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【創作大賞2024応募作】神々の憂い #5

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五章 ①
 
「いらっしゃいませー」
 いつもと変わりなく、七福マートに坂下の呼び声が響く。
 朝の七時だというのに、なんて元気なんだろう。それに引き換え灯は睡眠不足でボーッとする頭をなんとか奮い立たせて、品出しをするありさまだ。情けない。

 連日の睡眠不足の原因はわかってる。
 明治森神社めいじのもりじんじゃでの出来事が、あまりにも衝撃的過ぎたせいだ。
 
 こわい。
 いやだ、こわい。
 いやだ、こわい、いやだ。
 
 もはや、この言葉以外知らないのではないかと思えるほどに、頭の中で執拗に繰り返される。
 厄病神が本当にこの世に存在するならばーー。
 そう思うと、どこに逃げ隠れしようともたたられる気がして、まんじりともせずに、毎晩、夜を明かしているせいだ。
 
 あの日、明治森神社から逃げ帰った灯は、御朱印帳を神社に返納せずに持ち帰ったことをひどく後悔した。あんなに恐ろしい思いをしたのだ。願い事なんて、どうでもよかった。こんな薄気味の悪い御朱印帳なんてさっさと捨ててしまいたかった。けれど、仮にも神様とのご縁のあかしである御朱印を粗末に扱ってしまうと、それはそれでバチが当たりそうで、捨てることにためらいがあった。
 たとえそれが、厄病神からもらった、いわく付きだったとしてもだ。

 鏡なんて、もっとも厄介な代物しろものに変わり果てた。
 中から、にゅぅっと手が伸びてくる妄想に囚われて、鏡を目にするたびに、叫びそうになり、寿命がゴリゴリと削られていくように感じるのだ。

 かといって、誰かに相談したくても、おいそれと話せることではない。
 だって、厄病神だよ。厄病神。

 そんな戯言たわごと、到底信じてもらえるとは思えない。男に騙されたショックで、頭がおかしくなったと心配されるのがオチだろう。下手をすればそのまま病院にだって連行されかねない。けれどひとりで抱え込むにはあまりにも重過ぎる出来事だった。

 明治森神社で対面した頭巾男ずきんおとこもとい、厄病神は本当にヤク爺だったのだろうか。
 顔を見た訳じゃないし、声も違っていた。
 あの好々爺こうこうや然としたヤク爺と、不幸をもたらす厄病神が同一神物どういつじんぶつだとは、いまだに信じられない。
 万が一に、同一神物だったとしてもだ、厄病神なんてものが本当に実在するのだろうか。

「灯さん、厄病神のことは、いったん置いときましょ、手を動かしてください」
 坂下に声をかけられてドキリとした。

「えっ? 厄病神って……?」
「さっきからずーぅっと、厄病神ってブツブツ言ってるっす。普通に怖いっす」

 うわっ、いつの間に声に出してたんだろう。
 恥ずかし過ぎて、ひとりもだえていると、坂下は、灯の真横に置かれているコンテナの中からテキパキと商品を取り出し、並べるのを手伝ってくれた。

「坂下君?」
「なんすかっ?」
「厄病神っていると思う?」

 自分でも、なぜこんな唐突なことを言ったのか分からない。けれど気付いたらそう問いかけていた。そして、すぐさま、頭がおかしな人認定されてしまうのではないかという焦りに駆られ、なにかごまかそうと睡眠不足で鈍った頭をフル回転させる。

「いますね、厄病神」

 あっさり肯定され、逆にポカンとしてしまった。

「会ったことあるの?」
 思わず、訊いてみる。

「あるっす。てか、最近毎日っす」
「まっ、毎日⁇」

 灯が知らないだけで、厄病神なるものは随分と世の中に浸透しているものなのだろうか。

「同じ大学の奴なんすけど、そいつと一緒にいると、なんかこう嫌なことばっか、起こるんすよねー。ガチで悲惨なのは試験っす」
「試験?」
「そいつの隣の席で試験を受けると必ず落ちるんっすよ。だから試験の日は、誰もそいつに近寄らないっす。根はいい奴なんすけどねぇ。留年するわけにはいかないっすから」

 そう淡々と話す坂下に、灯は身体中の力がへにゃへにゃと抜けていくのを感じていた。
 坂下が言っているのは『厄病神的な人』のことだ。
 でも灯が知りたいのは正真正銘の厄病神で、坂下の言う、それとは違う。

