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アパートメント紀行(5)

ブライトン #5


 アパートから東へ、街の中心部とは逆方向に十分ほど歩くと、ブライトンマリーナがある。小さなヨットから大きなクルーザーまで、たくさんの船が気持ち良さそうに停泊していて、観光クルーズも出来るようだった。
 マリーナには小規模なアウトレットモールもあり、座席が全部海に向いているレストラン街もある。
 中でも最も私が気に入ったのは、巨大なスーパーマーケットで、多分ここには歩いて来る人なんかあんまりいないのだろう、買い物客たちの押す巨大なカートには、冗談のように大量に食料品が入っていて、この人たちの家にはいくつ冷蔵庫があるんだろうなんて思いながら、私はパスタの棚の端っこにあるウドンやソーメンを買っている。

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    静かな平日のマリーナで、空いているレストランに入り、風に揺れるヨットをぼんやりと眺めながらビールを飲む。美味しいランチのトマトスープに入っているミートボールを堪能していると、初老の夫婦がゆっくりと、私の席の斜め向かいに座るのが見えた。上品な白髪の奥さんは見事に無表情で、何かの病気を患っていることがわかった。

 かいがいしく世話を焼く旦那さんが、奥さんの胸元にナプキンをかけてやり、テーブルに置かれたフォークやナイフの位置を何度も直し、料理が運ばれてきてからは、周りのことなんか気にする様子もなく、奥さんが食べこぼす野菜を一心に拾っている。
 そんな夫の様子を、どこか遠いところから眺めているような奥さんの虚ろな視線は、二人の様子をこっそりと盗み見ている私の上を静かに通り過ぎる。

 私は、こんな視線を知っている。半年前に亡くなった母が、ホスピスで時々こんな目をしていた。優雅でうつくしかった頃の母の姿と、末期がんに侵されてやせ細ってゆく母の姿が、毎日私の中で何度も対比され、ホスピスで一緒に過ごした最期の日々は、忘れられない二週間となった。ホスピスの素晴らしいスタッフに支えられながら、私は毎日、生きることと死ぬことについて考えていた。

 私の最初の夫は、なんの前触れもなく事故で死んでしまったので、それからはずっと、前触れのある死と、前触れのない死は、どちらがいいのか考えていた。心の準備期間をもらえる死と、もらえない死。
 残される者にとって、どっちがラクだろう。
 死者の気持ちは死んだ時にしかわからないけれど、母の死の後に出した私の結論は、残された者は苦しい、どちらも同じだということだった。過ぎてゆく時間だけしか心を癒すことは出来ない。
 
 母の死からまだあまり時間が経っていなかったので、上品で虚ろな目をした奥さんが、震える手でスープを飲もうとしているのを見ているのがつらくて視線をそらす。しかし、そらした時すでに遅く、うっかり涙が溢れてしまう。母のことを思い出して泣いているのか、目の前の奥さんのことを思って泣いているのか、世話をしている旦那さんの心情に共感してつらくなっているのかわからない。外国へ旅に出て、現実から逃避出来るのかと思ったけれど、旅というのは案外、現実と向き合うということなのかも知れないと思った。

 会計をするためにウェイトレスを呼ぶと、若いウェイトレスが、とてもやさしい笑顔でアーユーオーライ? と聞いてくれる。私が泣いているのを遠目から見て気にしてくれているのを、私も遠目から見て知っていた。
 やさしい彼女の笑顔に心があたたかくなる。旅に出て、人にやさしく心を寄せてもらうたび、この人は日本人より繊細でやさしいなあと思いがちだけれど、その思考が間違いであるということに気づく。どうして私は、日本人が世界で一番繊細でやさしい人種だと思い込んでいたのだろう。
 国民性というのはあるとしても、やさしい人は世界中のどこにでもいるし、その逆もまた然り。気配りが出来ておもてなしの精神に溢れている人は、世界中に均等に存在しているのだ。

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    マリーナから海岸を歩いてアパートへ帰る。ブライトンの海岸は砂浜ではなく、小さな砂利で出来ている。だから波打ち際を歩いても靴が汚れない。私が履いている靴は、いつか元気になったら履くつもりだったらしい未使用の母の靴だ。私は自分が意外にセンチメンタルであることを、靴を見るたびに思い知る。
 母は私に、何にも誰にも縛られず、自由に生きてほしいと望んでいた。自由に生きるとはどういうことなのだろう。近頃は、こんな自分でありたいと思うより、これが自分なんだとびっくりすることの方が多い。でもそれでいいのかも知れない。

