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アパートメント紀行(11)

リスボン #4


 リスボンではホテルに滞在しているけれど、住んでいるように旅をしたいという私の目的に敵うのは、地元のスーパーマーケットだ。
 坂の上のショッピングセンターの地下には大きなスーパーマーケットがあり、スーパーを一周した私の感想は、とにかくカラフルでワンダフル。
 常々思ってはいたけれど、外国の野菜売り場ってどうしてこんなに色がきれいなんだろう。日本の野菜売り場の色にうっとりしない原因は、すべてが小分けにされ袋詰めにされているせいかも知れない。
 ここの野菜も袋詰めされたりパック詰めされたりしているものもあるけれど、ニンニクは紫のネットに、玉ねぎは赤やオレンジのネットに詰められ、隣の果物コーナーと色を競っているように見えるし、生ハムコーナーなんて楽器売り場のように整然としていてクールだし、黄色のグラデーションがうつくしいチーズ売り場には、洒落たボトルのワインとグラスまで飾られていて素敵。

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 私のテンションは上がる一方で、腕にぶら下げたり床を転がしたり出来る伸縮自在の取っ手がついたスーパーのカゴに少し難儀しながら、絵具箱のような色とりどりのトイレットペーパーを発見し、買いたい欲望をなんとか抑える。食欲を煽る総菜コーナーで、日本語とジェスチャーだけでタコのリゾットやオリーブのサラダなんかをパックに入れてもらい、次に寄った果物コーナーでハタと困った。
 
 袋詰めされていない果物売り場には、いくつか計量器が置いてあり、見ていると、買い物客が、それぞれ果物別にビニール袋に入れ、計量器に乗せ、タッチパネルを操作して、プリントされて出てくるシールをビニール袋に貼っている。手順は理解出来たが、どこを、何を、押しているのだろう。
 
 うろうろと困っていると、年配の男性が、ジェスチャーで私を見てなさいといって、まずリンゴを三個袋に入れ、そのリンゴの箱についている番号を、これね、といって指差す。そしてタッチパネルのその番号のところを触り、リンゴを乗せる。するとリンゴの重さが計量され、値札シールがプリントアウトされて出てくる。ああ、なるほど。

 わかった? という感じで微笑んで去ってゆく男性にお礼をいい、それから一人で洋ナシを三個袋に入れ、番号を確認してから同じ手順を踏んでみると、あ、ちゃんと値札シールが出てきた! 嬉しくなってオレンジもやってみる。またシールが出てくる! そんなことが無性に嬉しくて、スーパーマーケットで買い物するだけですごく幸せになっている自分のことを愛おしいとすら思えてきた。

 スーパーの隣には、かなり広いイートインコーナーがあって、パスタやサラダや中華やタイ料理やお寿司まである。迷った末、サラダのカウンターへ行き、写真を見ながら飲み物とのセットを選び、あとはアイスクリームを選ぶように、ガラスケースの中に並んでいるたくさんの野菜の中から、好きな野菜とドレッシングを選んでお皿に盛ってもらう。
 巨大になったサラダとオレンジジュースを手に、店内が見渡せる席に着き、ゆっくりとサラダに取りかかる。

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 ベースにマカロニが入っているサラダは結構なボリュームで大満足。買い物客で賑わう店内の喧騒を眺めながら、リスボンの生活の中に入り込めている感じがしてまた満足。目に見えている人々が全部日本人だったなら、ここは西友かイトーヨカードーなんだろうなあと想像する。

 ホテルに戻ると、相変わらずスタッフの笑顔がやさしい。エレベーターに閉じ込められて良かったとつくづく思った。閉じ込められたことによる精神的影響はゼロのようで、閉じ込められたのと同じエレベーターに乗り込むことになんの躊躇もなかった。

