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私の趣味の変遷~アニメ・初音ミクなど

お疲れ様です。

今回は私の趣味の変遷について書いていこうと思います。

趣味、と言っても、「これは趣味なのか?」と言うのもあります。

例えば「初音ミク」は「趣味」と言えるのか。

私のこれからの人生そのものであり、ミクさんと結婚した、まであります。

高校のころ好きだった人間アイドルも趣味と言うのか。

どうやら「恋愛感情」が絡んだものは「趣味」と言うのに抵抗があるようです。

まあそこは大きく「嗜好」というくくりで行こうと思います。

因みに「初音ミク」に関しては今後の大きなテーマでもあり、短い文章で語りたくないので、今回はさらっと流します(多分。)

なお、ここまでいくつかnoteを書いてきて分かったことがあります。

どうしても長文になってしまうという事。

書いているうちに詳細にこだわるあまり長くなってしまうのです。

なので、当初は1回で終わらせようと考えていたものが、結果として「前編」「中編」「後編」とかになってしまいました。

今回はなるべく1回で済ませるつもりです。

私がそれを「趣味にする」過程(傾向)には次の三つがあります。

1⃣兄の影響で始めたもの

2⃣自分で魅力に気付いて始めたもの

3⃣子供の頃憧れていたが何らかの事情で出来ず、大人になってから出来るようになったもの

です。

そして、3⃣については飽きてしまう事が多いようです。

では時系列に書いていきます。時系列ですが、記憶を頼りに書いているので正確な年代とかは怪しいです。まあ、職務経歴書ではないので、そこは大雑把、ということで。

①音楽

まずいきなりですが、「音楽」は「楽器演奏」と「鑑賞」は分けるべきです。

とはいえ密接な関係にあるのは言うまでもありませんが。

記念すべき最初の趣味と言えます。

いまでも音楽は趣味です。

確か10歳くらいのころ、4つ上の兄の影響でフォークギターを始めました。

「南こうせつとかぐや姫」です。もしくは南こうせつソロ。

兄は吉田拓郎も好きだったようですが、私はそちらにはほとんどハマりませんでした。

逆に、私は独自に「イルカ」も好きになりました。

フォークは中学の頃がピークでしたね。南こうせつもリアルタイムで人気があり、コンサートに行きたくてもチケットが入手できず悔しい思いをしたことを覚えています。

なおギターの方は、兄から「指弾きでなく、すべてピックで弾かなければならない」という言葉をうのみにして(どうやら半分冗談だったようです)練習したものですから、おかげでオルタネートピッキングなどずいぶん鍛えられました。

次にハマったのがハードロックです。というか、ハードロックギター。

これも兄の影響です。

ディープ・パープルとレッド・ツェッペリンです。あとハードロックではありませんがジェフ・ベックです。

前述のようにピッキングが鍛えられましたので、それほど苦労しなかった記憶があります。

これも私独自の路線を開拓し、ヴァン・ヘイレンやゲイリー・ムーアなどもその一つです。

ハードロックではありませんがアラン・ホールズワースもそうですね。

次第にフュージョンにも興味が移っていきます。

ラリー・カールトンとリー・リトナーです。あ、高中正義は兄も好きでしたね。

高中正義の新譜を兄から「エアチェックしておいてくれ」と頼まれた時は緊張しました。

大体これらは高校生くらいまでです。

高校の途中位からジャズにも興味を持ち始めます。

きっかけは山下洋輔のエッセイでした。

このあと書いていく「小説」でも書きますが、筒井康隆が好きで、その影響で読み始めたジャズピアニスト・山下洋輔のエッセイ。これが本当に面白かったのですが、そこで自分のトリオの欧州ツアーの話が出てくる。

それを読んでいるうちに「音楽」の方も聴きたくなったのです。

私のジャズは「フリージャズ」から始まったのです。

そうなんです、山下洋輔は「フリージャズ」のピアニストなんです。

しかし次第にジャズの本流(多分)であるモダンジャズに興味を持ち始めます。

当時はYouTubeはおろかネット、いやそもそもパソコンも携帯も無い時代ですから、ジャズをどうやって聞くかと言うと

1⃣レコード

2⃣ラジオ

3⃣ジャズ喫茶

4⃣テレビ

でした。

テレビは殆ど期待出来なかったし、ラジオも放送されるのは頻繁ではありませんでした。

ジャズ喫茶はまだ敷居が高かったので、結局レコードという事になります。

しかしお小遣いが月5,000円という時代で、レコードの新譜は2,500円がデフォでした。

まあ、文庫本以外にそうお金を使う事も無いのですがそれでも、月に1枚レコードを買えればいい方。

なので「最初の1枚」はかなり悩んだ記憶があります。因みに情報源はスイングジャーナルやジャズライフです。

マイルスにするかコルトレーンにするかビル・エバンスにするかかなり迷った挙句、ビル・エバンスの「ポートレイトインジャズ」にしました。

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と、ここまで書いてきて思ったのですが、其々の事に語りたいことがたくさんありすぎです。

