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アパートメント紀行(19)

バルセロナ #3


 東ルートの観光バスに乗り込むと、サグラダ・ファミリア聖堂へ近づく辺りから道が混みだして、やっと見えてきた聖堂に、あら、なんだ、工事中か、と思ったけれど、よく考えると聖堂はもう百三十年以上も工事中なのだった。
 バスは、同じくガウディが設計したグエル公園の前を通る。バスを降りてタイルで出来た有名な曲線のベンチなどを見学しても良かったのだが、公園の至るところにある粉砕タイルによる曲線の芸術作品のほとんどは、ガウディの弟子であるジュジョールという人の作品であるとバスの音声ガイドがいっていたので、そのままバスに乗り続けた。

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 ガウディにそこまで興味はなかったけれど、カサ・ミラは面白かった。魔法使いが一夜にして直線を曲線に変えてしまったような高級アパートは、奇岩をモチーフにしているらしく、波打つようなフォルムを持ち、瀟洒な歴史的建造物が立ち並ぶグラシア通りに突如現れる世界遺産。
 建築当時、通りの調和を乱すと物議を醸したらしいけれど、確かに今も少し異質ではあるけれど、私たち観光客は、初めからそんなものだという目で見るからか、街並みにそぐわないとは思わない。むしろこれがあってのバルセロナだと思ってしまう。ずっとそこに住む人と、通り過ぎるだけの人の目線は違うのだろう。

 ガウディ独特のうつくしいといわれている曲線は、偏頭痛持ちの私には少しつらい。同じカタルーニャ出身のダリの作品もうねっているものが多いから、見ていると目が回ってしまう。同じうねりでも、海の上で波のうねりに身を任せるのは好きだけれど。
 
 終点のカタルーニャ広場でバスを降り、エル・コルテ・イングレスというリスボンでもよく通ったデパートに入って涼む。最上階のレストランで、バルセロナの街並みを見下ろしながら生ハムとチーズのサンドイッチを食べて、それからまたバス乗り場へ戻り、今度は西ルートのバスに乗る。

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 さっきも通ったグラシア通りでまたカサ・ミラを見て、今度はグエル別邸へ向かう。ガウディのスポンサーだったグエルさんの週末の別邸。邸宅は現存せず、馬小屋や門番小屋などが残っているだけらしいが、ここの一押しは、龍の彫刻が施された鉄製の正面の門だと音声ガイドがいっている。

 グエル別邸の龍の門を写真に収め、小さな通りを大きなバスがぐるりと回ると、カンプ・ノウ・スタジアムに出る。この巨大なスタジアムが、知る人ぞ知る、名門FCバルセロナの本拠地。サッカーファンらしい観光客が次々とバスを降り、スタジアムへ向かっている。

 それからバスはゆっくりとモンジュイックの丘を登ってゆく。地図によると、地中海を見下ろす緑の丘には、お城やミロ美術館やオリンピックスタジアムやカタルーニャ美術館、カタルーニャ考古学博物館、スペイン村など、見所がたくさんあり、一日ゆっくり過ごせそうな丘だった。

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 バスが、バルセロナの街を一望できる坂道をのろのろと上っていく中、乗客全員が片側に寄って風景写真を撮るものだから、バスが横転しやしないかとどきどきした。丘の天辺から、地中海を一望出来る坂をくねくねと下り始めると、眼前の景色が、どちらの座席に座っていても見えることが判明し、乗客が移動しなくなってホッとした。コロンブスの銅像がある海辺の広場から左折し、ランブラス通りに入ると、私の頭の中で、バルセロナの地図が明確に出来上がった。

 もうすっかり実家のような気さえするお豆腐屋さんへ今日も向かう。来週から南仏でまたアパート暮らしが始まるので、日本の食材が豊富に揃っているお豆腐屋さんで、何を買っていくか下見をしておきたかった。お弁当も食べたかったし、日本語も話したかった。今日はお弁当はあるだろうかと思ってお豆腐屋さんへ入ると、お弁当はあったけれど、奥から白いゴム長を履いたお豆腐屋さんのオーナーが出て来て、今日はいい鮭があるよ、鮭茶漬けを作ってあげようかというのでそれに飛びついた。