 ゆっくり起きて、果物を食べ、リスボンで買った服を着る。ホテルのスタッフに笑顔で見送られ、眩しい太陽の下へ出て、出発寸前だった西へ向かうツアーバスへ飛び乗る。二階席はもう満杯だったので一階席に座る。昨日と同じ道を走っているのに、二階から見る街の風景と一階から見る風景は、ずいぶん違う感じがする。

 石畳の道路が近いと、歩いている感覚で街を見ることが出来る。二階からは見えなかった路面店の中がよく覗ける。準備中のレストラン、開店したばかりの土産物屋、太ったご婦人方で賑わっている八百屋。バスの二階席からはリスボンの建築物を俯瞰出来たが、一階席からは、リスボンの生活を垣間見ることが出来た。

 バスがジェロニモス修道院の前で停まる。私は一番に降り、修道院の入口へ向かった。炎天下、各国の観光客たちと共にチケット売り場の列に並ぶ。大航海時代のポルトガルが天下に栄華を誇っていた頃、百年の歳月と、世界中からもたらされた富を使って完成させたという修道院には、ヴァスコ・ダ・ガマの棺が安置されているそうだ。

 列に並んでいる間、ガイドブックから一通りの知識を仕入れ、ベレンの塔との共通券を十ユーロで買い、やっと中に入る。外の強烈な日差しから逃れ、回廊へ入るとホッとする。中庭を囲む回廊は、繊細な造りのアーチに彩られた荘厳な二階建てで、中庭の緑と空の青と白いアーチが織りなす景色に見惚れながら歩いていると、回廊を文字通りぐるぐる回ってしまい、二階へ上がる階段を見落としてしまう。なんとなく、道を引き返してはいけない気がして、人々の流れに沿って回廊を二周したところで、やっと二階へと通じる階段を発見する。

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 階段は薄暗かった。所々にある小さな窓から漏れる外光と、窓のない部分についている電燈の灯りがやっと足元を照らすくらいで、つまづかないよう慎重に階段を上っていると、電燈の灯りが蝋燭の灯りだった時代へとタイムスリップしてしまいそうだった。

 中世の映画のワンシーンに紛れ込んだような気分に浸りながら、無言で歩く人々の後についていくと、隣接するサンタ・マリア教会を上から眺められる小部屋に出る。ステンドグラスのうつくしい光が、仄暗い教会を荘厳に演出し、ベンチに座って祈りを捧げる人たちを照らしている。
 私の母は、ホスピスで死ぬ三日前に洗礼を受け、マリアという名をもらった。そして念願だったうつくしい教会で、ステンドクラスからこぼれる光に包まれながら旅立った。
 教会にいると、素敵だったお葬式の日のことを思い出す。下へ降りて教会の中へ入ると、高い窓から降り注ぐ太陽の光が、希望の光に見えてくる。光というものが希望であるなら、神の正体は光なのではないかと思えてくる。

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 聖堂見学の途中で、小さな子供たちの集団に追いつかれる。引率の先生が、小声で説明しているあれやこれやの歴史をわからないまま一緒に聞き、子供たちと一緒にヴァスコ・ダ・ガマの石棺に触り、ポルトガルの偉大な詩人、ルイス・デ・カモンイスの石棺にも触ってみる。一人の子供が、私がずっと自分たちについてきて、自分たちと同じことをしていることに気がついてにやにや笑っている。

 一通り見学を終え、ひんやりと薄暗かった修道院から出ると、一気に光と熱気に包まれる。眩しい光の中、必死で歩いてテージョ川へ辿り着き、発見のモニュメントと対面する。

 きらきら輝く川面へ、まさにこれから航海へ出ますという恰好で建っている巨大なモニュメントは、エンリケ航海王子の五百回忌を記念して造られたらしい。帆船の形をしたモニュメントには、大航海時代の英雄たちがずらりと彫られて並んでいて、先頭はエンリケ航海王子。ヴァスコ・ダ・ガマやマゼランもいて、最後尾の辺りに、やっと知っているフランシスコ・ザビエルがいた。彼の髪型は、教科書に載っているのとは全然違っていた。

