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アパートメント紀行(20)

バルセロナ #4


 一晩湿布していたら、膝の痛みはかなり改善したけれど、朝の光の中、まだまだ寝たいと身体がいうので、素直に従って二度寝する。お昼過ぎ、空腹によって目が覚め、睡眠欲と食欲がしばらく闘ったのちに食欲が勝ち、ホテルから数十歩で行けるレストランへ行くことにした。

 左膝に貼った湿布が落ちないようガムテープで端をとめ、ジーンズを履いて出かける。リスボンで買ったジーンズがタイトでよかった。
 廊下に出ると、客室係の女性がいて、あら、出かけるの? 掃除していい? というようなことを多分いったので、お願いします、グラシアス、といったけれど、彼女はスペイン語ではなくカタルーニャ語を話しているのかも知れない。でもどちらにしてもありがとうはグラシアス。

 湿布を貼っていると、それだけで膝を意識するので、老人のようにゆったりと歩く。スローモーションの如く歩いていると、周りの景色が幾分違って見える。行き交う人々の笑顔の残像が、わりと長いこと視野に残り、足元の石畳が、驚くほど芸術的であることを知る。風に舞い上がる塵や埃までが見えそうで、レストランのテラス席に座るのを少し躊躇したけれど、いつもの席によっこらっしょと座った。
 赤いトマトソースの乗った緑色のラビオリは美味しくて、ビールが進む。焼き立てのパンってどうしてこんなに美味しいのだろうと、ちぎったパンの中身を覗き込む。
 ホテルの横にあるインフォメーションの入っているビルの壁画が、ピカソの作品であることに気づく。目の前のカテドラルの尖塔に、たくさんの天使がいることに気づく。
 カテドラルは、太陽の位置によって色が違って見える。今、太陽が真上にいる時は象牙色に輝き、陽が沈む前はオレンジ色に輝く。夜は青白くライトアップされる。

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 スローモーションの世界を楽しみながら、食後の友達であるガイドブックを読み込むと、なんとカテドラル、午前中と夕方は無料で中に入れると書いてある。しかし残念ながら今は午後。でも私の膝がちゃんと機能しているうちに、出来ることはやっておきたい。

 そろりそろりと、六ユーロ払ってカテドラルの中へ入る。巨大な大聖堂の入り口は小さくて、人が一人通れるほど。中へ入ると、急に太陽の光から逃れた瞳孔が、しばらく戸惑ったのちに落ち着き、見事なゴシック様式の柱や天井に見惚れて開く。
 ステンドグラスから入り込む光が、煙のように窓辺に漂っている。両側には小さな礼拝堂が立ち並び、人々はそれぞれ贔屓のマリア像や聖人の前でロウソクに火を灯している。真ん中にある立派な聖歌隊席をくぐり前方へ進むと、突き当りに広い祭壇が現れて、祭壇の手前には、明るい半地下の部屋へ降りる階段があった。

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 ちょうど祭壇の下にあたるその部屋は、バルセロナの守護聖人、サンタ・エウラリアのお墓だそうだ。聖堂内で一番明るく、白く光る幼いキリストを抱えたマリア像が、棺の上に載っている。

 祭壇の右から回廊に出ると、日光と再会する。仄暗さに慣れた目には眩しすぎる太陽の下で、白い生き物がよたよたと動き回っているのが見える。なんだろうと目を凝らしてみると白鳥だ。いや、くちばしをよく見ると違う。ガチョウだ。回廊の中庭に、黄緑色の池があって、たくさんのガチョウが楽しそうに遊んでいた。

 ガチョウが泳ぐ四角い池の四隅に、カエルの形の蛇口があって、カエルの口から水が落ちる音と、シダ類やコケ類に覆われた噴水から時々勢いよく上がる水の音が、荘厳な静寂の中、聖なる音楽に聞こえてくる。

 カモメの鳴き声に空を見上げると、高いヤシの木が、幾本ものワイヤーで聖堂の壁から支えられていて、それが古いヤシの木なのだと知る。

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 聖堂の中へ戻り、椅子に座って休息。心許ない光の中で、目を細めてガイドブックを読み、ここから少し歩いたところにあるという王の広場へ行くことにする。カテドラルから七十メートル。 

