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日本の歩き方 《瀬戸内編》     『坂の上の雲』をめざして

NHKで『坂の上の雲』の再放送が始まりました。このため、今回は「関西の歩き方」の続編を予定していましたが、予定を変更して、瀬戸内を船旅しながら伊予松山をめざす旅を紹介したいと思います。

【淡路島】

神戸を夜中1時発のジャンボフェリーに乗ると、小豆島に着くのが早すぎるため、一度高松に寄ってから朝の7:30に小豆島坂手港に着きます。上りのフェリーは、坂手港を15:15に出ると神戸に18:45に到着するので、天気がよければその手前で明石海峡大橋を眺めることができます。

明石海峡大橋に沈む夕日

淡路島の西海岸は数年前までは何もない海岸でしたが、(株)バルニバービ佐藤裕久社長の「不利な立地条件を活かした地域おこし」という発想で変貌を遂げています。レストランGARBが営業し、西海岸に沈む夕日を堪能できます。同様の発想で島根県出雲でも地方創再生プロジェクト「Windy Farm Atmosphere」にとりかかっているようです。

GARBレストランから見る夕焼け

NHK大河ドラマ「光る君へ」によると、淡路島はかつて阿波の国(徳島県)の一部で、赴任先として越前よりも淡路の方が人気があったようですね。

【小豆島】

小豆島では醤の郷・坂手港プロジェクトにより、「アート」と「関係人口」をキーワードとする島興しへの取り組みが進んでいます。関係人口とは、観光客のような「交流人口」でも移住のような「定住人口」でもなく、地域外に拠点を持ちながらも、地域や地域の人と継続的に関わる第3の人口です。このプロジェクトからは『小豆島にみる日本の未来のつくり方』(誠文堂新光社 2014年)が出版されています。

坂手港に着くジャンボフェリー

坂手港に到着すると、クルージングツアーなどのイベントへの参加案内が迎えてくれます。ここから峠を越えて20分ほど北の方向に歩くと、醤の郷に着きます。この周辺にはタケサン記念館:小豆島佃煮の郷やマルキン醤油記念館があり、落ち着いた時間を過ごすことができます。

醤の郷

醤の郷に入る手前の峠のところを左に曲がると二十四の瞳映画村に続きます。距離が遠いので、通常はバスやオリーブ公園前の桟橋から出る渡し船に乗るようです。また、醤の郷を通り過ぎて馬木というところに来ると小豆島アートを代表するGEORGES gallery+ KOHIRA cafeに遭遇します。

二十四の瞳映画村
GEORGES gallery +KOHIRA cafe

小豆島は小豆島町土庄(とのしょう)町の2つの町からできているため、島がひとつの町と思って検索してもうまくいきません。しかし、学生の実習を受け入れる態勢が整っています。私も土庄町役場、かどや製油株式会社、丸島醤油株式会社の皆様に大変お世話になりました。

かどや製油「今昔館」での実習
丸島醤油での実習
体験漁業の様子

神戸からのジャンボフェリーの着く坂手港は小豆島町ですが、高松行きのオリーブラインは土庄港から出ています。インバウンド客は土庄町の方に多そうです。

【直島】

直島は瀬戸内の島々の中で最もアートな島です。高松とも岡山側の宇野港ともフェリーでつながっています。島には宮浦港と本村港があり、宮浦港に着くと「妹島和世と西沢立衛のSANAA」設計による「海の駅 なおしま」が出迎えてくれます。ここでは、「完全天日塩」が土産としてお薦めです。

海の駅「なおしま」

島内には草間彌生の「かぼちゃ」作品が点在し、赤いかぼちゃは宮浦港横に、黄色いかぼちゃは島の南端「つつじ荘」近くにあります。また、本村の家プロジェクト地区には安藤忠雄のANDO MUSEUM 「直島の古民家に新しい命を吹き込む」など見どころが多くあります。瀬戸内を代表するアートの島として、地中美術館ベネッセハウスミュージアムは言うに及ばず、それにもまして、普通の民家にもアートが溢れているところがすばらしい!