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 上を見ると、五十メートル以上はあるモニュメントの天辺で、ちらちら動いているものがある。よく見るとそれは、鳥ではなく人間の頭だ。どうやらモニュメントには昇れるらしい。少し迷った後、建物の中へ入り、三ユーロ払って小さなエレベーターに乗り込む。

 テージョ川に突き出たモニュメントの屋上からは、リスボンの街並みが三百六十度見渡せた。下を見るとくらくらするので、なるべく遠い景色を、先端にとまっているカモメたちと並んで眺める。テージョ川の向こうに、四月二十五日橋が見える。革命の日が名前となった橋の向こうは、アラビダ半島。反対側の向こうには大西洋があるはずだが、私にはすでに眼下の川が大西洋に見えている。

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 私と同じように高所恐怖症気味のドイツ人夫婦と、ひゃあ、怖かったわねえと笑い合いながらエレベーターに乗り、地上へと戻る。次の観光地はベレンの塔。川沿いの道をまた十分ほど歩き、川に突き出た塔へ向かう。

 ベレンの塔は、大西洋からテージョ川へ入って来る船を見張る要塞として造られたらしいが、税関や灯台の役目も担っていたそうで、最上階の四階には礼拝堂があり、一番下には水牢がある。
 
 ここにはエレベーターはなく、崩れそうな壁を手すり代わりに、狭い螺旋階段をぐるぐる上って行かなければならない。階段はすごく狭いので、上る人と降りる人は交代で通行する。それぞれの階にランプがついていて、上へ向いた矢印の緑色のランプが点灯すると、上階へ行く人たちは急いで階段を上る。下へ向いた矢印が点灯すると、階段は降りてくる人たちで賑わう。

 やっと最上階の礼拝堂まで辿り着き、今度は下の矢印の点灯時間と格闘する。階段は渋滞し、大いに賑わうが、この渋滞はむしろ楽しく、私の肩を頼りにしてくれたスイス人のお婆さんと一緒に、昔は砲台だったという二階のテラスに出る。

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 つわものどもが夢のあと。現代の砲台は、子供たちの遊具となり恋人たちが抱き合う場所になっている。夏草はないけれど、ため息の出るようなうつくしい水辺の景色があった。
 
 世界遺産のテラスから眺める景色は、本当に素晴らしい眺めだった。目のくらむ外の光を見て、塔の中の暗闇を見て目を休める。重厚な塔の中でひんやりと心地良く過ごしながら、ずっと頭の中に、陰影礼賛という言葉が浮かんでいた。光と影の織りなす景色はいつまでも見飽きなかった。

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 テージョ川沿いの道をだらだらと歩き、大きな公園の脇にあるレストランで、ブリの照り焼きにそっくりなマグロのステーキを食べる。レストランの造りは、日本にもよくある郊外の運動公園の隅にある小さな名もない食堂風だったので、全然期待していなかったのにびっくりするくらい美味しくて、得をした気分になる。

 ジェロニモス修道院まで戻り、バスと市電のどちらか早く来た方に乗ろうと思い、それぞれの停留所の真ん中あたりの日陰で佇んでいると、心地良く吹き抜ける風が、ジャカランダの香りを運んでくる。振り返ると、満開を過ぎた薄紫の花々が、小さな駐車場で優雅に咲いているのが見えた。

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 先に来たのは市電だった。石畳の道路を、がたごととやって来る路面電車の姿は、長崎生まれの私には見慣れた風景だったけれど、大方の観光客にとっては絶好の被写体である。停留所で大きなカメラを構える人の群れをくぐり抜け、やっとの思いで電車に乗り込むと、車内は満員。
 
 地元の人と、観光客が半々という感じで、後部座席の大半を占めていた地元のおじいさんたちが、私のことをじろじろ見ている。こんな満員の車内で話しかけられたら困るなあと思っていると、一人の陽気なおじいさんが、私と無理やり目を合わせ、ニッポン? と聞いてきた。