 お豆腐屋さんの奥さんと、世間話をしながら鮭が焼けるのを待っていると、片言の日本語を話す、とてもシャイなスペイン人の女性がお豆腐を買いに来て、あら、そうだわ、紹介するわ、といって奥さんが紹介してくれたティナは、すぐそこの、最初の日に見つけた日本風のカフェを経営している女性だった。カフェで出す豆腐チーズケーキを作るために、時々お豆腐を買いに来ているそうだ。

 とても感じのいいティナが、日本語で、お店に遊びに来てねといってくれたので、お茶漬けを食べたら行きますねというと、ティナが、うちの店にもお茶漬けある、というので大笑いした。

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 美味しい鮭茶漬けをあっという間に平らげ、ティナのお店まで三ブロック歩く。本当にまるで日本にいるかのような感覚でバルセロナを歩き回っている気がして、知っている人がいるということが、その土地に馴染める第一歩なんだなあと思う。

 ティナのパートナーは、森本さんという日本人男性だった。物腰の柔らかい森本さんとティナの本職は写真家で、二人が一年間かけて日本中を旅して撮ったという写真集は、何かの雑誌のレビューで読んだことがあった。二人のお店に置いてある写真集を見ながら、この本を雑誌で見たことがあるというと二人は喜んで、ティナは、これは本物、売っています、という。片言の日本語で、絶妙に人を笑わせてくれるウイットに富んだティナのことを、私は大好きになる。
 
 二人のお店はまだオープンして一年ほど。まだまだ発展途上だというけれど、二人の感性が隅々まで行きわたった店内には、畳のスペースがあり、金魚のいる中庭があり、囲炉裏もある。壁には二人の作品が飾ってあり、ギャラリーにもなっている。

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 大漁旗が暖簾代わりに吊るされ、昔懐かしいかき氷器もある。京都のお茶がおすすめだと教えてもらい、日本茶と冷たい大福を注文する。バルセロナで流行っているという冷たい大福は、なんとアイスクリームの雪見大福だった。

 丁寧に淹れてくれた日本茶をゆっくり飲みながら二人と話していると、ティナの甥だという二人の男の子が入って来て、靴を蹴飛ばしながら脱いで畳に上がった。そして、こちらを気にしながら日本茶をすすっている。しばらくして彼らの前に、海苔にくるまれたおにぎりが置かれ、二人は嬉しそうにそれを頬張っている。その姿が可愛くて、写真を撮っていいかとティナに承諾を得て、彼らにカメラを向けると、二人は照れながらもふざけた格好でおにぎりを頬張ってくれた。

 彼らは、おにぎりと日本が大好きらしい。だから日本語を話している私にも興味津々で、ティナに、日本語を話してみたらといわれ、こんにちは、さようなら、おやすみなさーいと、得意気にいった。

 靴を脱いで上がる畳の席から、ちょっとトイレに行くためのものなのか、それともインテリアの一部なのか、日本の下駄が数足置いてあって、彼らはそれを履いて店内を動き回るのだけれど、音を立てないように歩くから何ともおかしな歩き方になっていて、それはカランコロンと音を立てて歩くんだよと教えると、そうか、と腑に落ちたらしい彼らが、今度は早足でカランコロンと歩くから、店内には賑やかに下駄の音が響き渡り、スペイン人のお客さんがオーダーしたかき氷をティナが削る音までがそこに加わって、ここは本当にスペインだろうかと不思議な気分で私は日本茶をすすっている。

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 ティナは、自分のことカタルーニャ人だという。森本さんが補足してくれて、バルセロナの人の多くは、自分たちのことをスペイン人ではなくてカタルーニャ人だというのだと教えてくれた。マドリードに寄って来たと話すと、ティナは、あそこはスペイン、ここはカタルーニャ、という。森本さんとティナは、カタルーニャ語で話している。

