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アパートメント紀行(13)

リスボン #6


 晴天の朝、新しいジーンズと新しいシャツと新しい帽子を被り、西へ向かうバスに乗る。ユーラシア大陸の最西端、ロカ岬へ行くために、まずはカスカイスというリゾート地へ向かう。バスには、海水浴をするつもりの観光客が、もうほぼ水着のような格好で、嬉しそうに座っている。

 バスが走る海岸線は、コスタ・デ・ソル。太陽海岸と呼ばれているこの辺りで、テージョ川は大西洋になる。バスは雄大な海岸線を爽快に走り、いくつものうつくしい海水浴場と、カジノのあるクラシックなリゾート地を経由して約二時間後、カスカイスに到着する。昔は小さな漁村だったというカスカイスは、今はのんびりとしたリゾート地になっている。

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 カスカイスからロカ岬へと向かうバスが出るターミナルは、ツアーバスの発着所から小さな商店街に入り、魚市場やレストラン街を通り抜けたところにあるようだったが、せっかくのリゾート地、そのままバスを乗り継いで先を急ぐことはない。お昼も近いことだし、シーフードレストランから素敵な匂いが漂ってくるので、まずは腹ごしらえをすることにする。

 英語のメニューのあるレストランに入ると、やけに親切な中年のウェイターにテラス席に案内され、おすすめは何ですかと聞くと、絶対にタコだという。じゃあそれをくださいと頼み、ビールを飲みながら待っていると、大皿いっぱいに足を広げたタコが丸ごと、ニンニクとオリーブオイルで香ばしく焼かれて出てきた。丸のままのジャガイモもごろごろと並んでいて、こんなに食べられるだろうかと不安だったけれど、一口食べた瞬間、これはいけると確信した。

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 焼き立てのパンと、山盛りのオリーブを、お替り自由だからと持ってきてくれたウェイターは、それから何度も私の席にやってきて、どこから来たの? どこへ行くの? ロカ岬から四時に戻ってきてくれたら僕が車でリスボンまで送って行ってあげるよなどと、ほかの客そっちのけでまとわりついてくれて、その気はなかったけれど少しだけ嬉しかった。

 ご丁寧に名刺をくれて、その裏に携帯電話の番号まで書いてくれたウェイターの誘いを丁寧に断り、レストランを出て、ぶらぶらと商店街を歩きながらバスターミナルへ向かう。
 生憎、バスは出たばかりで、次のバスは一時間後。どうしようかと悩んだでいたら、ちょうどタクシーが来たので乗ることにした。

 運転手は、ちょっと苦み走ったいい男で、ほとんど英語は通じなかったけれど、私がロカ岬に行きたいという意志だけは伝わって、オーライ、乗りなよ、みたいな感じの少しぶっきら棒な態度が妙にハートにぐっときて、全く、私ったらいくつになっても面喰いだなあと苦笑しつつも、バーチャルドライブデートだわと、こっそりはしゃいでタクシーに乗り込んだ。

 タクシーは、猛スピードで山道を登ってゆく。大きなカーブに差し掛かる前に、運転手はポルトガル語を発する。多分、つかまって、といっているのだと思うのだけれど、つかまっていても身体はぐるんぐるん揺れる。初めてのデートをしているような気分の私は、サングラスの似合う運転手の素敵な横顔を後部座席からちらちら見ながら、雑な運転のバーチャルデートを楽しんでいる。

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 真っ青な海が見えてくる。カーブを曲がるたび、海はどんどん眼下になってゆく。広大でうつくしい海が見えるたび、歓声を上げたくなる。大西洋の先には何があるのだろう。ヴァスコ・ダ・ガマや、エンリケ航海王子の気持ちがわかるような気になる。

 たおやかな、まるで農場を突っ切っているようなのんびりとした道を抜け、タクシーはロカ岬に到着。運転手は窓を開け、そんなに広くはない駐車場にゆるゆると車を入れ、下手な運転の小型車のドライバーになにやら文句をいいながら、大型バスの横に車を停めた。

 そして私を振り返り、右手の指を二本立て、二十分くらい待ってるからゆっくり見ておいで、とジェスチャーでいった。岬に着いたら帰ってしまうのかと思っていた彼が、私と一緒に車を降り、煙草に火をつけ、笑顔を見せてくれる。映画のワンシーンのようだ。

 私は少女のようにうきうきと小走りになりロカ岬の先端へと向かう。大西洋からはやさしい風が吹いていて、断崖のわりにまったりとしている岬の先端には、私が世界で一番大好きなブルーが、幾種類ものバリエーションで存在している。瞬きをするごとに形が変わる流れの早い雲は、もうあと数分で消え失せそうだった。