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 部屋へ戻り、まずはキッチンへ行く。いるいる。ルックが窓辺で待っている。窓を開けると、んっもう、遅かったわね、というような感じで入って来る。ルックがウチへ入って来た初日にデレクにいいつけに行ったことが全くの徒労に終わってしまったけれど、いつもルックがごめんねと、アビーが美味しいパンやパイを持って来てくれるので、いまはルックに感謝している。

    テレビをつけると、ルックはソファの私の横に陣取り、座り心地のいい体勢を見つけるためにぐるぐると何度も身体を動かす。私はルックに遠慮して、座り心地のいい位置を見つけられないまま座り続けている。しかし居心地はすごくいい。

 のんびりと無為に過ごしているうちに五月になり、ブライトンフェスティバルが始まった。
 フェスティバルの皮切りは子供カーニバルから。街中の幼稚園の園児や小学校の児童が、それぞれの学校で巨大な人形を作り、仮装をしてその山車を曳きながら街を練り歩くらしい。ゴール地点がアパートからすぐそこの海岸だとパンフレットを見て知っていたので、私はそこで待っていた。

 賑やかな音楽隊を先頭にやって来た仮装姿の子供たちは、天使のように無垢に見え、同じく仮装した付き添いの母親たちの方が数段誇らし気だったけれど、カメラを向けると素晴らしい笑顔でポーズを作ってくれる子供たちを被写体に、私は写真を撮り続けた。

 あいにく今にも雨が降り出しそうな空模様だったので、カーニバルの行列は、焦っている祭りのスタッフに急かされている。急かされることに腹を立てたのか、ぽつぽつと降り出してきた雨に腹を立てたのか、単に歩き疲れてお腹が空いて腹が立っているだけなのか、ゴールした子供たちは次々に泣き出して駄々をこね始める。
 しかし観客側からは、それがまるであらかじめ決まっていた台本通りの落ちのようにも思え、連鎖する泣きべそ顔が面白くて、見学している私たちは声に出して笑ってしまう。終盤、私のカメラには、笑っている私を恨めしそうに見上げる子供たちと、困り果てている母親たちの写真がたくさん収まった。

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 そのうち雨は本降りになり、子供カーニバルはそそくさと終了となる。紙で出来た巨大な人形たちは雨に打たれ、無惨に破れ、海岸に放置され、べそをかく子供たちは母親に連れられてタクシーやバスや自家用車に乗って家路につく。祭りのスタッフは、ゴミになった山車をあっという間に乱暴にかき集め、トラックに放り込んで去って行った。

 これから二十四日間、街に春を告げる祭りは続く。私の楽しみは、週末に開かれるアーティストたちのオープンハウスだ。街に住むアーティストたちが、アトリエや自宅を開放し、誰でも訪問することが出来るらしいのだけれど、なんとこれが二百軒以上もある。お宅訪問が好きな私にとって、他所様の暮らしを垣間見ることの出来る絶好のチャンス。雨に濡れた服を着替えたら、早速近くのアーティストの家に行ってみるつもりだった。
 
 いつものパン屋でおすすめのパンを買って帰り、服を着替えてソファに座って一口齧ると、パンの中にハンバーグが入っていてその美味しさに驚く。一緒に買ってきたラテをすすり、パンが美味しいだけで人はこんなに幸せな気持ちになれるのだなあと、パンと幸せをしみじみと噛みしめる。

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    アパートから一番近いオープンハウスへ行ってみる。私のアパートと同じような造りの建物の二階に、オープンハウスの看板が出ている。勇気を出してチャイムを鳴らすと、すぐにドアが開き、ちょうど帰る人たちと入れ替わる格好で中へ入った。

 その部屋は、中年の女性が三人で借りているアトリエだった。一人は絵、一人はぬいぐるみ、一人は写真。それぞれの作品は、なんというのか、カルチャーセンターの発表会で見かけるような作品で、一流のアートというものではなかったけれど、しかし、センスの良い調度品が置かれた部屋のインテリアには見惚れた。
 