 店の外を見ると、陽が落ちかけている。思いがけず楽しい時間を過ごせて幸せな気分でいると、森本さんとティナが何やら相談している。私がお勘定を済ませると、森本さんが、サン・ファンの日にここを発つんですよね? と聞く。そして、僕たち、前夜祭をウチで祝うから、よかったらウチに来ませんか? と誘ってくれる。

 え? いいんですか? と驚いて尋ねると、他にも友人たちが来ますから、という。あ、でも私スペイン語話せないから、と弱気になると、大丈夫です、半分日本人で、日本人じゃない人も日本語話せますから、という。なんて親切な人たちなんだろう。私はかなり感動して、ご迷惑でなければ行きたいです、と答えた。

 じゃあ、ご連絡しますから連絡先教えてくださいといわれ、ほとんど使わずにいる海外専用の携帯電話の電話番号を教え、念のために一度、森本さんの携帯電話にかけてみて、使い方を今更覚えながら、うきうきとワン切りする。

 知り合ったばかりの人のホームパーティにお邪魔するなんて厚かましかったかなあと反省しつつ地下鉄に乗り、本当は治安が悪いのかも知れない夜の地下鉄の中で、窓ガラスに映る自分のにやついた顔を見る。地下鉄を降りると、自分の家があるような気がしてならない。帰り着いたホテルで、こんばんは、お帰りなさいと、日本好きのミゲルがにこやかに迎えてくれる。お風呂に入りながら、ここはなんて素敵な街だろうと思い、その夜も幸せな気持ちで眠りに就いた。

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 翌日訪れたピカソ美術館は、ホテルから歩いて五分の、迷路のようなゴシック地区の狭い路地の一角にひっそりと佇んでいた。中世の貴族の館を改装して造られたという美術館には、ピカソの幼少時代の作品や、青の時代以前の初期の作品が展示されていて、ここからどのようにしてキュビズムに至ったのか想像もつかなかった。私が思うピカソらしい作品もいくつかあったけれど、そうではない作品もまた興味深かった。

 ピカソ美術館からすぐのところに、サンタ・カタリーナ市場がある。カラフルな模様の波打った屋根が目印の市場は、シンプルでモダンな建物で、遠目からは美術館なのかと思えるほどで、ランブラス通りのサン・ジュセップ市場ほど観光客はいなかった。

 中に入っても、その整然としたレイアウトのせいか、市場は清潔感に溢れている。まるで都会の高級デパートの地下のようだという印象を抱いたけれど、高級食材を売っているわけではなく、色とりどりの野菜、新鮮な魚介類、様々な肉と内臓、ものすごい種類のオリーブや豆などが、普通の値段で売られている。ここが庶民の台所であることは間違いなく、それに、市場の中にはカウンターバーのようなバルがたくさんあって、午前中だというのにお酒を飲みながら美味しいタパスを食べている人々で賑わっている。

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 そうか、市場だから午前中が賑わうのかと気づき、勇気を出して魚介類のお惣菜が並んでいるカウンターバーに近づいてみる。威勢のいい築地の仲買人のようなおじさんたちが、おねえちゃんは何食べるんだ? みたいな声をかけてくれるけれど、何を頼んだらいいのかわからなくて迷っていたら、隣に座っているでっぷりとしたお腹のおじさんが、とりあえずこれを食べなさいと自分の食べているものを指差すので、やっぱりでっぷりとしたお腹の市場のおじさんに、これをくださいとジェスチャーで伝えると、お隣さんが飲んでいた白ワインがまず出てきて、その後に、魚介のトマトソース煮込みが出てきた。イカが柔らかくて美味しい。

 それから、目の前にあったコロッケのようなものを頼んだら、タラのコロッケで、隣の隣のおじさんがアレも食べろというので頼んだアレはイワシの酢漬けで、図らずもおじさんたちにカタルーニャ名物を教わった格好で、リスボンに引き続き、何を食べても美味しかった。

 空腹にワインを二杯飲んだから少し酔い、入って来たところとは違う扉から市場の外へ出ると、仮設の舞台が設えてあって、人だかりがしているところに行き当った。少し待っていると、アラビア風の衣装を着た女性たちが舞台に上り、アラビア風の音楽に合わせて踊り始めた。
 艶やかに踊る彼女たちの肉づきのよい身体を見て、女性はこれくらい肉づきがいい方が私は好きだなあと思いながら、次の演者を待つことなく歩き出すと、すっかり肉づきの良くなった自分の身体を支えている膝が、もうかなり前から悲鳴を上げていたのを思い出した。

