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『いいよ。』

序章

病床での最後の言葉。

「ゆかり。お前は普通の子と少しだけ違うのよ。」

「だからお友達にお願いされたら、笑顔でいいよ!って言うの。」

「そしたらみんな優しくしてくれるから。」

『ママ、わかったよ。だから死なないで!』

まもなく母は亡くなった。

私はまだ5歳だった。

1.

小学校に入った年

クラスでお母さんの似顔絵を書くことになった。

少し寂しい気持ちになったが大丈夫。

ママの顔は覚えている。

クレヨン、どれ使おうかな?

色選びに迷っていると

となりのちぃちゃんが

「ゆかりちゃんは、お母さんいないから絵描けないでしょ?」

「クレヨン貸してね!」

え? ダメだよ! お顔覚えてるの、、。

でもママとの約束。

笑顔で、『いいよ。』

2.

ママ!私、中学生になりました。

ママのお陰でお友達もたくさん出来ました。

笑顔で頷くとみんな優しくしてくれるよ。

でもね、今日お友達のナギサちゃんが

「ゆかり。あそこのコンビニに新作のマンガが置いてあるでしょ?」

「 私の変わりに取ってきてくれる。」

え? それって万引きだよ!

人の物を勝手に持ってきてはいけません。

お財布を開き、これなら何とか買えるかな。

ナギサちゃんに笑顔で 『いいよ。』

ママちょっと胸がチクチクするけど大丈夫かな?

大丈夫だよね?

3.

パパはママが居なくなってから

ずっとお家にいます。

ママの残してくれたお金があるから

大丈夫なんだって!

この前、知らないおじさんを連れて来て

その人とお部屋で遊んであげなさいって。

少し不思議に思ったけど、笑顔で『いいよ。』

パパ喜んでたから、ゆかりも嬉しかったな。

でもねそのおじさん、ゆかりの服を脱がしたり

体に触ったりするの。

おかしいよね? ママ、おかしいよね?

その後、就職するように言っていたパパが

進学してもいいって!

その代わり、またおじさんと遊びなさいって。

4.

ママ!私ね、高校に進学したよ!

定時制高校って言うんだ。

昼間はお仕事をして夜は学校でお勉強。

凄く楽しいよ。

昼間はお蕎麦屋さんで働いています。

そこのケンジ君っていう先輩が少し変な人なの。

いつもゆかりのこと寂しそうな目で見てる。

不思議だよね?

今度聞いて見よう。

お給料が出たらママのお墓に

綺麗なお花をたくさん供えてあげるね!

5.

ママ!援助交際って何?

エンコーって言うんだって。

クラスの木村さんがね、

「ゆかり!あんたエンコーやってんだって!」

「あたしらと一緒に稼ごうぜ!」

『エンコーって何?』

「とぼけんなよ!」

「あんたが家でおっさんとやってることじゃねーか!」

『えっ!』

「明日ここのホテルに来な!」

「いい客紹介してやるから」

「あんたの親父には世話になってるからね。」

木村さんはニヤニヤしながら去って行った。

ねぇ、ママ!エンコーって何?

6.

次の日、木村さんに言われた通りのホテルにやってきた。

入り口で木村さんがニヤニヤしながらタバコを吸っている。

「ゆかり!ここの304号室に行きな!」

「客が待ってるから。」

『え?でも。』

「早く行けよ!あんたの親父にも許可貰ってんだよ!」

ダメ! 行っちゃいけない! でも、、。

『いいよ。』と言おうとしたその時、

ゆかりちゃん、こっち!

私の手を掴み、引っ張る人が。

そのまま引き摺られるように走り出した。

「待ちな!ゆかり!」

木村さんの声が遠ざかる。

後ろ姿に見覚えがあった。

『ケンジ君。』

7.

ここはどこだろう?

見慣れぬ街並みだ。

いつの間にか、ケンジ君は横にいた。

何も言わずただ歩いている。

私もただひたすら歩いた。

どうしてこんなことになったのか?

木村さんの言っていた言葉の意味。

なぜケンジ君がここにいるのか?