この、音楽どころか「フリージャズ」や「モダンジャズ」の事ですら、「前編」「後編」とかになってしまいそうなので、やはりさらっと書くことにします。

とはいえ、それでもかなり長くなりそうな予感。

話を戻します。ジャズが好きになったことで、ギターの方もジャズを弾き始めることになります。

しかしこれが難しい。演奏技術的なこともさることながら、その音楽理論が難しい。

独学では無理だと悟った私は大学入学と同時にジャズ研究会に入ることになります。

ところが、ジャズ研に入れば先輩たちが手取り足取り教えてくれると思ったのですがそうではありませんでした。

4回生の先輩から「EXIT」と言う店に行け、と言われました。ジャズ喫茶兼、ジャズギターの教室もやってる店です。

要するに「ここで習ってこい」という訳です。

後から知ったのですがオーナーは森田利久さんという、知る人ぞ知るギタリストなのでちゃんと習えばものになったはずですがなぜかめんどくさく、2回目以降行きませんでした。

その後、独学でなんとなく弾いてきたのでいまだに「ジャズギターが弾ける」とはお世辞にも言えません。

その次はクラシック音楽です。「その次は」と言うよりはジャズと並行して聴いてきました。

それは今も変わらず、以降、30余年にわたるジャズ・クラシック鑑賞の歴史のなか、交互に「ジャズ期」と「クラシック期」が訪れ、聴いたり演奏したりしています。やはり、両者を同時に楽しむのは無理です。

あ、因みに、この前からクラシックギターは先生に付いて習ってました。

確か中学1年ころからかな?

さて、クラシック音楽ですがきっかけはグスタフ・マーラーでした。

なぜマーラーだったのかよく覚えてないです。

この後に書く「オーディオ趣味」の影響だったかもしれません。

ともかく、バッハやベートーベンのような「ポピュラーな」クラシック由縁ではありませんでした。

なので、誰もが聴く「有名な」クラシック曲のCDを一度も買ったことがない、なんてのは普通にありました。社会人になってからもそう潤沢にCDを買えた訳ではありませんでしたからね。

マーラーは正直、ほとんど理解できなかったと思います。

それでも1番や2番のような「聴きやすい」曲を中心に楽しみました。

そしてすぐにハマったのがワーグナーです。

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最初から「重厚長大」が好きでしたので(なのでマーラーを聴いていた)ワーグナーはうってつけでした。

しかし、楽劇(つまりオペラのようなもの)でしたからすぐにとっかかれた訳ではなかったと記憶しています。

ところが毎年年末にNHK-FMで「バイロイト音楽祭」の放送があるのです。

今でもあるはずです。

そこでワグナーの代表作「ニーベルングの指輪」を聴き、入門できたわけです。

因みに「指輪」はCDで言うと全13枚位のまさしく「長大な」音楽劇です。

その後はバッハにハマりました。

といってもオルガン曲とかではなく「マタイ受難曲」を代表とする宗教曲と、「無伴奏チェロ組曲」のような器楽曲です。

マタイ受難曲は、大学の時バイトをさぼって行ったコンサートでいたく感動した記憶があります。

その後は・・・・アイドル(人間の)は中学生の時のピンクレディから始まり、石野真子、河合奈保子、斉藤由貴、荻野目洋子、プリンセスプリンセス、SPEEDなどだいたい40歳くらいまで誰かしらのファンでしたが今は全く興味がありません。

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ジャズについては、サラリーマンとして沼津に居た頃、サラリーマンをする傍ら、ジャズライブハウスでバイトを始めてのちにブッキングを任されたり・・その後東京に引っ越したあと私のHNである「ロイ」の由来であるジャズトランぺッター・ロイハーグローブに傾倒したり・・・ジャズ編集者になりたくて「スイングジャーナル」の中途採用に応募したり・・・この頃がピークでしたね。本気でライブハウス経営も考えたほどです。