芸術感覚あふれる民家(1)
芸術感覚あふれる民家(2)

【高松】

かつて高松は四国の玄関口として岡山の宇野港と宇高連絡船で結ばれていました。宇高連絡船が廃止されてからも、最近まで、宇野ー高松間にフェリーが運航されていました。しかし、それも廃止されたようで、いったん直島で乗り換えないといけなくなりました。直島へのチャンスが増えたと前向きにとらえましょう。

宇野港を出発

フェリーで宇野港や小豆島土庄港から高松に着くと、大巻伸嗣氏の作品「Liminal Air -core-」が出迎えてくれます。この2本の柱の一部が鏡になっていて、周囲の情景を映し出すようになっています。

大巻伸嗣氏の作品「Liminal Air -core-」

【丸亀】

JR丸亀駅を出ると、すぐ右手にMINOCA猪熊美術館があり、モダンアートが展示されています。この美術館にはカフェMIMOCAが併設されており、落ち着いた雰囲気の中で上質の味覚を楽しめます。現代アートに関心がなくても、このカフェを堪能するために、ぜひ当美術館を訪れて欲しい。

MINOCA猪熊美術館
カフェMIMOCAへ続く階段

その後、島旅を続けたい方は丸亀駅の北側にある丸亀港から本島(ほんしま)へのフェリーが出ています。かつて水軍が活躍した塩飽(しわく)諸島の中心となる本島では「笠島まち並」など、古い町並みが保存されており、遠見山展望台からは瀬戸大橋の絶景が見られるようです。

丸亀駅南側の通町商店街を抜けて丸亀城の方向に歩いていくと市民交流活動センター(マルタス)があります。ここには十分なスペースがあってトレンディな図書が並ぶとともにスタバも店舗を構え、市民の交流の場としての今後の図書館の在り方を示しているように思います。そういえば本屋のTSUTAYA(蔦屋)書店も本を売るだけではない新たな業態を採り入れていますね。読書人口が減るにもかかわらず本の出版点数だけが増加する時代に対応する方向だと思います。さて、丸亀城までもう少しです。急な坂道ですが、その先にはすばらしい瀬戸内や讃岐平野・山脈の眺望が待っています。

丸亀城から瀬戸大橋方面を臨む
丸亀城から讃岐山脈を臨む

【善通寺 偕行社】

丸亀からJR土讃線に乗って4駅行くと善通寺に着きます。駅前の片原町通りを郵便局まで行く手前で左に曲がると重要文化財の偕行社です。1896年に善通寺町に第11師団が設立され、陸軍将校の親睦と学術研究の場として1903年に創立されました。「偕行社カフェ」では、落ち着いた雰囲気の中で重要文化財を眺めながらくつろげます。

偕行社の内部
偕行社カフェ

【坂の上の雲】

伊予松山藩15万石。維新に出遅れたこの藩は、同じ立場の他藩(例えば越後長岡藩)と同様に、藩(県)の再興を教育に託し、その中から2人の兄弟が現れます。兄の好古は日本陸軍の騎兵を育成、満州の野に世界最強と謳われたロシアのコサック騎兵を破り、戦線の崩壊を食い止めます。その麾下の永沼挺身隊はシベリア鉄道の破壊を目指してロシア軍の後方に進出し、ロシア満州軍司令官クロパトキンの過敏な神経を刺激し続けました。弟の真之は黄海の海戦旅順口閉塞戦に苦悩しながらもバルチック艦隊撃滅作戦の立案に大きく寄与しました。日露戦争における日本勝利の知らせはアジアを覚醒させ、インドのネルーらに希望を与え、後の1955年バンドン会議へとつながってゆきます。

伊予松山藩の主城

松山でまず最初に訪れるべき坂の上の雲ミュージアム安藤忠雄氏の設計により、2006年に完成しました。そこには三角形という建築としては斬新なフォルムが採用され、内部は三角形の各辺を坂の上を目指して登ってゆくような構造となっています。