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 カボ・ダ・ロカ。ここに地果て、海始まる。
 岬の先端に建っている背の高い石碑には、ポルトガルの詩人・カモンイスの詩の一節が刻まれている。石碑の尖端には十字架。海から見ても目印になるのだろう。長崎の五島列島の最西端の島には、遣唐使船に乗って海を渡る空海が、日本の最果てを去るという意味の「辞本涯」という言葉を残した碑があることを思い出した。

 断崖の下を覗くと、斜面には意外にも草地があって、黄色い花がたくさん咲いている。手の届かないその花を見ていると、もしかしたらそれは何かの病気の特効薬となる薬草で、親孝行な息子が病気の母親のために、命がけでこの花を摘みに来たかも知れないなんてことを考える。ユーラシア大陸最西端のロカ岬は、私には児童文学の舞台のように思えた。

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 天候や気分で感じ方はきっと変わるのだろう。こんなに穏やかな晴天の日にこの地に立てた幸運に感謝する。約百四十メートルあるという断崖の下には、大西洋の波が穏やかに打ちつけている。天候の悪い日だったら恐ろしい景色だろう。
 
 今、どこを向いても爽やかなブルーに癒される景色の中で、ゆっくりと深呼吸をし、駐車場で待っていてくれているかっこいい運転手の元へ歩いて行く。運転手は、煙草を吸いながら大型バスの運転手たちと世間話をしていて、私の姿を見つけると、煙草を消してこちらへ歩いてくる。どきどきしてしまう。

 彼がジェスチャーで、A4サイズほどの四角を作り、それを握って振るマネをして、表情で、どうした? という風に聞くので、あ、証明書のことだとすぐにピンときて、もらってないと首を横に振ると、もらっておいで、あそこでもらえるよ、と観光案内所の方を指差す。さっき立ち寄った時に、最西端到達証明書というのを発行してくれるのを知ったけれど、ま、いっか、とスルーしていたのに、彼にいわれたらそれをもらうことがとても重要なことに思えてくる。待ってるから、という彼の元から、また小走りで観光案内所へと戻る。妄想デートは楽しい。

 名前と日付をうつくしい手書きのクラシックな書体で入れてくれて、証明書は六ユーロ。インクも乾かないうちにそれをもらい、観光案内所を出る。案内所の前にあるバス停には、一時間に一本しか来ないバスを待つ観光客が数人座っていて、こうやってユーラシア大陸の西の果てで、のんびりとバスを待つのもいいなあと思ったけれど、私には待っていてくれる素敵な男がいる。

 駐車場へ戻り、大西洋を眺めていた運転手に証明書を見せると、彼はグーッドといって笑い、二人で車に乗り込んだ。さっき駐車場に着いてから止めていたメーターをまた動かし、カスカイスまでのラストラン。妄想の中で、さよならのドライブね、なんて思いながら、来た道を戻る。もう少しゆっくり走ってくれてもいいのに。

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 ツアーバスの案内所でもらった地図によると、カスカイスの街から二キロくらいロカ岬寄りのところに、「地獄の口」という洞窟があるとのことだったので、日本のガイドブックで、そこから街まで三十分で歩いて戻れることを確認し、タクシーの運転手に、ポルトガル語の地図を見せる。ここで降ろしてほしいと地図を指差して伝えると、路肩に車を停め、サングラスを外して地図を見て、オーケーといい、また車を走らせる。

「地獄の口」には、土産物屋と一緒になった小さな駐車場があり、運転手はそこで車を停め、あそこから降りていくと見えるよと教えてくれる。私は料金を支払い、楽しかった疑似恋愛は終了する。

 タクシーが走り去ると、私は意外にもあっさりと前を向き、小さなレストランのテラスを通り抜け、地獄の口へと歩き出す。大西洋の波に削られた岩礁の洞窟は、唐突に地面にぽっかりと口を開けていたけれど、天気がいいせいか地獄の口には見えなくて、大自然が造り出した現代アートのようだった。
 大西洋を飲み込む岩礁は、さくっと潔くて、見ていて気持ちがすっきりする。大小さまざまな波が岩礁に打ち寄せ、大きな波が来ると、地獄の口で砕け散る飛沫が遊歩道まで飛んでくる。
 遊歩道の小さなベンチの一つで、老夫婦がサンドイッチを食べていて、その姿はまるで、少し寂れた観光地を盛り上げるために造られた彫像のようにも見えた。