なお、スイングジャーナルは最終的に社長面接まで進んだのですが、色々不安があって直前に辞退してしまいました。うけていれば、多分採用されていたと思います。余談ですが歴史のあるスイングジャーナル誌、2010年に休刊になっています。事実上の廃刊です。

もし働いていたらどうなっていたのだろう?などと思ったりします。

②読書

いやあ、予想通り長くなっています。①の音楽ですでに3500字です。まあ「音楽」は私の一番長い趣味ですから仕方ありませんけど。

あ、「漫画」は今回は省きます。前回どこかで書きましたので。

作品を羅列すると、好きだったのは、「キャプテン」「プレーボール」「うる星やつら」「めぞん一刻」「みゆき」「タッチ」「ゴルゴ13」「北斗の拳」「蒼天航路」「ドラゴンボール」「カバチタレ」くらいですかね。

さて、小説ですが最初は星新一でした。確か中学の頃です。きっかけは覚えていません。これは兄の影響ではありませんでした。

ハードカバーは買わずに(買えずに)文庫本だけ買っていました。

あっという間に全部そろえましたね。

漫画と同様、何度も繰り返し読むのが私流です。

そして、同じSF作家の筒井康隆に出会う事になります。

ちょうど高校のころ。高校時代の私の青春は、ギター、筒井康隆、河合奈保子、だったと言えます。

それ以外は小松左京、北杜夫などを読んだ記憶があります。

さらっといきます。次。

③オーディオ

音楽と密接な関係にありました。

敢えて音楽と切り離してオーディオを追求する人(長岡鉄男など)も居ますが、私はあくまで「クラッシクとジャズを良い音で聴く手段」でした。

ハマったのは大体20歳から35歳くらいまでです。

ピーク時はスピーカーはタンノイ、アンプはラックスマンの純A級、CDはマランツの38万のやつ、アナログプレイヤーはYAMAHAのGT1000?でした。

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総額150万円くらいですから、オーディオとしてはそれほどつぎ込んだわけではありません。

それ以外にも、ケーブル類・ラックなどに凝ったのは言うまでもありません。

結構ハマったわけですが社会人になって結構頻繁に引っ越しをすることになり、どうしても継続が難しくなったのです。いまは、可能なら再開したいと思っています。

④パソコン

これは趣味と言えるのだろうか。

ネットの方ではなく、ハードの方です。

30歳くらいの頃ですかね、会社からノートパソコンを半支給(半分は会社もち、半分は自腹)され、それがきっかけでした。

品番は忘れましたがNEC98の、かなり初期のカラーノートで(つまりモノクロ画面のもまだ結構あった)当時の定価で38万円くらいという、今では信じられない価格です。

まあ、すぐ「趣味」としては飽きました。

⑤司法試験の勉強

これこそまさに「趣味」といえるのか。

きっかけは「カバチタレ」でした。影響されて、行政書士になりたいと考えた私は、横浜の予備校に通う事になります。会社は辞めてません。

その後の経緯は省きますが、弁護士になりたいと方向転換し(行政書士はそもそも試験すら受けませんでした)仕事で名古屋に戻ってきた私は「LEC」という司法試験予備校に通う事になります。

基礎講座100万円以上、論文講座も数十万ではなかったでしょうか。当時の妻には悪い事をしたと思っています。

結局、旧司法試験の短答式を3回受験しましたがすべて玉砕。

諦めた理由は、転職したこと、新司法試験に移行する予定があった事、なにより、3回にわたる受験、点数がどんどん悪くなっていったからです。

「趣味」としたのは、司法試験の勉強は非常につらく過酷なものでしたが(1日6時間とか勉強してました)どこかこう自分のなかで「やりがい」になっていた部分があったからです。

結構最近まで、学者本や問題集が残ってましたが、やはり邪魔になってきたのですべて処分しました。

なお、合格こそしなかったものの、この知識が生かされて転職後はずっと企業法務の仕事をすることになります。

これがなければその後の起業にも繋がらなかったと思います。

⑥天体観測

その後は転職や起業などもあり、趣味に割く時間はありませんでした。

起業して少し落ち着いたころに子供のころ憧れた天体観測を始めたのです。

きっかけは正月に売られていた2980円の天体望遠鏡。

2980円なら・・・という事で買ったのですが、もちろんガラクタ同然。

すぐにビクセンの入門用を買いました。

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それなりにハマりましたが1年くらいでやめてしまいました。

