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ありがとう。

こんばんは、今日で2024年1週間になります。
この前、Happy New Year と言ったばかりなのに、
1日1日が過ぎるのはあっという間で。

私は、今イギリスのロンドンに住んでいて、
元々住んでいた大阪を離れてもうすぐ丸3年が経とうとしています。

ロンドンでの生活は、毎日が刺激的。
人種、文化、バックグラウンド、気候、言語、価値観、などなど、
本当に多くの「違い」がまたがる日々を過ごしています。

私にとって、この環境は自分のモチベーションであり、
こうやって多くの違いに囲まれながら、
人と出会い、様々なこと感じ、経験が増えていくことを幸せだと思うし、
それが私がロンドンが好きな理由でもあります。

人生で起こる全てのことに、意味がある。
私は昔からそう思っているし、
どんな出来事も起こるべくして起こっているのだと感じます。

今日は、そんな中で、とっても素敵な気づきがあったので
ここに記録しておきたいと思いnoteに戻ってきました。

いつか自分がこの時どんなことを思っていたんだろう?って
振り返れたらいいなぁと思っています。

大切な人

みなさんにも大切に想う人はいますか。
私のその人との出会いは、去年の夏。
そこから週に1度は会うようになっていきました。

お互いが頑張って歩み寄るという感覚ではなく、
本当に自然と全てがスムーズに進み、
いつも穏やかで、自分らしくいられた時間でした。

私自身は、怒りっぽくもないし、割と穏やかで、
なんでも前向きに捉えるタイプなのですが、
この人も感覚や価値観が似ていて、
お互いに、「今日もいい日になるね」と始まる
おはよう!や、たわいもない会話が心地よかったです。

世の中には、いろんな人がいて、
その人が、その場面でどんな反応をして、どんな対応をするのかは、
実際の場に立ち会って初めてわかります。

この人の、見ず知らずの人への対応、話し方、
私が関わっているチャリティグループのメンバーとの接し方、
家族との温かい関係、私の家族への気遣い、
人との関わり方に敬意があって、それも尊敬できる部分でした。

お互いのスケジュールがわかってきて、
隙間時間や仕事の前や後にするようになった電話も、
声を聞くと落ち着くし、元気になるし、よしっ!て気合いが入る。
いつの間にか、他の人に比べて特別な存在になっていました。

直接会った時は、小さい頃のこと、好きなこと、
これからしたいこと、お友達のこと、家族のこと、
どんなことに喜びを感じ、どんなことが一緒にできそうか、
価値観をすり合わせては、少し先を見れる気がしていました。

そんな中、5ヶ月ほどが経ったある時、友達に
「最近どうなの?その人とはどうなってるの?」と聞かれて、
「とてもいい感じ」「通じ合っている」
でも、実際のところ関係性がはっきりとしていない。
その状態を不安に想う自分が心の中にいることに気がつきました。

お友達に言われたことが、ぐるぐる頭の中で
自分に問いかけていて、感情もあっちこっちでした。
でもやっぱり大切なことだし、これからを見据えたい人だからこそ、
「私たち」についてちゃんと話をすることにしました。

「私に対しての気持ち」「これからの私たち」
その話をした時に、その人から返ってきた答えは、

「一緒にいて、こんなに心がお穏やかで、心地よくて、
私ほどに、自分を想ってくれる人はいないとおもう。
手放したくは無い。
でも、自分は今人生のやるべきことを考えた時に、
私との将来を見据えた関係性(付き合う)を
今、選択できる状況にない。

こうやって話をするまでは、自然とうまく物事が進んで、
深く考えることなくここまできてしまった。
準備ができていないままで、私にも人生があるのだから、
準備ができるまで待ってほしいとは言えないし、
自分は、一人になった方がいいと思う。」

というものでした。とてもショックでした。
私にとってこの関係性を一つ前に進めることは、
相手とケミストリーがあって、その人との少し先の未来に
ワクワクするのであれば、やってみよう!となる
そんな難しいことではないと思っていたからです。

その人の言う人生のやるべきことを聞いた時に、
それを実現する手助けや、そばにいることを私は選択したいのに、
それすらも選択肢にないことが、私にはとても悲しかったです。

ここまで思ってくれる人は他にいないと思ったと言った
その瞳から涙が流れるのを見て、
私のことを深く思ってくれていることは伝わっていて、
私たちの間に確かな「コネクション」があったことを再確認しました。