 そうじゃなくて、と話を蒸し返したい思いはあるが、その言葉は静かに呑みこんだ。いい歳をしたおとなが「本物の厄病神に会った」なんて言い出したら、いくら人の良い坂下だって、返答に窮するだろう。

 無意識に、ため息を漏らすと、いつの間にか品出しを終えていた坂下が、すりっと寄ってきて耳元でささやいた。

「二号さん、来店っす」

 反射的に入口の方を見ると、『不審者二号』と呼んでいる男がちょうど冷凍コーナーの方へ歩いて行くところだった。これからアイスコーヒーを買って、そのままイートインスペースへ行き、電話を待ってATMでお金を下ろすのだろう。いつものルーティーンだ。

 先日、灯は、思い切って『出し子疑惑』を坂下にぶつけていた。

「あの人さぁ、特殊詐欺の『出し子』ってことはない……かな?」

 さりげなさを装ってみたが、灯にとっては大真面目な告白だった。なのに、反応はイマイチで『コノヒト、ナニイッテンノ?』とでも言いたげな目をしていた。

 坂下は七福マートを愛している。溺愛と言っても過言ではない。その常連客が犯罪者呼ばわりされたのだ。面白くないのは当然だ。

「だって、電話のあとにお金を引き出すんだよ。しかも、頻繁に。私には、不審者二号にしか見えないんだけど……」

 灯の言葉を聞いた坂下は、はぁーっ、と大きなため息をついた。

「不審者⚫︎⚫︎ってことは、不審者⚫︎⚫︎もいるんっすか?」

 眉間に縦皺が寄っている。
 しまった。
 不用意に言ってしまったことを後悔するが、一度口にした言葉を取り消すことはできない。

「あっうん、一号はね、誤解だってわかったの。そのう、子どもがらみの犯罪者かなぁって、一瞬ね、一瞬だけ疑ったことがあって」

 恐る恐る坂下を見ると、予想に反して、ふっと表情を緩ませた。
 その表情をどう捉えていいのかわからずに戸惑っていると、
「中込さんっすか?」と問われた。

 これ以上、場の空気を悪化させたくなくて、どう返そうかと考えあぐねていると、「そうっすよねー。あの人は知らない人が見たら、不審者一号で間違いないっす」と言って、クククッと笑い始めた。

「言われてみれば、電話のあとにお金を引き出すって、出し子っぽいっすねー」

 さっきまでの懐疑的な表情とは打って変わって同調してくれた。

「でも――」

 でも、なに? 灯はドキドキしながら続きを待った。

「出し子だったら、顔を覚えられないように、毎回ATMを変えるんじゃないっすかね? あの人、毎日呑気にアイスコーヒー飲んでますよ。もろに防犯カメラに映ってるっす」

 ゴンっ!
 鈍器で後頭部を殴られた気がした。
 痛いところを突かれた――。
 指摘はもっともだ。

 顔を覚えてくださいと言わんばかりに、イートインスペースで電話待ちをしている。
 ということは、犯罪とは無関係ということだろうか。
 しかも坂下が言うには、かれこれ半年以上も同じ状況らしい。
 勢い勇んで振り上げた刀が、まるで砂のようにサラサラと風に流されていく。
 そして、とどめの一言が下された。

「もし、出し子なら――、どうしようもなくマヌケっすね」

 おっしゃる通り!
 犯罪に関与しているにしてはあまりにも緊張感がなさすぎる。
 問題解決! という爽快感には程遠いけれど、一旦疑惑の目を引っ込めることにした。

 せめて、何かもうひとつ、出し子につながるような怪しい動きがあれば、警察にも相談しやすいのに、残念ながら今のところ何もない。

 この状況でヘタに警察に相談して、犯罪と無関係だと証明されたら、灯としてはすっきりするが、『あの店は常連客を犯罪者扱いするサイテーな店だ』と悪評が立って、炎上するおそれがある。

 じゃあ、灯が店員として声かけをすれば――。
 これは難しい。どんな言葉をかければいいのか。
 被害者がお金を振り込んでいる場面なら、「何かお困りですか?」と声をかければいい。けれど、出し子に声をかけて犯人逮捕に繋がっただなんて訊いたことがない。それくらい、声かけは難しいのだろう。

 そんなじりじりとした灯の思いを汲み取ってくれたのか、
「観察だけは続けていいんじゃないっすかね。ここは七福町のセーフティネットっす。何か起きたら、ズダダダーっと戦うために、ふたりで見守るっす」と、よくわからない擬音を発して、親指を立てた。

