愛が飽和する前に死にたい

 受験勉強を始めてから6キロほど太ってしまった。ストレスで顔の肌と手足の皮膚がボロボロに荒れ、お世辞にも可愛いとは言えない見た目であった。
 最初の頃はnoteにアイドル論を綴ることが、私のアイドル欲を満たす一つの方法だった、が、今ではなぜか文章を書けなくなっている。

 TwitterやInstagramで繋がる上辺だけの「like」にも「good」にも「bad」にも「friends」にも全部呆れ果ててしまい、本当に繋がってたい人はLINE知ってるからいっか、と思って全部消した。

 つい先月だろうか、信頼していた男の子に「受験勉強のストレスを紛らわすためにお前で性欲を発散したい」みたいなことを言われて、人間が信じられなくなった日。あの日から、私はいろんな人に舐められて生きてるんだな、と心から思った。受験が終わったら、SNS上にある上辺だけの「life」は消えてなくなってしまう方がいい。いや、中途半端に残しておくから辛いのだ。
 人に期待をしない、人を簡単に信じない、好きにならない。この日から私はそう思うようになって、誰かを愛し、愛されることが苦手になった。自分に期待をしてくれる人も、好いてくれる人も、結局は上辺だけだと、悟ってしまったからだ。
 通話アプリなんかにも手を出したが、何度も嫌な方向に向けられてしまい、身の危険を感じたので辞めた。結局心から愛してくれる人なんて出会えない。
 そのくらい、彼が大好きだったのだ。

 彼がそういう人間だと知らなかった私が悪かったのだと、そう思うほどに自己の肯定は下がっていく。YouTubeで流れてくる幸せそうなカップルや友達同士の映像にさえ、嫌気がさしてくるし、駅前のイルミネーションにイライラしてしまった。


 きっと私を心から愛してくれる人なんていないんだよ、と思いながらいつも同じ道を歩いている。この道を今後誰かと歩く想像がつかない。私の両手は、いつもからっぽだ。誰かの手に握られた時、多分私は恐怖を覚えるんだと思う。その手がいつか離れて、見えなくなってしまう時、私は目的を見失うだろう。

 人気絶頂だったあのグループが解体したというニュースを聞いて、2日くらい寝込んだ。明日は我が身だと思いつつ、私は今の自担以外に支えてくれる人が見つけられないんだなと辛くなった。

 もうそろそろ、親元も離れないといけないし、いつまでも家族に甘えてばかりではいけない。人生経験のためにする恋愛や友人関係なんていらないのだけれど、上辺の付き合いはしないといけないらしい。「すき」も「愛してる」も、どうせ私が知らない一面を持った多面体人間の話す一部にすぎない。あなたの全ての面を知ったつもりで話してしまうから、きっとあなたとは合わない。

 沼に沈み込むように1人になっていく。友達は、私が死んだら泣いてくれるだろうか。「へー」くらいのテンションで終わらせてくれていい。嘘泣きなんて望んでないから。

 アイドルが好きだ。アイドルはいつもキラキラを私に見せてくれる。孤独で楽しめる趣味ではあるが、誰かに話したいという気持ちが大きい。深い知識があるわけでも特定の推しメンがいるわけでもないが、アイドルの話をしたい人がいっぱいいる。死ぬまでに一度アイドルの格好をして人前で踊りたいな。
 1番アイドルの話をしたい人にはまだ話出せないでいる。話し出すことができずにこの関係も「上辺」で終わってしまうのだろうか。

 なんか、悲しいな。人に寂しさとか悲しさを見せるのは苦手なのだけれど、心が圧縮されたみたいに何も考えられなくて、漠然と愛と死に関することばかり考えている。
 誰かに抱きしめられても、きっとずっと疑念を抱いてしまうし、好きだと言われても何も信じられない。でも、自分が信じられるわけでもない。自分より人生経験がある人に話したいんだけれど、周りが見えていないだけ、と一蹴されることはもう目に見えている。

 愛の補償点を、高く作り過ぎたのかもしれないな。

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