 今、歩くのに支障をきたすほど痛みを訴えてくる左の膝が、もうこれ以上酷使しないでくださいといっているけれど、とりあえず、ホテルまで帰り着かなければいけない。足を引きずり、亀のようにのろのろと歩いてホテルまで帰ると、ホテルの前の広場が賑わっていた。さっさと帰ればいいものを、もうホテルの前にいるという安心感と、街全体に流れている祭り前の楽しげな空気に誘われて、広場に面したホテルのレストランのテラス席に座り、食後のコーヒーを飲む。

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 広場では、大道芸人たちが入れ代わり立ち代わりパフォーマンスを披露していて、広場の奥のカテドラルの中にも入ってみたいなあと思い、ああ、そうだ、新しいトランクを買わなくちゃと、昨日見つけていたすぐ近くのバッグ屋さんに行こうかなと考えた。

 それにしてもやりたいことがこんなにもあるなんて! 旅に出る前は、もう人生終わりにしてもいいなんて思ったりもしていたのにと、私は自分の心変わりに驚く。
 旅に出る前の私は、自分の人生に飽き飽きしていて、人と関わることに疲れ果て、季節が巡りくることの有り難ささえ感じなくなっていた。人より随分気ままに生きてきたけれど、結局どんなに生きようと、人は死ぬ。それならば老いてゆくことを端折って、忽然と死にたいなあなどと考えたりもしていたのだけれど、今思うと全く、呆れるほどの傲慢病だ。もしくは更年期の不定愁訴か。

 コーヒーを飲みながらゆっくりと休憩していたら、膝の痛みが消えた気がして、コーヒーを飲み終わり、すぐそこにあるバッグ屋さんまで用心しながら歩いて行く。目をつけていた紫色のトランクが、思っていたより安価だったので、大と中の二つを買う。大に中を入れて一つにしたバッグをごろごろと押して帰りながら、ホテルまであと数メートルというところで、私の左膝がストライキを起こす。ホテルはすぐそこなのに、もう歩けない。

 トランクを杖代わりに歩けるかと思ったけれど、トランクの大きさが逆に歩行の邪魔をする。ああ、どうしたものかと途方に暮れていると、ホテルの前で観光客と談笑していた制服姿の日本好きの青年が、私を見つけて笑顔でこちらへ近づいて来る。

 マダム、私が運びますよ、新しいトランクを買ったんですね。彼の笑顔に救われて、ありがとう、実は膝が痛くて歩くのが大変で、というと、うわあ、それは大変だ、ちょっと待っていてください、まずこれを運んでから戻って来ますといって、空のトランクを軽々とホテルまで運び、そしてすぐに戻って来て、私に肩を貸してくれ、ゆっくりと私をホテルまで運んでくれた。

 大丈夫ですか? と心配してくれ、痛み止めの薬が必要だったらいってくださいといってくれる彼に、本当にありがとうと何度もお礼をいい、やっとのことで部屋まで辿り着く。やさしいミゲルが、古いトランクを取りに来るのは明日にしますから、今日はゆっくり休んでくださいねといい、静かに部屋の扉を閉めた。

 古いトランクから湿布を取り出して痛む膝に貼り、ついでに鎮痛剤も飲み、大きなベッドでホッと一休みする。ああ、湿布の冷たさが気持ちいい。しばらく眠ってから、空腹感で起き上がったが、膝が痛いことを口実に、夜はルームサービスを頼み、ちょっと贅沢に鴨肉を食べる。
 新品のトランクを眺めながら、よし、物質的な贅沢は今日限りにしなければと誓いつつ、ホテルのレストランの創作地中海料理はびっくりするほど美味しくて、私は、こんな旅は初めてで最後だから少しの贅沢は大目に見てくださいと、誰に対してかは謎だけれど、なんとなく許しを乞うてみた。

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