 その日から、坂下とふたりで刑事よろしく見張りを続けているが、電話でひと言、ふた言、話したあとに、ATMでお金を引き出す以外に不審な点は見当たらなかった。

 日によっては、お金を引き出すこと無く、そのまま帰ることもある。
 ATMに向かったとしても、引き出す金額は数千円程度に見えた。
 ちまたで報道されている被害額と比較して、あまりにも少額すぎる。

 この件は、忘れたほうがいい――。
 そう思えた。
 なのに――、
 今日は、どうしても気になって仕方がない――。

 たとえ少額でも、電話のあとにお金を引き出す行為が犯罪と無関係だって言いきれる?
 一人ひとりの被害は少額であっても、大勢の人を騙していれば、まとまった金額を手にすることができるんじゃない?
 じゃぁ、どうしてそんな面倒なことを? 
 たとえば、そう、相手がお年寄りじゃなくて子どもだったら……?
 少額というのも筋が通るんじゃない?

 こんがらがった思考を一つひとつ丁寧にほどいていく。
 数千円なら、親に頼らずともお年玉やお小遣いで工面できる。
 それくらいの金額なら、なにかしらの理由で脅されていたとしても、決して親には言わないだろう。

 イジメと同じ。イジメられてお金を巻き上げられていることに周囲が気付くのは、いつだって自分で工面できるお金が底をつき、他人の財布に手を伸ばしたとき。
 子どもの場合、手加減を知らない。
 だから、執拗に相手を追い詰める。

 でも加害者がおとなだったら?
 詐欺師は知能犯だ。優れた詐欺師ほど、執拗に相手を追い詰めるようなことはしないのではないか。
 被害者を追い詰め過ぎると、それはイコール自身に逮捕きけんが及ぶ。
 あえて、イートインスペースで待機しているのも、常連客を装ったカモフラージュだとしたら?

 一つひとつは取るに足らない小さな疑念だけれど、点と点で繋がると、疑うには充分な根拠に成り得るような気がしてきた。

 芽吹いたばかりの小さな疑念は一気に葉を広げる。

 お年寄りを騙すのも卑劣だけれど、年端もいかない子どもを騙すのはその何倍も卑劣だ。

「坂下君、ごめん、今日はこれで早退します」

 一度湧き上がった疑念は、どうやっても止められなかった。

 頭を下げてきびすを返すと、「えーーっ」という、すっとんきょうな声が背中を追いかけてくる。けれど振り返ることなく、心の中でごめんなさいと手を合わせて、バックヤードに戻った。着替えを済ませて裏口から店を出ると、素早く表に回って店内を覗くが、不審者二号の姿はどこにもない。

 慌てて店の外をぐるりと見渡すと、通りの向こう側に見慣れた男の背中を見つけた。
 灯は急いで不審者二号のあとを追い、一定の距離を保って尾行する。
 探偵のまねごとは緊張感よりもほんのわずかに高揚感の方が勝り、無意識に口元が緩みそうになる。

 浮かれ気分で見失わないように、真っ直ぐに男の背中を見つめて歩いていると、どれくらい歩いたのか見慣れた景色が視界の隅に映り込んだ。

 鳥居だ。
 
 朱里七福神社の鳥居だ!

途端に足がすくんで、頭巾男が頭に浮かぶ。
 
 ヤクビョウガミニ、トリツカレル。
 
 ひぃッと息が引きつりそうになるのを、なんとかこらえ、くるりと向きを変えると、一目散に逃げ出した。

 不審者二号のことなんて、どこかへ吹き飛んでしまう。
 そのまま家にたどり着くと、ベッドに潜り込んで、頭から布団を被り、体の底から突き上がってくる震えを必死に抑え込んだ。

 ダメだ。どうやったって厄病神のことを忘れることなんて、できっこない。
 はじまりは、おそらく朱里七福神社だ。あの場所で厄病神に目をつけられたとしか考えようがない。
 今や禁足地。なのに、またしても朱里七福神社に近寄ってしまった。
 なんて愚かな……。
 
 どれくらい、ベッドの中に籠っていたのだろう。まどろみから覚めて、意識を手放していたことに気がついた。無意識に現実逃避をしていたのかもしれない。
 布団から顔を出すと、窓の外には藍色の闇が落ちていた。