それでも、私はここから先この人に
何かをしてあげられる立場にないということに
心が苦しくなりました。

私はその人と一緒にいることを実現したかったけれど、
それはその人にとってのYESにはならなかった。

「形式的な関係を持つのは、「時間とお金」に余裕がある状態に
なってからでなければならないと思っている。
それは自分のエゴなのもわかっている。
でも今の自分にはそれが足りていない」と言う理由でした。

一つ言えるのは、私にとってその人との時間は本物で、
かけがえのない期間だったからこそ、責める気持ちにはなりませんでした。

いい人ぶっているのではなく、これは私がその時に感じた本心で、
この人と真正面から向き合って、表情ひとつひとつをくまなく見た時に感じた思いが、「責める」「嫌だ」「怒り」ではなく、
「感謝」「応援」と「仕方がない」と言う感情たちだったのです。

その人が選択した決断を、私は受け入れて前に進むしかないと思いました。
それが、いつものように、
おはよう!今日も楽しもう!と連絡を取る関係ではなくなるとしても。

お互いが、お互いの人生の幸せを願い、
確実にうまくいくから大丈夫よ!と励まし合い、お別れしました。

全て必要な時間

一緒に進みたかった未来が実現しなかったことに傷つき、
心にぽっかりと穴が空いたような感覚に押しつぶされそうになり、
ぶわぁっと涙が出てきました。
もっと他に一緒にいる方法があったのではないか?と思う自分もまだいるからです。でも、私は伝えるべきことを伝えたし、相手も十分に考えた上での答えでした。全てはタイミングなのだと改めて感じました。

ふと、気がついたのは、私がこの人と過ごした時間は、
本来の自分を取り戻す期間であり
私にとって必要な時間だったということです。

私は、この人に、本当にありのままの自分で、
素直に想いを伝え、大切に思う気持ちを表現し続けました。
地球上に何億と人口がいる中で、
こうやって出会えた奇跡、一緒にいられた奇跡、
そしてお互いがお互いを大切に思って、
穏やかで幸せな時間を共にできたこと。
その時間を一緒に創ることができたことに心から感謝しました。

1年前の私

今から1年前の私は、約1年半を共にした人と
ちょうどお別れをした頃でした。
その人は、根は優しいのですが、自分に自信がないのか
どちらかというと、ネガティブで、ことあるごとに、
私が未熟で、世の中で起こることに免疫がない、
心が弱い人間だと責めるような言い方をされたことにより、
すぐに言い合いになり、価値観のぶつかり合いの末、
すっぱりとさようならをした人でした。

とはいえ、1年半と言う時間は短いものではなく、
自分の心が苦しくなることが重なり、自尊心が低くなっていたと思います。
どこか顔もキツく、こわばっていたようにも思うのです。

心の奥底では「私は大丈夫」と何度も言い聞かせていたものの、
こう言った言い合いや、感情の波が激しくなっていた
日々の中にいたことから、本来の穏やかで、豊かな自分を見失い、
本当の意味でのヒーリングを必要としていました。
大切な人に愛されるということ、人を愛するということの意味、
肌で感じる温もり、心が踊る感覚を
本当の意味で味わいたいと思っていたと思います。

大切な気づき

だからこそ、今回の出会いは、
自分のありのままの姿で誰かを大切に思うことを
想いのまま表現し、感情をさらけ出していいのだということを、
そしてそれは純粋に相手に伝わるのだと言うことを、
改めて実感することができた時間でもありました。

この人とは、タイミングが合わず、結ばれなかったけれど、
私にとってこの時間は自分を見つめ、自分をもっと好きになる
そんななくてはならない、大切な時間だったと今、心から思います。

これから大切な人に出会った時、
私がどんな自分でありたいか?
それを今回の時間を通して客観視することができた気がします。

相手が変われば状況も変わる。
でも、自分のスタンス、自分が大切にしたいこと、
自分の在り方はどこにいても変わらないのです。

このままの自分を愛し、何かチャレンジがあったとしても
一緒に乗り越えて行こうよ!やってみようよ!と
一緒に手を取り合って歩んでいける人が見つかった時、
私は絶対に大丈夫だ、絶対にうまくいく、
そして相手に勇気を与えられる存在であり続けたい、
そう思うこともできました。

全ての出来事には意味があり、
起こるべくして、起こるべきタイミングで起こる。

全ては捉え方で、憎く思う気持ちは一切ないのです。
感謝で溢れています。気づきをありがとう。
最高の5ヶ月間をありがとう。

そして、さようなら!



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