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病院助産師

助産師は一人前になるまで10年

 実習中に指導助産師に言われた言葉である。助産師学生は1年で勉強、実習とあり、分娩介助、新生児観察、産褥観察などめまぐるしく進む。実習に行き、毎回できなかったと反省する日々、そんな中で指導者がこんなことを言ってくれた。

「学生さんはできなくて当たり前。助産師は10年で一人前と言われている。今ではなく、10年後の自分を想像してみて。10年後ならできる気がするでしょう?」
この言葉に救われた。
 それから10年は諦めずに頑張ろうと、何度も辞めたくなったが、仕事を続けた。

 

体が壊れた

 幼い子を抱え、夜勤をして、まさにワンオペ育児で、仕事をこなす日々。
1回休むと仕事ができなくなると不安だった私は、いつの間にか体を酷使し、とにかく必死に働いていた
 体を壊し救急車で運ばれたり、めまい、頭痛、吐き気が押し寄せてきて、つらい状態が続いた
 体が限界になり、はじめて自分が疲れていることに気がついたのだ。

 その後、途中パートになるなど勤務を軽くし、症状は改善していったが、幼い子供たちを抱えてフルで仕事をこなすのは、大変な職業だと感じていた。


病院で働いて16年

  緊急時にも慌てず、対応できるまでになっていた。出産は常に急変がつきまとう。きれいな出産ばかりではなく、命が生まれる現場でありながら、命に関わる急変も多い現場なのだ。まして母子2人の命を預かっているのだから、責任は重い。
素早い処置が必要とされ、何よりも経験が重要視される。
 新生児の蘇生や、産後の出血多量に伴うショックなど、何があるか分からない。時には医師より早く行動し処置しなくてはならない
 常に緊張感を持って仕事をしていた
赤ちゃんが生まれて安心するのは、お母さんだけではない。元気なうぶ声を聞いた瞬間、助産師も安心するのだ。生命が生まれる瞬間。決して忘れることのない人生の出産という1ページに立ち会えることは、助産師の特権であると思う。
 16年で500例ほどの出産にたちあわせていただいたことは、
今も、これからも、私の財産である

 

 助産師の仕事は、分娩以外にも妊婦の保健指導、産後の育児指導、乳房の手当、授乳指導などがあり、分娩に比べると大分心が安まる業務だった。
 
 クリニックだったので母乳外来やボディケアなど好きなことをやらせてもらった。分娩介助も魅力的ではあるが、私には、ゆっくり時間をかけて、お母さんと話しながら、体のケアをしたり、指導をすることが何より楽しかった。そして、ここで行っていたことが、後に開業助産師としての業務内容につながることになるのだった。

 

きっかけになったコロナ感染症

 コロナが広まり、病院の体制はがらりと変わってしまった
感染対策として隔離、防御等が行われ、人と人との関わりが制限された
助産師として、何をモチべージョンとするか。
満足に指導もできず、いったい自宅に戻って何からお母さんたちは育児を学ぶのか、育児出来ていくのか?その子供たちはどう成長していくのか?
出産が終わればそれでいいのか?とコロナの中、私の中で疑問が生じていた

もっと自由にお母さんたちに寄り添いたいと思い、病院を辞めた。


続く


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