 このまま逃げ続ければ、この状況から解き放たれるのだろうか。
 答えは否だろう。そんなことは灯だってわかってる。
 このまま得体の知れない何かに怯えて暮らし続けるだなんてまっぴらごめんだ。

 けれど抜け出すためになにをすればいいのか、皆目見当がつかない。
 ただぼんやりと、深く藍色に染まった窓の外を眺めていると、ふいに名前を呼ばれたような気がした。
 とても小さな声。

「…………さま、…………さま」

 一人暮らしの部屋の中で誰かに名前を呼ばれることなんてありえない。
 けれど優しげで鈴を振るような女性の声は、不思議と灯を安心させた。警戒心を発動させることなく、無意識に声のぬしを探してしまう。

 布団から這い出して、「んん」と大きく伸びをしてベッドに腰かけると、部屋の中を見渡した。

 誰もいない。

 リビングだろうか。部屋を移動しようとベッドから立ち上がると、再び声がした。

「あかり、さま」

 今度は、はっきりと声を捕えた。

 反射的に声のするほうへと目を凝らす。
 すると本棚の上段がかすかに光っていることに気がついた。
 そのぼんやりとした光の中に、若草色の着物をまとう文庫本ほどの背丈の女性が、まるでホノグラムのように浮かび上がっているではないか。

 思わず、息を呑む。

 灯と目が合うと、女性は静かにひざを折ってひれ伏した。

 その光景は、まるで映画のワンシーンようで、怖さや畏れというよりも、強烈に惹き込まれて目を逸らすことができなかった。

「灯さま、このようなご無礼をどうかお許しくださいませ」

 たぶんこれは夢だ……。
 だから大丈夫。
 大丈夫なはずだ。

 そう自分に言い聞かせるが、夢は一向に覚める気配はなく、女性は続けた。

「灯さまを怖がらせるつもりも、祟るつもりもございません。ですから、どうかお願いにございます。このかずらの話を少しばかり聞いてはもらえないでしょうか?」
「蔓さん? なの?」
「さようにございます」

 蔓の声はわずかに震えていて、顔を伏したまま、頭を上げようとしない。
 灯はベッドから腰をあげ、本棚の前に歩み寄る。

「顔を上げて」

 夢だと信じたい気持ちは変わらずにあるが、目の前の光景はおそらく現実なんだろうと、もうひとりの冷静な自分が脳内でささやいた。
 昼間、朱里七福神社に近寄ったせいで、またしても妙な世界に引き摺り込まれたのだ。けれど、顔を伏したままの小さな蔓を見ていると、灯の方が優位に立っているような錯覚に囚われた。

「顔を上げてくれないと、話を訊くつもりありません」

 声の柔らかさは保ちつつ、やや強気にそう告げると、蔓は困ったような表情を浮かべながら、顔を上げてくれた。

「ここへはどうやって? 神様は、自由自在に好きなところへ瞬間移動できるの?」
滅相めっそうもございません。わたくしは神ではなくヤク神様にお仕えする眷属けんぞくにございます。本日、灯様が朱里七福神社にお目見えになったと聞き、シュリ神様にお願いして、ここへ参りました」

 ケンゾク――、前にもそんなことを言っていたような気がする。

「ケンゾクってなに? シュリガミサマってなに? 私にもわかるように説明してもらえる?」
「し、失礼いたしました」

 そう言うと蔓は、言葉を選びながら静かに続けた。

「眷属は、神に代わって神の意志を伝える使者と言えばお分かりいただけますでしょうか?」
「うん、それならわかる」
「ありがとうございます。わたくしは使者としてだけではなく、ヤク神様の身の回りのお世話も仰せつかっております」

 ヤクジン様のお世話……。
 思ったとおりだ。厄病神の使者として、灯の元にやってきたのだ。
 なのに、不思議とこれまでのように逃げ出そうという気は起こらなかった。
 逃げてもどうにもならないという諦めかもしれないし、なにが起こっているのか――、得体の知れない状況をはっきりさせたいという覚悟の現れなのかもしれない。

「わたくしは、ヤク神様にお仕えする以前、シュリ神様にお仕えしておりました。――朱里七福神社の御祭神にございます」
「蔓さんって、朱里七福神社で働いていたの?」
「はい。そのご縁で、今でもシュリ神様には目をかけていただいており、その眷属たちとも親しくしております」

 朱里七福神社――。
 思ったとおりだ。厄病神と朱里七福神社が繋っていた。

《続く》

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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