 ゆっくり歩いて辿り着いてみると、王の広場は、何度も通っていた小路の脇にあり、広場の右奥にある半円形の階段が、新大陸を発見したコロンブスが女王に謁見したという歴史的階段らしい。予備知識がなければただの空き地にしか見えない広場が、知識を仕入れたおかげで歴史ある広場に見える。人はモノやヒトを見る時、網膜で見ているようでいて、実は脳みそで見ているのかも知れない。

 ヨーロッパの古い街並みを歩いていると、京都を散策している時と同じ心持ちになる。何百年も前に造られた建物の中で、新しい文化の商品が売られていて、私はそこに共時性を感じる。それは何の意味もなく、ただそこには経済活動があるだけに過ぎないのかも知れないけれど、私の脳みそは、そこに悠久のロマンを感じようとする。

 私が暮らしていた街にもきっと、そんな事象はたくさんあるのだろうけれど、何気ない風景の中に、そんな思いを馳せて感じ入ることが出来るのは、多分、旅人である時だけだ。私は頻繁に引っ越しをしているから、旅人のような人生だねといわれることも多いけれど、本物の旅人になった今、まるで根無し草のような人生を送っているような私でも、それなりにちゃんと生活者であったのだと思うことが出来た。

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 もうすっかり通勤路になったお豆腐屋さんまでの通りを歩いていると、土曜日だからか途中のブティックや家具屋さんが閉まっていて、休日のオフィス街に出勤しているような気分になった。

 お弁当と書かれたのぼりは健在で、店へ入ると見慣れた笑顔が迎えてくれる。豆腐ハンバーグ弁当を買って店の奥で食べながら、ご主人や奥さんやお客さんたちとわいわいお喋りに興じ、帰りに大量の食材を買い込む。
 多分フランスにも売っているのだろうけれど、日本の食材は見つけた時に買っておかないと欲しい時には手に入らない。鰹節、ゴマ、海苔、インスタントラーメン、カレールウ、乾麺、お醤油、麺つゆエトセトラ。あれもこれも欲しいものはいっぱいあったけれど、トランクにそこまでの余裕はない。

 どっしりと重い荷物を抱えてホテルへ帰りながら、これだけでも相当に重いのに、これはこれから詰める荷物の一部でしかないのだと思って呆然とする。しかし、ホテルの前の広場にアンティーク市が立っているのを見つけ、ホテルの部屋に重い荷物を置いてからまた広場へ戻った。

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 古い銀食器や磁器のティーセット、ガラスの器やアクセサリーや不思議な人形。中国風の顔をした人形の横には七福神の根付があり、フランスの貴族が使っていたような派手なセンスの横に、芸者が描かれた鏡がある。蚤の市は見て回るだけで楽しい。心地よい喧騒に包まれ、まだ沈まぬ太陽の残照を受けて輝くカテドラルを眺めながら、いつもの席でワインを飲み、時間が止まってほしい病を発症している。
 
 このレストランのテラス席は、誰にとっても一等席だと思うけれど、私にとっては、いつまでも座っていたい特別席。たった一週間の滞在なのに、もうずっとこの街にいるような気さえする。都会の人混みは苦手だけど、バルセロナの人混みは平気だ。きっとスピリチュアル思想に傾倒している友人なら、あなたの前世はカタルーニャ人だったのよというに違いない。

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 日曜日。空は晴れ渡り、街にはお祭りムードが漂っている。狭い路地の向かい合った建物が、黄色いリボンや色とりどりの旗で結ばれていて、その下をくぐり抜けて大通りへ出ると、背の高いマンションのベランダに、黄色と赤の縞模様に星がついた旗がいくつも下がっている。エストラーダと呼ばれるカタルーニャ独立運動のシンボルになっている旗だ。

 やがて前方にヤシの木が見えてきて、潮の香りでゴール。本日の地中海も素晴らしく青い。大きな彫刻が座っている海辺のプロムナードでサンドイッチとコーヒーを買い、カモメに囲まれながら遅い朝食。日に焼けた肌を露出した人々が、海辺の道をそぞろ歩いている様を、サングラス越しに眺めている。
 少し先まで歩くと、バルセロネータという絵に描いたようなヴァカンス地のビーチへ行けるのはわかっていたけれど、膝を大事にしたかったし、多分そんな景色は明日から行くニースでも見られる。私のバルセロナ最後の海は、人々が足を止めないこのプロムナードからの眺めで充分で最高だった。