理由は、せっかく遠征しても天候不良で報われないことが多かったから、です。

⑦野鳥観察・撮影

これは今でも続いています。もう8年くらいでしょうか。

きっかけは天体観測で買った一眼レフでした。

安ものでしたが、せっかく買った一眼、もったいないなと思っていたところ庭先に来るハクセキレイやシジュウカラを撮影するうちにハマって行ったのです。

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殆どの人が近くに「師匠」と呼ぶ先生がいたのに比べ、私はほぼ独学でした。

撮影技術も探鳥方法も。

なので、「他人から珍鳥情報をもらって遠征する」と言う方法にはいまだに抵抗があり、独自で探鳥地を切り開いてきました。

苦労して見つけたフィールドが実は有名地だった、という事も珍しくありません。

情報に頼らず自分で探していくことには実は一部批判もあります。

ほとんど聞かない意見ではありますが「一人で探し回ることによってフィールドを無駄に荒らすことになる」というものです。これは詭弁です。

「情報提供に頼って」探鳥を繰り返す人がもたらす害悪は数えきれないほどあります。まあここでは割愛します。

さて、ピーク時は泊りで舳倉島まで行くようなこともしましたが今は落ち着いています。

基本、近場の田んぼ中心。

ヘラシギと言った激レアかつずっと見たかった鳥が出れば遠征しますがそれもせいぜい県内。

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「ただ珍しいから」と言う理由で専門外の「野山の小鳥」を見にわざわざ県外まで行くことは無くなりました。

まあ、逆にそれがあるから続いているんだと思います。

⑥BCLとアマチュア無線

BCLは時系列逆行します。

短波放送を中心としたラジオの受信をするという趣味です。

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中学の頃、年代で言うと1970年代中ごろから1980年にかけて流行しました。

殆どが男性だったようです。

中学時代丸3年熱中しましたが、高校になった頃に飽きました。

結局、外国語放送ですので意味が分からないのです。

英会話は6年ほど習っておりヒヤリングには自信がありましたがそれでも受信感度が悪かったり早口だったりで内容が分からなかったため、次第に疎遠になっていったわけです。ましてや、フランス語や中国語、韓国語なんてわかろうはずもありませんでした。

その時少し興味を持ったのにアマチュア無線がありました。

BCLとアマチュア無線、両方やる人は多かったようです。

中学の同級生にアマ3級か2級か覚えていませんが持っているやつがいて、家まで遊びに行ったのですがその無線機はやたらとかっこよく見えたものです。

私も親に「アマチュア無線をやりたい」と言ったら一蹴されました。

アマチュア無線の事はずっと忘れてましたが、数年前、少し余裕が出てきたのでBCL用の受信機をヤフオクで買ったとき「あれ?今なら俺でもアマチュア無線出来る?」と思い立ち、ますは4級の試験を受けることになります。

すぐに3級になり、それなりに交信もしました。

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しかし・・・野鳥撮影や、その後始めたチェロ演奏、なにより、ミクさんの事を考える時間が減る・・・と言う理由で・・・

まあとにかくこの時は趣味が多すぎました。

野鳥観察・チェロ・アニメ・初音ミク・・・それぞれ、どれ一つとっても単独で十分趣味として成り立つものです。割かれる時間もお金も。

「どれかリストラしなければ」と考えると、アマチュア無線はその筆頭だったわけです。

機材や、かなり苦労して設置したアンテナも取り外し処分しました。

⑦チェロ演奏

音楽のところに書くべきなのですが、比較的最近の事なので別にしました。

最近と言ってもムーブが2回ありました。

12年前に開始。1年続けるも、諸事情で中断。90万で購入したチェロも売却。ところが去年の今頃、なぜか再開を決意。再度、なんとまた90万円ほどのチェロ(弓含む)を買ってしまう。レッスンも再開。

ただ、詳細は省きますが現在休止中です。

⑦アニメ

⑧初音ミク

ああ・・・もう7000文字です。

アニメについてはもう書きましたし、ミクさんについては「趣味」などではなく「人生」ですから、別に書いていく話です(もっともマジミラやグッズ購入など日ごろの「ミク活」は趣味としてもいいと思いますけど。)

てなわけで、「初音ミク」の話を期待していた人には大変申し訳ないのですがそういう事で(;^_^A

「フォロー」「スキ」を頂けますと大変モチベーションが上がりますので、ぜひよろしくお願いいたします。

ではまた、別の記事でお会いしましょう。

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