 イエス、と小さく答えると、片言の英語で、日本人はポルトガル語を使っているのを知ってるか? と大声で聞いてきた。恐る恐る、カステラ? と聞くと、その様子を見守っていたおじいさんたちが、我が意を得たりとばかりに喋り出し、そう、カステラ、コップ、カッパ、ボタン、メリヤス、ジョウロ、オンブ、テンプラ、キリシタン……、次々に単語を発してくる。
 ポルトガル語由来らしい日本語は思いのほかたくさんあって、純粋にびっくりしていると、噺家が慣れた噺の落ちをいうように、だって日本はポルトガル人が発見したからね、とおじいさんの一人が嬉しそうにいった。

 先に下車してゆくおじいさんたちが、何度もサヨナラアと繰り返し、大きな手を振ってくれるのが嬉しかったけれど、車内の注目を浴びていることが恥ずかしく、予定していた下車駅より一つ手前の停留所で降りて、やっぱり海の匂いのする川沿いを歩き、本来下車するはずだったフェリー乗り場へと辿り着いた。

 ちょうど船が着いたばかりで、フェリー乗り場は旅情に溢れていた。船から降りてきた人や、これから乗る人でごった返すフェリー乗り場のキオスクに、村上春樹の小説のポルトガル語版が幾種類も並んでいるのを発見して誇らしくなる。

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 船が出航するのを見送り、待合室のベンチで地図と路線図を交互に眺めていると、ホテル近くのポンパル広場前の一つ先の地下鉄の駅が、エル・コルテ・イングレスというスペインのデパートと直結していることを発見する。

 フェリー乗り場から地下へ潜り、広大なテレイロ・ド・パソ駅のホームで地下鉄を待つ。ガランとした大きな構内に、日本の地下鉄よりはるかに大きい地下鉄の車両が、予想を裏切る短さで現れる。しかもその短い電車は、長いホームの先端にきゅきゅっと停まったので、後方にいた私と数人の観光客は、全速力で走り出す。まさか地下鉄のホームをこんなに走ることになるなんて。同じ感想の観光客同志は連携し、先にドアに辿り着いた人が、扉の間に立って遅い人を待っていた。ああ、びっくりした。

 息を整えている間に、地下鉄はそそくさと目的地へ着き、降車したサン・セバスティアン駅の改札を出ると、デパートの地下二階だった。そのまま電化製品のコーナーを通り過ぎ、エスカレーターに乗って地下一階に上がる。そこには上品なフードコートとレストランとスーパーマーケットがあり、その上階には、高級ブランドのバッグや靴、さらにその上は優雅なファッションフロアがあった。

 昨日行ったショッピングセンターとは明らかに違う品揃えで、日本人とおぼしき観光客もちらほらいる。うろうろとしているうちに、大胆なリゾートファッションに身を包んだマネキンの頭に被せてあるパナマ帽が目に留まり、ひょいと取って被ってみると、私の頭にぴったりだったので、迷わず買い、そこで限界。今日はもうオーバーヒート気味だと感じ、デパートを出る。出てみるとデパートは、エデュアルド七世公園の上にあり、公園の中を歩いて下ると、十分もかからないでホテルへ帰れることがわかった。

 日本でも、こんな風に一日中外を出歩くなんてほとんどしたことがなかったので、連日の外出にすっかり疲れ果ててしまった。でも夜に、きれいなバスルームで充実感と共に泡にくるまりながら、老後の夢を前倒しにして良かったなあとしみじみ思う。

 老後って、いつからなのかわからないけれど、西欧をゆっくり回りたいという夢を早く叶えて良かったと思うのは、そろそろ膝が痛くなってきたからだ。石畳の坂道は、思っていたより膝にきて、持参した湿布を貼って寝る。ベッドの中で湿布の匂いを嗅ぎながら、明日は少しゆっくりしようと思った。

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