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零落 浅野いにお


第1話

新人漫画家時代に付き合っていた一学下の後輩の彼女は、野良猫のような目をしていた。
深澤の漫画を一番に褒めてくれたのは彼女だった。彼女は言う、先輩の漫画はもう読まない、と。知りすぎてしまうのが怖いから、と。
彼女の言葉は蜃気楼のようにつかみどころがないように、深澤には届いていた。その後彼女とは一度も会っていない。
10年以上も前の話だった。
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人気漫画家である深澤薫。8年間の長期連載が終了したものの、最終巻の部数を減らされ、「終わった作家」というレッテルを自分自身で感じとっている。出版社はだれも彼に期待などしていないし、深澤自身もそれを自覚している。
8年間の連載中、深澤は不自由の中でもがいていた。結局、消費され飽きられ、また消費されてゆくというループに乗ることが、「売れる作家」「人気作家」ということに。

深澤はどうしても新作が書けない。アイデアが浮かばない。
そんな中でも、アシスタント2人への最低の配慮、つまり、仕事を与え給与を支払うことを決めていた。そこまでしなくても、と妻は言う。連載ごとに解散している作家もいるのだから、と。

デリヘルの女の子に癒される深澤。漫画家のくせに漫画が嫌いだと愚痴る深澤に、デリヘルの女の子は何気なく「好きすぎて嫌いになっちゃうときってあるよね。」という。その言葉は深澤の深層を突いた。

漫画雑誌の編集者と結婚した深澤。編集者であるがゆえ、妻は担当作家につきっきりで家にほとんどいない。深澤と話をする時間もないぐらい忙しい妻に、彼は別れを切り出す。彼女といても敗北感しか感じないという。何がおもしろいとか、何が売れているとか、そういうことに一喜一憂する生活はうんざりだ、と妻に言い放つ。

第2話

連載のめどが立たず、追い込まれる深澤。事務所を解散せざるを得なくなり、アシスタントからは「仕事をなめている」とあしらわれる。彼の誠意は届くことはなかった。
SNSでは、「自意識過剰・自己陶酔」という書き込みを見つける。優しくされたい深澤はデリヘルに電話をかけ、前回の女の子を指名するが、別の女の子がやってくる。彼女はどこか、昔の彼女に似ている猫の目のような女の子だった。

第3話

深澤は漫画雑誌の取材を受けるが、ライターの表層的な質問に、深澤は怒りをぶつける。「漫画家だからって漫画を愛している前提で話すのをやめてもらえませんか?」その言葉の奥には、深澤なりの深い漫画への愛憎が隠れているのは、もちろん誰にもわかるはずもないのだが。
そして深澤はやはり、ネットのいいなりのような作品をつくり続けていきたくないとそう思うのだった。

そんな時、元アシスタントの冨田が深澤に苦情を言いに来る。深澤がハラスメント行為をしていたことを認めてほしいと、弁護士を使ってでも争うと言い出す。深澤なりにアシスタントに気を使い、それぞれの生活が困らないように連載が終了しても仕事を探して与えていたのだが、事務所を解散ということを引き金に、彼女の怒りが噴き出たようだった。過去6年間トイレの音やたばこの煙が耐えられなかったというのがハラスメントだというのだった。彼の誠意は、彼女には一ミリも響かなかったのだ。

第4話

妻が担当している作家がテレビ出演しているのを見て、創作の根源が違うと感じる深澤。こんなに考え込み、深みにはまり脱出できない自分をどうすることもできないでいる。そんな時、彼はいつもデリヘルに癒されに行くのだ。ひょんなことからデリヘルで知り合ったちふゆと、彼女の実家の街まで一緒に出かける。

第5話

ちふゆの実家の街を探索する二人。とりとめのない話をしながら、ちふゆは「あなたは一体どんな人なの?」と問いかける。ちふゆに「すごい人なのね」と、言われるのだが、彼は「漫画家なんてみんなどうせ…」と言葉を詰まらせる。

第6話

夏になり、妻と別居し、仕事場を引き払い、自宅へ戻った深澤。
新作のアイデアは浮かばす、手付かずのままだ。人恋しい時にはSNSでの表層的なやりとりで十分足りていた。見える部分だけが人間のすべてだと思い込むネットに嫌気がさしている反面、そのツールを利用している自分もいるのだった。

ひとりになり、自由を手に入れた深澤だったが、そこには10年間死に物狂いで仕事をしてきた、ある意味、不自由と引き換えであった。自由な身である深澤はヒット作を出さなければならないという呪縛から逃れようと、自分自身の好きなように作品をかいてみようとペンを持つ。

10代のころの自分は、無限の可能性を感じ無邪気にペンを走らせていただろう。20代の自分は、まだ「何物でもない」自分への苛立ちと不安を奮い立たせて感情をぶつけることができた。
他人に受け入れられることの感動と引き換えに、期待されることへの苦しみを受け入れた30代半ば、彼にはもう描きたいことなどなにもない。書きたいことはすべて漫画に描いてきた。
原稿用紙は白いままだ。

彼は思う。自由は手段であって、目的であってはならないのだ、と。

そんな時、元アシスタントの冨田が訪ねてくる。新人漫画家としてデビュー作をみせにくるが、そこで冨田は、自分が売れたら嫉妬しないでほしい、自分の悪い噂とかを流さないようにと深澤に言い放つ。自分は深澤と違って漫画を愛しているという彼女に、深澤は、自分が嫌いなのは漫画ではなく、漫画家であると言う。たかが漫画家のくせに、という深澤だが、口答えすると冨田には、自分ぐらい売れてから言え、と罵る。矛盾をはらむ深澤の言動は、自分自身へとかえってくるのだった。