そんなことを考えながら、ただ歩いた。

歩き疲れた頃、大きな公園が見えた。

どちらからともなくその中に入る。

一番最初のベンチに腰掛けた。

その後も二人は黙っていた。

日が西側にかなり傾いてから

「嫌なことは断れよ。」

生まれて初めて聞く言葉だった。

8.

真剣な眼差しで彼は続ける。

「いつもニコニコ。普通は断る事でも、いいよ。」

「ゆかりちゃんの気持ちはどこにあるんだ?」

「どんどん自分を傷つけているんだよ。」

彼の言葉を聞きながら心が徐々に寒くなった。

彼が熱くなればなるほど、私の心は冷めていった。

この人は何を言っているのだろう?

ママ!やっぱりこの人おかしい!

ママの言ったこと間違っていると言うの?

『私は嫌なんかじゃない!』

『ママが私を不幸にする訳ないでしょう?』

『いいよ。が、私の気持ちよ!』

あれ? 私、今、怒ってる?

9.

どうやって家に帰ったか覚えていない。

「ゆかり。遅かったな。」

またパパはお酒を呑んでいる。

『パパ?木村さんって知ってる?』

何も答えない。何故?

『ねぇ、パパ?』 何とか言ってよ!

部屋に戻って泣いた。

涙が後から後から流れてくる。

こんなに泣いたのはママが死ぬ時以来。

どうしてかな? 心はこんなに冷たいのに。

彼女はその涙の意味をまだ知らない。

10.

次の日、蕎麦屋でケンジ君に会った。

彼はいつもと変わらない。

寡黙に仕事に励む。

しかし私には別人に見えた。

もう昨日までの彼ではなかった。

彼の言葉があれ以来、頭から離れない。

仕事が終わり、帰り支度をしていると

「ゆかりちゃん!そこまでいいかな?」

ケンジ君がそう言う。

黙って頷き、店の外へ出た。

思わず身震いした。

北の地にはひと足早い冬が到来したらしい。

二人はこの前と同様、黙って歩き続けた。

アーチ型の橋に差し掛かった時

『この前、嫌なことは断れって。』

「うん。」

『初めて言われました。そんなこと。』

「うん。」

『ママが残してくれた言葉。』

『守りたいだけなんです。』

「うん。」

『それでね、、、』

それから私は話続けた。

日が暮れても、学校に行くのも忘れ、、。

私の中の色んな思いを全て押し流すように。

終章

「ゆかり!この前逃げやがって!大損こいたろうが!」

木村さんが捲し立てる。

『ごめんね。私はそういうことしないから。』

いつもと違う私の態度に面食らった彼女は

「あんたの親父に言うぞ!」

『どうぞ。もう言いなりにはならない。』

そう言って学校を出た。

校門でケンジ君が待つ。

「終わったのか?」

『うん!』

12月も半ばに差し掛かり冷え込みは強まる。

ダウンコートにマフラーと手袋。

完全防備でも背中は丸まる。

「寒いな!ラーメンでも食ってくか?」

『いいね。』

そう笑って歩き出す。

街頭にも華やかな色が混ざり出した。

しばらく黙って歩きながら、何から伝えようか考えた。

そして、『ケンジ君!』 「ん?」

『私ね、たぶんママとちゃんとお別れ出来てなかった。』

『だからママの言葉を守ることで胡麻化してた。』

『本当は間違ってることも分かってたと思う。』

黙って頷くケンジ。

『昨日ね。ママとお別れしてきた。』

涙が溢れてくる。熱い涙。

『たくさんのお花をお供えしたの。』

次から次へと溢れてくる。

『これからはゆかりの言葉で生きて行くよって、、。』

もう嗚咽になっている。

立ち止まり泣き続ける私を

ケンジ君が後ろからそっと抱き締める。

「これからは俺も一緒だから。」

暖かい体温が伝わってくる。

「貴女のそばにいてもいいですか?」

頬に冷たいものが触れ、

見上げると白い粉雪が舞い落ちる。

彼に向き直り、しっかりと目を見据えた。

今まで見たことのない澄んだ瞳だった。

そして私は生まれて初めてその言葉を口にする。

『いいよ。』





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