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n回目の誕生日

先日、n回目の誕生日を迎えました。
整数です)

この年齢になると、盛大にパーティーをすることもなくなりました。

「母ちゃんに、こんな寒い日に生まれたんだね。」と言ったんですよ。
そしたら、「そうだよ!寒かったんだよ」
前日に「近所のラーメン屋さんで、あんかけラーメン食べたんだよ!そしたら次の日、あんたが生まれたのさ。」

心空さんは、「あんかけが苦手です。」
きっと生まれる前日に母が、食べたからでしょう。(母のせいにするな!)

今年こそ、幸せな1年を過ごしたいなぁ~
(あんた毎年言ってるよぉ〜)


この世に誕生した、n年前の3月
生まれたと同時に、実は、お供もいたらしい。
それが判明したのは、3歳。
ADHDくん。LDくん。
以降小学校4年生くらいまで、療育に通うことに。

5歳 てんかんを発症。
てんかん発作を起こし
初の救急車で搬送。
以降数回、発作を起こし運ばれるハメに。
半年に一回、脳波の検査と採血がある。

主治医の先生に結果を聞きに行く。
検査結果は、PCマットほどの大きさの本のようなもの
ページをめくるたびにドキドキしていた。
先生が角を折った瞬間
「あぁ~」とため息と悲しい気持ちになる。
「そのページはよくない」ことは、幼いながらわかっていた。高校1年生で、てんかん卒業できた。


体が弱く、よく風邪をひく。
『心が先に崩れたのか、体が先なのか、どっちだろう?』
当時の小児科の先生は、言っていたそうだ。

小学校でも、何度か入院
中学校では、一度入院
お見舞いに先生が来てくれたのをよく覚えている。
高校でも、体調を崩すことがあった。
大学では、心の体調が悪くなり。


あれ?
誕生日迎えて、ハッピーなことを書きたいのに
思い出すのは、大変なことばかり・・・

ハッピーなこととは?(笑)(思い出しなさい)

高校に合格した時は、嬉しかったかな
高校で、友達と放課後カラオケに行ったり、バッティングセンターに行ったりしたことは楽しかった。
また、放課後の講習もみんなで教えあったり、話し合ったりして楽しかった。

大学では、ボランティア活動を一生懸命したなぁ。
小学校では、特別支援学級で個別指導をしたり、通常学級で困っている子に、学生という小さい脳で色々な工夫をしてかかわることができて
いい経験だった。
(中休みの『全力おにごっこ』は、今はできないな・・・体力的に)

中学校では、部活の外部指導者として、
自分にとってステキな経験をさせてもらった。

夕方まで、大学で勉強して中学校で部活指導して帰宅
朝から小学校でボランティアをしてから、部活指導という日もありました。

子どもと関わることがスキ

教員になってから
アイドルのライブに行ったり、幼なじみとの再会で交友が広がったり
野球観戦に行ったり、カメラ片手にお出かけしたり、それなりに楽しんでいるのかも。
そこで、様々な場所で多くの人出会えた。
そして、今noteという環境で、
コメントをしてくれる方、スキしてくれる方に出会えた。


今は、休職中だけど、子どもたちと関わりたいという気持ちは変わらない。


n回目の誕生日。
これまで、人とは違う経験や
お供を連れているけど、
色々な方に支えてもらいながら
それに感謝をして、
七沢 心空らしく生きて
いけたらいいと思います。


ここまで、読んでくれてありがとうございました。