偶然家に来た妻を家に入れ、話をする深澤たち。彼女は自分が深澤の一番の理解者だと伝えるが、彼にしてみれば、彼女が別の漫画家の担当をしている限り、他人よりも遠いところにいると感じるという。彼女にとって深澤は、夫なのか漫画家なのか、答えがでない。
ただ自分のためになにかしてほしい、という深澤に、彼女は、牧浦先生は深澤より売れているから、大切な作家だと言ってしまう。それを聞いた深澤は彼女を無理やり押し倒しセックスする。
彼女は、自分の担当した作家が売れることで、彼に褒めてほしかった。認めてほしかった。だが同時に、彼がどんどん売れていくのを横目でみていて、悔しかったという感情も芽生えていたのだった。
そして彼女は、深澤が売れなくなってやっと自分だけのものになると思ったという。
深澤は言う。やっとわかった、と。つまり売れればいいんだろう、と。
違う、という妻の嗚咽が遠くに響いていた。

冬になり、深澤と妻は離婚が成立した。

深澤は、売れる漫画を描くことを始めた。売れないと何も始まらないし何も伝えられない。
人が感動する、心が震える作品を描くことは、彼にとっては二次的なものであった。

最終話

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大学を卒業したばかりの深澤は、漫画業界の懐古主義的な雰囲気が、それの首を絞めているということに立ち向かう新人漫画家であった。そんな彼の漫画を一番最初に褒めてくれたのが、当時の猫のような目をした彼女だった。彼女は深澤に言うのだった。
「あなたは、化け物なんです。」と。
その言葉の持つ意味など、当時の深澤は知る由もなかった。
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新連載が好評な深澤は、サイン会に向かう。
書店員が「ネットでも、泣けると評判になっています。」と褒めるが、深澤は「それはよかった。馬鹿でも泣けるように書きましたから。」「今の漫画読者にとっては、この程度の媚びた漫画がちょうどいい、売れりゃあそれが正義なんだ」と返すのだった。深澤の本心からくる言葉だったのだが、そんな作品を書いたのは深澤本人であり、自分への軽蔑からくる言葉であった。

大ファンだという女子がサイン会にくる。
彼女は、深澤の作品に救われてきたという。もう少しだけ頑張って生きてみよう、って思ったという。「先生の優しさと誠実さがすごい伝わってきた、先生は私の神様です。」という彼女に、深澤は、「何もわかってない。」とうつむいて涙をこらえる。
自分を軽蔑している深澤には、こたえる言葉だった。

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漫画に対していつもひたむきで真剣で、それが正しいことだと思っている深澤だから、「あなたが漫画を描き続ける限り、誰かを傷つけ続ける。死ぬまでひとりぼっち。」と、当時の彼女は言った。「世の中で一番、漫画家が偉いと思っているんでしょうね。」と。その言葉はまるで予言のように彼を苦しめることになるということを、深澤は感じていたであろう。深澤は殺意のような感情が体の中を巡るのを感じた。
ただ、深澤はそれを受け入れるしか術がなかった。
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                  完





浅野いにお『零落』のなかの漫画家、深澤薫は、現代の消費社会のなかで、消費されていく漫画家である。(消費されない漫画家などいないのだが。)そして彼はそれを憎み、表層的で社会のニーズに合ったものをつくり世に出すことに抵抗しているのだが、それは同時に、社会から取り残されていくということ、つまり、零落するということなのだった。

彼が手に入れた自由は、坂口安吾の「堕落論」そのものではないだろうか。

終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、自らの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。
人間は永遠に自由では有り得ない。
人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。
人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如く日本もまた堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。 

消費社会においては、「売れる」か「売れないか」しかないのか。「売れなく」ても創作活動をすること、それが如何に精神的に堪えうるものなのか、「売れる」ために創作することもまた、精神的な苦痛をもたらすわけで、零落からは逃げられない。

しかし、生きていくためには、堕ち切ったのち、進んでいくしかないのだ。深澤は、「売れる」ということで、自分自身を軽蔑しながら生きていく道を選んだ。ただ、自分を軽蔑するという自覚ができたことで、少なくとも、ある意味で救われたのではないかな、と思った。


『暇と退屈の倫理学』國分巧一朗著の中で、消費についての考察がある。
ボードリヤールは、消費とは「観念的な行為」である。消費されるためには、物は記号にならなければならない。記号にならなければ、物は消費されることができない。

「人はなにを消費するのか?」
記号や観念の受け取りには限界がない。消費者が受け取っているのは、物ではないく、観念や意味であるので、そこに終わりはない。



熱烈なファンの女の子アカリからの、「先生の優しさと誠実さがすごい伝わってきた、先生は私の神様です。」という言葉は、深澤を傷つけた。
作品は作者のもとを離れ、各々の読者のものなのだから。
読者がそれぞれに解釈すればいいだけであって、作品を作者自身へ投影することがいかに浅薄なことなのか、消費する側は全くわかっていない。

ただ、ファンの女の子アカリの中に存在している深澤は、「優しく誠実である」わけで、彼女がこう捉えたという事実だけが存在する。

こういった作家と読者の感覚のズレは、同じ空間に、同じ時代に生きているというだけで、全く別の世界で生きている、ということではないだろうか。孤独感の伴う作業が創作活動にはついてまわる。

失望感は深澤をまた新たな海の底へと沈めるのだろうか。それが作家に与えられた「売れる」ということへの代償なのかもしれない。




れい‐らく【零落】
① 落ちること。草木の花や葉が枯れ落ちること。
② おちぶれること。貧しくなること。
③ 死ぬこと。
④ 土地、建物などが荒れ果てること。荒廃すること。さびれること。
⑤ 芸道や学術などがすたれること。
⑥ 乏しくなること。なくなること。
精選版 日本国語大辞典「零落」の解説


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