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後ろめたくて寂しい日

友がみなわれよりえらく見える日よ・・・
 
ええ、ええ、私にも覚えがあります。同窓の友人たちが仕事でどんどん活躍したり、海外に留学したりしていく中、自分は・・・ と。
 
自分が怠けているように感じるとき、他人のほうが自分よりずっと頑張っていると思うときも、恥ずかしくて頑張っている人の前に出られないような気持ちになりますね。
 
私は、自分の子ども達が小さいとき、育児と家事で手いっぱいで、社会で活躍する友人たちと比べて「なんでもない」自分が、かなり、後ろめたくて寂しかったです。みんなが自分の稼いだお金で、服も髪もメイクも垢抜けて、きれいになっていく中、自分はすっぴんでまとめ髪でこども連れだったものですから。それでも、目の前の子どもが可愛いから、産んでよかった以外の結論はなくて、というかそれ以外の結論は許されないし。
 
もちろん、子どもが可愛い、この子がいない人生は考えられない、は今も昔も本心です。でも、子どもを持ったことによって、色々なことが制限されたのも事実で、でもなぜかそれを背負わされた人が不平を言ってはいけないような気持ちにさせられるのです。
 
そして、「子どもが可愛いから」「産んで良かった」と自分を励ますためにつぶやくその言葉が、産まない人や産めない人を傷つけるから、口にするなと言われたりもするわけです。
 
でも、産んだ人が自分の人生を肯定する言葉を口にするのを否定するのはおかしくない? 私は別にそっちを否定してないんだから、と、思うこともありました。 でも、否定された気持ちになるんだ、傷つくんだ、だってそれはその人にとって、「友がみなわれよりえらく見える日」だから。と、今なら思います。
 
誰のことも否定しないで、傷つけないで、他人を羨むこともなく、生きていけたらなぁと思いますが、人間だから、そういうわけにもいかないのですよね。傷ついたり傷つけたり、羨んだり羨まれたり、そういうのが人間臭くていいんじゃないかと思ったり・・・
 
そして、啄木のように、誰かと(別に特別な誰かじゃなくても、通りすがりの誰かとでもいいんじゃないかと思います。一人じゃなければ)、花を眺めたり、言葉を交わしたりして、束の間心が和みさえすれば、とりあえず今日も生きていけるんじゃないかなと思います。
 
欲張らず、頑張りすぎず。後ろめたくても寂しくても。
 
こんな自分でも、誰かの役に立つ日がきっとあるから。

(M.C)

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