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 ゆっくりとホテルへ戻り、こんにちわあと挨拶してくれるミゲルと少し話をして、明日のチェックアウト時には彼がいないことを知り、いろいろありがとうとお礼をいう。

 部屋に戻って少し眠り、起きてから荷造りをし、来た時は一つだったトランクが、二つになってもぎゅうぎゅう詰めで、おかしいなあと思いながら、ちゃんと鍵がかかることを確認し、いよいよティナと森本さんの家へ向かう時間となる。

 彼らが紙に書いてくれた地図を持ち、タクシーに乗り、住所を書いた紙を運転手さんに見せ、ポル・ファボール(お願いします)という。

 グエル公園の近くだという彼らの家は、思っていたより高台にあるようで、タクシーはどんどん坂を、というより山を上っていく。見晴らしが素晴らしい。
 この辺のはずだけど、と運転手さんがいう辺りで降ろしてもらい、地図を見ながら適当に歩いてみるが、目印となる赤い家が見当たらない。道に迷ってしまったようだ。
 私は自分の楽観癖を呪いつつ、静かな住宅街のガレージで遊んでいた男の子たちに、紙に書いた住所を見せて尋ねると、その通りはずいぶんあっちの方だよと、ジェスチャーで教えてくれる。

 タクシーを降りた地点まで戻り、森本さんに電話をかける。どうやら私は反対方向へ歩いていたらしい。改めて教えられた方角へ歩いていると、森本さんが迎えに出て来てくれていた。すみませんと謝りながら、目印となる赤い家の斜め前にあった彼らの住む小さなマンションのエントランスで、わあ、と私はため息をつく。

 素敵なところに住んでいるんですねえというと、森本さんは、まだここエントランスですよと笑いながら、バルセロナの中心部は結構家賃が高くて、ここまで離れないとなかなかいい物件はないんですよと、バルセロナの住宅事情を教えてくれる。

 玄関のドアを開けると、シャイだけど人懐っこいティナが、いらっしゃいと迎えてくれて、ほら、まだパーティの準備中だけどもう飲んでる人がいるよ、といって日本人男性を紹介してくれる。久しぶりに聞く九州弁で話すその人は、バルセロナで日本料理店を経営しているそうで、奥さんのサラは流暢な日本語で、私はカタルーニャ人ですよ、と自己紹介してくれた。

 ティナと森本さんの住まいは、三階建てのマンションの一番上にあり、広いベランダがあった。二人のアーティストが楽しんで作り上げたような部屋は、外国のインテリア雑誌に載っている部屋のようにお洒落で、その感想を二人にいうと、ティナが、ここは外国です、という。

 私が何か話すたび、悪戯っぽい目をして片言の日本語で絶妙の突っ込みを入れてくるティナが面白くて、私はティナと早速つるんでいる。今日はタコ焼きパーティなんですよという森本さんが、ワインのつまみをいろいろと作っている間、ティナとサラと私はワインを飲みながら、たくさんの日本語と少しの英語でぺちゃくちゃと喋り続ける。

 ティナが、私の服を褒めてくれたので、ああ、これはスペインのブランドの安い服だよというと、ティナは、あ、そこのブランド、私、太ってるから入らない、という。間髪入れずに私が爆笑すると、ティナも爆笑し、サラが、あ、そこ、笑っていいとこだったんだ、と遅れて笑う。

 ベランダの大きなテーブルに宴の準備が整ってきて、私たちはベランダへ移動する。ピンポンと呼び鈴がなり、玄関でまた笑いが巻き起こっている。今度は日本人女性とカタルーニャ人男性のご夫婦とその友人がやって来る。エミさんというすごく明るいその女性ともすっかり気が合って、初めて会った人たちとこんなに楽しく過ごせることに感謝する。