坂の上の雲ミュージアム
坂の上をめざして登ってゆくようなミュージアム内部

このミュージアムの2024年度(第17回)特集は「坂の上の雲に見る明治の最先端 -近代化への道ー」となっています。その展示に手書きで加筆されている一言が涙を誘います。研究:文明の配電盤(数式が含まれる)には「漢学の素養」、教育には「言葉の力 識字率」、お雇い外国人には「(そこからただ学ぶだけでない)独創性」、(日本から外国に派遣される)留学生には「危機感 吸収力」、鉄・銅(釜石製鉄所や別子銅山)には「柔軟性 応用力」が書き加えられています[( )内は筆者による補足]。これを加筆されたミュージアム勤務の方の見識に感謝いたします。今、多くの大学ではそれらは死語となり、ただ坂の下に転がり落ちる惨状となっています。

最近のミュージアム特集

坂の上の雲ミュージアムの入口のところをまっすぐに少し上ると萬翠荘に着きます。萬翠荘は旧松山藩主の子孫にあたる久松伯爵の別邸として1922年に完成したネオルネッサンス洋式の建築です。多くの建築は左右対称となっていますが、意図的に左右非対称な形が採用されています。正面の柱はギリシア建築のコリント洋式、大広間には水晶のシャンデリアが備えられています。

坂の上の雲ミュージアムから見る萬翠荘
萬翠荘の内部

萬翠荘に至る途中に、漱石最初の下宿跡がカフェ「愛松亭」として継がれています。ここには、「吾輩は猫である」が2匹住みついて、人間というものを見つめています。

夏目漱石最初の下宿跡
カフェ「愛松亭」

坂の上の雲ミュージアムから市電の通る道に戻り、大街道のところを左に(北に)曲がると、明治の逸材を輩出した松山らしく、なんとなく気品の漂う店の多いロープ―ウェイ商店街となります(こういう直接的な名称よりも、雅な名前の方がいいかも)。

ここを左に曲がるとロープ―ウェイ商店街
ロープ―ウェイ商店街

ここには愛媛を代表するミカンや鯛めしの店舗がたくさん並んでいます。丸水鯛めしSTANDでは鯛めしの食べ方を教えてくれます(他の店はどうかわかりませんが・・・)。10 FACTORYではミカンのジェラートを10種類から選べます。この他に、水産県に相応しく、Canpachiという缶詰を多く扱う店もあります。また、骨太味覚本店(ラーメン店)のところに「秋山兄弟生誕の地」の表示があり、そこを右に(東に)曲がると100mくらいでたどり着きます。

丸水 鯛めし STAND
ジェラートの店 10 FACTORY
秋山兄弟生誕の地

大阪空港から松山まで空路でめざすと明石海峡大橋瀬戸大橋しまなみ海道を眼下に収めることができます。座席は南(左)の窓側を予約しましょう。

JR松山駅。近いうちに取り壊されるようです。

明治の趣を醸し出す松山駅から四国西海岸にそって南下すると、まず「東京ラブストーリー」の聖地・梅津寺や下灘のようなフォトジェニックな駅に到着します。次いで歴史情緒あふれる大洲市、さらに行くと宇和島市に着きます。伊予宇和島藩は10万石の小藩でしたが、英邁な藩主・伊達宗城は、たとえ藩が生き延びようと日本という国が滅びればそれまでとの気概を持ち、村田蔵六(後の大村益次郎)を雇い入れ、藩財政の限界を超えて蒸気船の建造を命じました。蔵六もよくこれに応え、図面だけを参考にペリー来航の3年後に完成させます。これは世界史的な奇跡でした
(司馬遼太郎『花神』参照)

明治・昭和と日本は2回の「坂の上の雲」を経験しました。2回目の「坂の上の雲」においてアメリカを圧倒し、短期的であるにせよJapan as No.1を達成しました。しかし、その後の日本は見てのとおりです。国際機関からは日本人が消え、日本の大学は日本人だらけ(しかも“青年”が少ない)になってしまいました。通商産業省の天谷審議官が平家物語を引用して日産の石原社長に自動車の対米輸出自主規制を呑ませたあの時代が、今となってはただ春の夜の夢のごとし。

このような失われた30年の中で、JAXA(宇宙航空研究開発機構)による「はやぶさ1・2」小惑星探査プロジェクトの成功は、地球の生命誕生の謎に迫り、宇宙生命学の扉を開く日本の、いや、人類の「坂の上の雲」でした。いつか機会を作って紹介したいと思います。


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