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 老夫婦が座っている隣のベンチに座り、ぼんやりと、遠くの波と近くの飛沫を交互に眺めていると、心地良くて眠たくなってくる。はるか向こう、右手の方向に、さっき行ったロカ岬があるはずだ。
 岬から眺めた、遮るもののない雄大な大西洋の景色は、目をつむっていても脳裏で見事に再現される。かすかに飛んでくる波飛沫が肌に心地よく、時折聞こえるカポンという音は、地獄の口に飲まれる波の音。

 目を閉じて大西洋の崖っぷちに座っていると、いつしか自分が海の一部となってしまうのではないか、私は単なるちっぽけな塵だ、と感じられる。大自然の前では、私は消えてしまう。私というものを生きていくせせこましさから開放されて、のんびりと風に吹かれている。西風が、身体を冷やし始める。私は風から逃れ、燦々と降り注ぐ太陽の光の恩恵を受けるべく歩き出す。

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 カスカイスの街までの道は、きれいに舗装された海辺の遊歩道で、道の脇にはオレンジや黄色の瀟洒な邸宅が立ち並んでいる。日本の不動産屋のチラシで見かける南欧風住宅という文字が脳裡に浮かび、南欧風住宅というキャッチコピーは、西欧風住宅の間違いかも知れないと思ったりする。本家本元の色鮮やかな邸宅を見ながら歩き、じりじりと太陽に照らされているうちに身体も暖まり、ようやっとバス停に着く。

 時刻表を見ると、リスボン行きのバスはあと一時間半以上来ないことがわかった。それもそのバスは最終バス。さてどうするかと周りを見回すと、バス停の後ろに、とても感じのよい公園があったので、ふらふらと引き寄せられるように公園へ入っていく。

 公園へ入ってすぐに、突如、雌鶏に襲われる。うわっとびっくりして飛び退くと、今度は孔雀が目の前を横切る。小さな池の周りでは、家鴨が優雅に散歩していて、鴨の親子もゆったりと芝生を横断している。鳥類は苦手だったけれど、こんな近くで見ることはなかったので楽しくなり、俄か鳥類写真家となるべく鳥の後を追い回す。

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 丸々と太った鳩がたむろしているカフェに入り、コーヒーを注文してテラス席に座っていると、顔中がアイスクリームでべたべたになった小さな子供がヨチヨチと近づいてくる。私の前で転びそうになって危ないと手を掴むと、私の手もべたべたになる。子供の後を追っていたおじいさんが、ゆっくりと笑顔で近づいてきて、私から孫を受け取り、ハンカチを差し出す。私はハンカチを受け取って手を拭き、オブリガーダとハンカチを返す。おじいさんはオブリガード、アデウスといい、孫を抱えて鳩の中に入ってゆく。

 運ばれてきたコーヒーは熱々で美味しかった。公園のカフェを一人で切り盛りしている年若い男の子の機敏な動きに見惚れながら、コーヒーについてきたビスケットをかじる。

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 バスの時間まであと十五分。少し早いかも知れないけれど、最終バスを逃すわけにはいかないので、バス停へと戻る。バス停には先客がいて、真っ赤に日焼けした四人家族が、遊び疲れて地面に座っていた。バス停にはベンチがないので、私も地面に座る。やがて来たバスの二階に乗り込むと、バスは定刻より五分早く出発した。危なかった。

 大西洋に沈んでゆく太陽を背に、海沿いの道をリスボンへ。バスの二階席には屋根がないので、大西洋からの乾いた風に吹きさらされる。しばらくは、日焼けした肌に心地よい風だったけれど、そのうち海風は、身体の芯まで冷やす風となった。

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 結構なスピードで走るバスの中を、ふらふらと歩きながら一階席へ移り、それでも一度冷え切った身体はなかなか暖まらず、スカーフを首にぐるぐる巻きにして耐えた。

 見慣れたリスボンの街に戻ってきた頃には、空が、一面、茜色に染まっていた。残照に彩られたリスボンの街並みのうつくしさに圧倒され、ため息をつく。ここで育ったわけでもないのに、その夕暮れの景色に懐かしさを感じ、ああ、家に帰って来た、という感慨を抱く。

 ホテルの並びにある小さなレストランで、バカリャウ(干しダラ)と野菜を茹でた料理を食べ、眠い目をこすりながらホテルへ帰ると、今日は夜勤のリカルドさんが、ハグせんばかりの懐っこい笑顔でお帰りと迎えてくれる。
 部屋へ入るとお風呂にも入らずベッドに直行し、深い眠りに落ちてゆく。心がずっと温かく、多幸感に包まれていた。

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