 私が手土産にとお豆腐屋さんで買って持ってきた日本酒は、オリーブやチーズにとても合い、すぐに空になった。わいわいと賑わう宴の、いよいよメインエベント、タコ焼き大会が始まる。森本さんが日本から持ってきたというタコ焼き器は、バルセロナの空港の税関で、数時間足止めされたらしいけれど、なんとか無事にここまで辿り着き、今日がデビューの日だそうだ。

 そして、さあ焼きましょうという段になって、どうやるんだろ、と森本さんがいう。あれ? 焼いたことないんですかと私が聞くと、ええ、お好み焼きは得意なんですけど、と関西出身の彼がいう。

 実は私はタコ焼きを焼くのが得意だ。だけどちょっと遠慮していて、今ここにいる八人のうち半分の、私以外の日本人がタコ焼きを焼いたことがないというのを確認してから、では、私の出番ですねと腕まくりをする。

 そんな私の様子をティナがけらけら笑って見ていて、私のアシスタントについてくれる。私が得意気にタコ焼きを焼き始めると、みんなが尊敬の眼差しで私の手元を見つめている。
 生地を流し入れ、タコを投入し、ネギと天かすと紅ショウガを入れ(よくぞバルセロナに天かすと紅ショウガがあったものだ!)、頃合いを見て竹串でひっくり返し始める。予想通り、そこでおおっという歓声が上がる。私はますます得意気になり、くるくるとタコ焼きを焼く。程よくカリッと焼けたタコ焼きは美味しくて、生地を作った森本さんと思わずハイタッチする。

 あっという間に第一弾がなくなり、第二弾は、我も我もと焼き手が立候補して、さすがに料理人のサラの旦那さんは上手に焼くし、エミさんも大騒ぎしながらちゃんとまとめている。タコ焼きというものが、実は案外簡単に焼けることが判明し、私はさっきまでの地位からあっという間に陥落する。

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 タコ焼きが終了してお好み焼きに移った頃には、すっかり日も暮れてきて、みんないい具合に酔っ払ってきて、少しだけお喋りのペースが落ち着く。
 そういえばここはグエル公園の近くなんですよね? と私が誰にともなく尋ねると、ガウディの作品見た? と誰からともなく聞かれる。

 サグラダ・ファミリアとグエル別邸と、あのマンション、なんだっけ? その外観をバスから眺めただけだというと、カサ・ミラね、サグラダ・ファミリアの中に入らなかったの? と聞かれる。入り口に並ぶのが面倒くさくて入らなかったというと、観光客の風上にも置けねえなあと笑われる。でも、まあ、今度来た時に見ればいいじゃん、また絶対においでねと、やさしくみんなにいわれながら、そうか、私はもう明日バルセロナを去るのかと思い出していると、ドドーンババーンと花火が上がる音がする。

 音はするのに花火の姿が見えなくて焦っていると、こっち! とティナが、ベランダとは反対方向にある寝室の方へ走っていく。多分普段は他人を入れないであろう寝室を通り抜けて、その先にある小さなベランダへ全員が集まる。花火は海の方角から上がっている。横一列に並んで、明日のサンファンの祭りを盛り上げる前夜祭を遠くから眺め、カタルーニャ語ではサンジョアンというのだと教わる。

 ホテルにいたら爆竹や打ち上げ花火の音がすごかったと思うよといわれ、ここが郊外なのだと知る。遠くの花火の音とともに、時折近所で子どもたちが爆竹を鳴らしている音が聞こえてくる。

 思いのほか暗いバルセロナの夜空に上がる花火を見ながら、正式に夏が訪れたことを知る祭りの前の日の夜も更け、朝方まで飲むという気持ちのいい人たちに別れを告げる時間がくる。

 本当にありがとうございました、素晴らしいバルセロナでした、また会う日まで、さようなら。ちぎれんばかりに手を振ってくれる人たちに心からのお礼をいい、呼んでもらったタクシーに乗り込んだ。
 祭り前夜の街は賑やかで、みんなのいうとおり、ホテルに近づくにつれ爆竹の音が大きくなる。しかし、はしゃぎ過ぎた私は、部屋に戻ってあっという間に眠りに落ちる。明日は、長い長い列車の旅だ。

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