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李家に生まれて#13

幼少期に理不尽だと思えていた両親の教育が
留学生活を過ごす私にとって大いに役立った。
改めて、日本に留学した父は先人だったと認めざるを得ない。
例えば

<わからないことは先生に直接聴くべし>

高校時代までこの教えは半分しか聴きいれてこなかった。
なるべく目立たないようにいきたいと思っていた私は
先生に訊くなど目立つことはできるだけ避けたかった。
本当に誰に聞いてもわからないときや友達と連れ立ってならやっていたが
正直できる限りしたくないことではあった。

がしかし、
台湾ではそうはいかない。
頼っていい人が誰なのかもわからない。

当時台湾大学の法学部は3つのクラスに分かれていたが、
全員必修の科目はその多く(約200人)が大教室に敷き詰められる。
その中で、たった一人の日本人。
入学する前から右も左もわからないことだらけで、
はじめはクラスがあっているのかもわからず
本当にいろんなことを恥をかきながら誰彼構わず聞きまくった。

結局、一番答えをわかっているのは先生だ。
法学部の先生は法律の種類によって、
大陸法系(ドイツや日本)か英米法系(イギリスやアメリカ)に分かれ、
すべての先生が留学経験済みだったのも優しかった一因だろう。
どの教科の先生にも本当に優しくしていただいた。
もちろん私が日本からの留学生ということもあったろう。
ただ質問しにいく、というだけで、ある意味やる気として表現できるのも
一挙両得、一石二鳥、棚から牡丹餅。。。
まさに、お得なことだった。

日本に留学していた先生からはよく目をかけてくれた。
特に大学院で後に指導教授となる李先生には学部生の時から
いろいろな経験をさせていただいた。
これも、幼少期の言いつけの賜物だ。

もとよりチャレンジ精神が高く、さらにバイトでお金が稼げる!
と言われたら、乗らない人はいないだろう。
通訳ど素人なのにもかかわらず、大学2年生の時に李先生から
「上智大学の先生たちが視察に来るからついてくるか?」
と声をかけられ、怖いものなしの私は二つ返事で参加した。
私はすでに以前から、李先生が強面ではあるが
とてもやさしい人だということに気づいていて、
ずいぶん甘えて、その場の仕事を
無理です!!!と言って放棄したこともあった。
それほど、私に期待(?)されていた仕事はあまりにも拙かったし
通訳や翻訳のすごさを身にしみて感じたのだった。
当時、バイト代を出すといった先生は
どれだけ心が広い人だったのだろう、と思う。

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