と喧嘩は🤛🤜いつも連れ子の事…

3年目は
私の育児方針でも頑張って一緒に生きてくれたおかげもあって連れ子君は急成長を見せてくれた。
沢山の物を食べれるようになり。
不潔な事も沢山辞めれるようになり。
兄として妹を優先できるようになり。
言葉を覚え、文字も覚え
本当に皆んながビックリする程の急成長を見せてくれた。

そのお陰もあって、私の育児方針を段々と本当に夫も周りも受け入れてくれるようになってきて

連れ子君が一番頑張っているのは大前提だけど
私の頑張りや努力も周りは認めてくれるようになった。

これは、本当に連れ子君に感謝しかなかった。
頑張ってくれて、それに応えてくれて
この子だからそれが出来たんだと思った。

そして知的連れ子君の卒園式
周りの子を見ながらワンテンポ遅れながらも、必死に同じ事をしようと真似をして頑張って歌いながら手話をやるそんな姿を見て…
自然と涙が溢れました。

私の同い年の自閉症の子の卒園式は
それはそれはもう、最悪で笑
絶望の涙をしましたが笑


私も知的障害があるので、連れ子君の必死に周りについて行こうとしていた姿は、幼少期の自分に重なった…というのもあり
感動の涙&なんだか可哀想に思ってしまった涙と
複雑な感情になりました。

そして卒園式後くらいから
私の方が気持ちの切り替えが出来てきて
この子を育てれるのは私しか居ないと思うようになってきました。

どうせ私は離婚を選ばない

だったら
困難な事だ…と思いながら生きるのか
私だからこそ育てれる!

と思うのか
捉え方次第で人生は変わるのだと気づきました。

「受け入れる」
と言う事は、簡単な事ではないし
いくら結婚前に覚悟を決めていたとしても
いきなり、スタートして今日明日で出来ることではなくてそこに行き着くまでに葛藤が沢山あり
変えられない事実を嘆くのではなく
前を向いて、じゃあどうすればいいか
常に悩みを受け入れながら
解決策を見つけ、時には立ち止まりながらも
歩んで行く…そんな事をしてるうちに
人生は進んで行くのかな…と思っています。

その悩みや葛藤も人生の何十年のうちの
数日間の苦しみや悲しみなんだなと
思えるようになってきました。

すると、昔ならばすぐに辞めよう
人生すら辞めようと考えていた私ですが

きっとこの先に乗り越えた未来が絶対ある。
と信じれるようになりました。


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