 三人は、作品を見てもらえることが嬉しそうで、訪問客にお茶や手作りのブラウニーを振舞うことに忙しく、私もお茶とブラウニーをいただき、しばし休憩する。そして、無言の笑顔で作品の感想を求める三人に、すみません、英語があまり話せませんと謝り、感想をいわねばならない義務からなんとか逃れた。
   
 三人の笑顔に見送られるも、心はそんなに温かくはならず、むしろ疲れてしまった。変に緊張してしまったのかも知れない。さっき雨に打たれたせいかも知れない。疲れた時は眠ろうと思って家に帰ると、雨なのにルックがちゃんと窓の外で待っていてくれた。
 
 ルックを中に入れると、キッチンの床に猫の足跡が漫画のようについてゆく。雑巾を手に、逃げ回るルックを追いかけて、なんとか足の泥汚れを拭こうとするのだけれど、ルックは私ごときに捕まるはずもなく、そのうち私も気にならなくなってきて、でも寝室にだけは入れるまいと思っていたのに、そんな時に限って先回りされてベッドを占領されてしまう。
 四肢をだらんと伸ばして横向きに寝転んで、こちらを見上げて得意気に尻尾をバタンバタン振っているルック。ああ、シーツを洗わねば。

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   フェスティバルが開幕してからは、街のあちらこちらで大道芸を見ることが出来た。いつの間にか、歴史ある古い時計台が古着で覆われて斬新なオブジェになっていたり、ロイヤルパビリオンの横の公園が前衛音楽の演奏会場になっていたり、崩れ落ちそうな建物の壁に詩と思想が延々と書かれて本の頁のようになっていたり、道端の消火栓の箱はすべてキース・へリング風だし、少しずつ気温も上がり始め、色とりどりのチューリップがあちこちで咲き誇り、木々の蕾もほころんで、フェスティバルが本当に春を運んで来ていた。

 朝夕はまだ冷え込むけれど、昼間は半袖の人も多く見かけるようになった。海岸で裸になって日向ぼっこしている人も増え、それに倣って私も海辺で寝転んでみたりする。

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 犬の散歩をしているグッドルッキンガイと犬を介して知り合いになるが、オランダからこの地に越してきたという彼は、とっても素敵な彼と一緒に暮らしているそうで、彼と会うといつも、女友達と話すように気軽になにかしらお喋りをする。素敵な男の人たちが、控えめに手をつないでいるのを見ても、羨ましく思えるほどこの街に慣れてきた。

 バスにも乗ってみた。ほとんどの路線バスが赤い二階建てバスで、郵便局でも買える一日乗車券は、ビンゴゲームの紙のような形態で、乗る日付をコインで削って運転手に見せるしくみになっている。初めは恐る恐る近場で乗っていたのだけれど、そのうち慣れてきて、だんだん遠出をするようになった。
 遠出といっても、四十分くらい乗ったら終点、という辺りまで行くだけ。日本でも知らない街に行くと路線バスに乗って見知らぬ景色を見るのが好きだったから、その延長で、とりあえず来たバスに乗ってみることから始めた。終点があったら、そこは始点にもなるはずで、必ず帰ってくることが出来る。終点には食堂やカフェがあることが多いので、そこで美味しいスモークチキンに遭遇したり、おかわり自由の山盛りの香ばしい焼き立てパンに出逢えたりする。

 週末になると、懲りずにオープンハウスに通っている。バスにも乗れるようになったので、街中から離れたところへも訪ねていくことが出来る。私の好みとしては、少し街から離れた一軒家で、お茶の用意もしていないような、なんだか少し面倒くさげな、しょうがないから開けているだけで、見たいなら勝手に見ていって、くらいなアトリエだ。そういうところでは、ハッとするような素晴らしい絵や陶芸作品を発見したりする。
 そういうところのアーティストが無愛想なのは、きっと人に慣れていないからだと勝手に思って好意的に見てしまう。本当に、アートとは好みの問題だ。海岸沿いの土産物屋までがオープンハウスの看板を掲げているので、どこを選んで行くのかが大事なのだとわかった。

 道に迷うこともなくなり、町の地図が頭の中にちゃんと入り、やっと余裕が出てきたのか、滞在一か月を過ぎた頃からやっと、観光名所にも行ってみようという気になった。 

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