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2020年ブックレビュー『仮面の告白』(三島由紀夫著)

「ステイホーム週間」は、これまで読めなかった「古典」に手をつけようと決めていた。未読で後ろめたい気持ちをかきたてられていた名作たち…。

「待ってろよ!」

…というわけで、三島由紀夫「仮面の告白」。少し前に、映画「三島由紀夫VS東大全共闘」を観て、あまりの観念的な討論の内容にびっくりする一方で、三島由紀夫とインテリ学生たちのカッコよさにおののいてしまった。

学生たちの突っ込みを、鮮やかに切り返すだけでなく、笑いをも誘う三島由紀夫…。殺気だって始まった討論の終盤、学生たちが三島に共感していたのは、映像からも伝わってくる。

中学か高校のときに、三島文学の美文調にビビって避けてしまった自分を恥じ、まずは初期の作品「仮面の告白」を手に取ったのだった。今読むと、とても読みやすいのはどうしたことだろう。

主人公は幼い頃から、自分の興味の方向が後ろ暗いことに気付く。たくましい肉体を持つ粗野な若者に惹かれ、彼らが戦いの末に血潮にまみれる残酷な姿にも興奮を感じているー。そういった性的指向の一方で、大学生になると友人の妹と「恋仲のような」関係にもなるが、彼女に対して性的な魅力を感じることができない。

浅はかな私には、セクシャルマイノリティー男子の独白ーという表層的な読みしかできないのかもしれない。この小説が「自伝的」とうたわれているだけに、一般的な読者は、三島由紀夫とはそういった性的指向が少しでもあったのではないか、と必ず疑うだろう。後には右翼の若者たちと民兵組織「楯の会」を作り、切腹自殺した最期が、政治思想ゆえと分かってはいても、「仮面の告白」で語られている性癖とも符号するーと受け取る人もいるかもしれない。

私が読んだ新潮文庫の解説(福田 恆存、1950年)では、こう記述されている。

「素面にくいこんでくる仮面をおもいきってひきはがし、その仮面によって左右されぬところに自己の素面を設定しようという努力ーそれが『仮面の告白』の秘密だろう」

とても分かりづらい文章なのだが、小説に書かれていることは虚構だと言いたいらしい。

一方で、同じ新潮文庫のもう一つの解説「三島由紀夫 人と文学」(佐伯彰一)は、三島の死後に書かれていて、

「…『仮面の告白』という題名からして、その仮面性、フィクション性をもっぱら強調する見方が強いのだけれども、「仮面」の使用そのものをふくめて、これはやはり三島の自画像、自伝的小説と受け取る方がいい。ここには内なる魔物との格闘があり、この「私」は作者と血肉をわけ合っている」

これら二つの解説文に触れられていないのは、戦争と三島との関係だ。「仮面の告白」でも三島自身の体験と同じく、入隊検査で肺浸潤と誤診され、帰郷を命じられたことー。戦時に青春を過ごし、自らの人生は若くして断たれると確信していたにもかかわらず、生き延びたという罪悪感と、自分が欲情するのとは真逆のひ弱な肉体、ホモセクシュアルであるが故に女性との恋愛が思うようにできないことへの無力感ー。

私には、主人公が複雑に絡み合ったコンプレックスで血まみれになり、蹂躙されているようにも思えるのだ。



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